そのころの彼は
(サイカ、どういうつもりだい)
「少し話をするだけ」
だから邪魔しないで、とサイカが呟いた瞬間。パキッと足元にひびが入り、粉々に割れた。
「っわ?」
間抜けな声が口から飛び出す。『普通』なら別に問題はないが、生憎これはぼくの身体じゃない。
(キルシアをとられた…)
ナカには、いつもいるはずの彼女の気配がなかった。主導権は彼女にあったというのに。足場をなくし真っ逆さまに落ちる途中、容赦なく銃弾が降り注ぐ。
(考える暇くらいくれっての!)
体勢を立て直すと同時に弾を振り払い、着地すると、弾の雨を避けながら考えた。
(サイカの気配も感じない。さっきとは空間が違うのか)
もしいつも通りなら、ぼくだけでも空間を渡れたはずだ。しかし、今離れればキルシアの体を放置することになってしまう。
「本当に面倒だ」
チッと舌打ちをして、居合わせた男をおもいっきり殴る。
「ぐえっ」
いらついて口調も粗くなりはじめ、こんな姿、キルシアには見せられないなと視線を下に向けた。
「いってぇ」
目を疑った。藍色の固まりが、足元にある。固まりはそのまま顔を上げた。
「あ?」
もちろん、スカートに頭からつっこむ形で。
こ、れ、は。思考が一瞬停止する。代わりに、体に染み付いた本能的なものが働いたらしい。
「キャアアアア!」
「えっ、ぐびっ」 自分とは思えない甲高い叫びが口から飛び出て、脳天にしっかり拳をたたき付ける。
「あっちだ!」
「いたぞ!」
叫びのせいで集まってきた男たちを術で薙ぎ払い、完全に伸びた藍色を引っつかむと、どこへともなく走った。
この一連の行動は、まったく理解できなかった。自分が体を支配しているはずなのに、言うことをきかない。
(これが女の子の本能なのか?)
かなり暴力的だと素直な感想を述べてみたが、とくに意味はない。
追っ手を振り切り、物陰にしゃがみ込んで藍色……本物のアシュオンその人の顔をぺちぺちと叩いた。
「起きて。ほら早く」
ベチン、バチンと強めに叩いてやってようやく、アシュオンが瞼を震わせた。
「ううん」
父親より少し青みが強い瞳が開かれ、ぼく。正しくはキルシアの姿を映し出す。
「き、キルシア?」
一拍おいて、驚きと戸惑いが入り混じった表情にかわる。一目散に逃げ出そうと口を開きかけたところに、ハンカチを丸めてほうりこんだ。
「んぐぐぐぐ」
上にのしかかることで動きは封じた。気にかかるのは、キルシアの気に入っていたハンカチが、唾液でベトベトになっているだろうということだったが、謝るか証拠を隠滅するかでどうにかしようと自己完結する。
まずは、アシュオンに話をしなければ。「いい、これから質問とかするから、おとなしくしてたほうが身のためだよ」
物分かりがいいのか、それともただヘタレなだけなのか。最低限の抵抗はしてくるが、アシュオンはすんなり首を縦に振った。
「よし。物分かりがいいのは嫌いじゃない」
魔力封じだけこっそりかけて、ハンカチをつまみ出した。
「ふはっ」
ぜいぜいと肩で息をする様子を見守りってから口を開く。
「アシュオン君、だよね。それともウェンスと呼んだほうがいいかな」
どうして知っているとばかりに目が見開かれ、肯定していた。というか、自分がどれだけ有名人か知らないの? 瞳といい髪の色といい、藍色を持つのはこの国で彼の一族。彼とその父だけだというのに。
まあ、箱入り息子だし。しょうがないかなぁと諦める。
「自分を監視してる相手くらい、知っておかないとね。ぼくとしてはこれからはカラーコンタクトと染髪料の常用をオススメするよ」
そう言えば、訳がわからないというふうに、彼は首を傾げ、また、顔をしかめた。
「バレてんのか」
「ぼくにはね。まあ『キルシア』は全然気づいてないけど」
ぼくのことは、話に聞いてるでしょ、と付け加えれば、彼は頷いた。
「α様、だよな。なんか偉い人なんだろ」
「それくらい知ってくれてるなら十分。でね。ちょっと頼みがあるんだ」 諦めの混じった声で、なんでしょう、と聞いてくるのはいただけない。
「ちょっとくらい反省しなよ。君、見たんでしょ」
「見たって……!」
思い出したのか顔を紅潮させるウェンスくん。初だなあ。
「あ、あんなの見たのうちに入らねぇよ」
「そうだったね。頭つっこんだんだから」
「ぐっ」
反論のしようがないのだろう。赤面したまま彼は俯いた。
「責任とってもらわないとなぁ。それに今も、ぼくにタメ口きいてるよね。不敬罪で訴えてもいいんだよ。そうすると君のことはキルシアにバレちゃうし。『上』からもたっぷり絞られるんじゃない? とくに『吸血鬼』とか……」
サァッと音がしそうなくらい 、先程と打って変わって血の気が失せる。かわいそうなくらい。
「申し訳ありません。俺にできることならなんなりと」
「よろしい。これは大仕事だよ。君にしかできない」 そっと額に指をつけた。
「身体、貸してもらうから」
海から陸に上がる。そんな感じで彼のナカに入り込む。視界がブレ、次にはっきりしたときには、既にその身体の主導権を握っていた。
倒れ込むキルシアの身体を支え、立ち上がる。
「うえっぷ」
きもちわるっ。
(人の身体を使っといて文句いうな、じゃない、言わないでください)
(文句なんて言ってないよ。ただうまく噛み合わないだけで。あ、今のこの状況って、腐ったオンナノコのアレになったりするのかな?)
(わけわかんないこと言うな)
通じない。健全で素晴らしいことだ。
なんて無駄話をしている場合じゃない。彼の血族補正でどうにかなっているが、長い間の憑依には無理がある。その前に吐きそう。
壁を駆け上がって身体の調子を確認すると、性別の差か、キルシアより運動能力のスペックが高いことがわかった。なんかアクションゲームで新キャラ使ってる気分。そうだよねと同意を求めたら、わかんねぇと言われた。調子狂うな、もう。
彼とのコミュニケーションは諦め、行動にうつろう。(ちょっと痛いけど我慢して)
(なにそれって、おい!) 制止の声を無視して、目をつむる。
魔力を集中して、ゆっくりと開いていった。
(ってえ!)
(我慢我慢!)
とは言ってみたものの、これは痛い。洗剤や果物の汁が目に直撃したときより痛いのではないか。
しかしこれも予想の範囲内。痛みをこらえて目を開けると、うまく隠してあるが、一部空を覆う薄い膜が見えた。
彼の一族の特殊能力。見えざるものを見通すチカラ。熟練は時間も見れるらしいが、今までそんなのにお目にかかったことはない。彼の父なら過去くらい見れるかもしれないけれど。
(君じゃあこれで限界みたいだね)
さて、あの空間をぶち破りますか!
(待てよっ、あんなでかいの無理っ)
(男なら歯を食いしばれ!)
無理矢理、意識を押さえ付けて、一言だけ呟いた。
「壊」