覚悟はできている
さすがにそろそろ彼女を返さねばまずいだろう。ニコはそう思いセレナを辺境伯がいるテントまで送り始めた。
半月のテントの件もあり、セレナは絶えずソワソワしているのが分かる。ニコからすればあの肝心なところでヘタレな兄貴がそういうことをしているわけではないだろうと思う。
たが、何をしているにせよそのせいでセレナとの間に変な空気が流れている。それがニコにとっての不満だった。
気まずい沈黙が続く中、二人の足はゆっくりとではあるものの進んでいく。やがて彼らの目の前に一際大きなテントが顔を現した。
「ニコ様。ありがとうございます。ここまでで結構です」
「うん。僕も君を一人にするのは心配だったから大丈夫だよ」
あとは別れるだけではあるものの、互いが互いを見送ろうと二人は背を向けることはなく、結果として互いを見つめ合う時間が続く。
「さすがに帰らなきゃだね」
痺れを切らしたニコはそう言って背を向ける。そのまま
「セレナ。また明日ね」
その言葉を残し片手を上げながらニコはゆっくりと自分のテントへと向かっていこうとした。
「ニコ殿。水臭いじゃないか。顔を見せに来ればよかろう」
突然声をかけられ、ニコが振り向くとそこにはセレナの父。バルディス家当主ロナルド辺境伯が鋭い眼光でこちらを睨んでいた。
「まずは礼を言うぞニコ殿。娘を連れてきてくれてことに。だがなぜその時間が今なのだ?」
ロナルドはそう言いながら確実にニコとの距離を詰めてくる。
さすがのニコもこの場面で逃げるを選択することはできず、自らその距離を詰め始める。
「いい心がけだなニコ殿。夜はまだ長い。私と話をしようじゃないか。ハッハッハー」
豪快に笑いつつもその片手はニコの肩をしっかりつかんで離さない。
ニコはすかさずセレナを見るが、顔を赤くして逸らされてしまった。
今その反応はいらないんだよ。そう思いながらも
「光栄です辺境伯様」
そう言って彼の要求を飲むしかなかった。
豪華なテントに入ると中はテントの中とは思えないほどに広く。ニコはあっという間に応接室のようなところへ連れて行かれる。セレナも一緒に話に加わろうとしたが、ロナルドが呼んだメイドに身体を引きづられるようにして退場していった。
テーブルを挟み向き合うように座った二人は、しばらくの間沈黙が続いたが、その沈黙に耐えられずニコが口を開く。
「辺境伯様にお願いしたいことがございます」
「ほう……?」
ロナルドはニコを興味深そうな顔で見る。そのまま続きを促すように顎でしゃくった。
「僕が何か功績をなしたとき、取り立ててはいただけませんか?」
ニコは先ほどセレナとのやり取りで辺境伯にさえ認められればその可能性が開ける。そう考えていた。
「私にそう言ってくる者は多いが、貴殿は何を望む?」
「それは……」
ニコは思うここで言っていいものかと、まずは辺境伯への覚えを良くすることが大事なのではないかと。
ニコが回答に窮していると
「質問を変えるか」
ロナルドは少し困ったような顔でニコの方に身を乗り出してくる。
「貴殿は我が娘と仲が良いようだな?先ほどもセレナと呼び捨てで呼んでおったように思うが」
ロナルドはさすが辺境の長という迫力でニコを睨んでくる。その迫力はかなりのものでそれはあなたの娘のお願いを聞いただけです。とは言えない。
「セレナ様より許可を……」
「ん?私の耳がおかしいのか?セレナ様?」
言い訳を言おうとすると有無を言わさず遮ってくる。何度か試みるもののニコが「セレナ様」と言うたびに中断され、話が進まない。それならばいっそ言ってしまったほうが楽なのでは。ニコはそう決心し、
「セレナをください!」
身を乗り出しているロナルドの顔面に頭突きをするような勢いで頭を下げそう叫んだ。
…………
しばらく待ったがロナルドからの反応がない。場合によっては叩き切られると思い覚悟を決めていたもののまさかの無反応に戸惑いニコが頭を上げてみると。
そこには厳つい顔を隠すように両手を当てて体をわずかに震わすロナルドがいた。
まずい、これはかなり怒っているのかもとニコがもう一度口を開こうとすると
「おお……そうか……ニコ殿。それほど我が娘を………
おしとやかにと言っても聞かず、作法よりも魔法ばかりだったセレナを貰ってくれるのか?
あの伝説の影のニコ殿が」
ニコは予想外の反応に困る。下手をすれば血が流れる覚悟をしていたが、まさかロナルドから涙が流れてくるとは思わなかった。
「えっと……あの、辺境伯様?」
「お義父さんと呼びなさい。婿殿」
「え!?」
ニコはまだセレナと気持ちを伝えあっただけで婚姻はしていないはずだがいきなりのお義父さん呼びに婿殿。
セレナもセレナで呼び捨てを強要してくるあたり親子なんだろうか。そう思うが、問題はそこではない。
「えっと辺境伯………お義父様。あの僕はまだ爵位などセレナにふさわしい立場が」
辺境伯と呼ぶと悲しそうにするロナルドにニコは思わずお義父様呼びをしながら、本来必要な手順。自分の功績や立場など一切考慮されずに進む流れに思考が追いつかない。
「そのようなものどうとでもなる。良いか?セレナをそこまで思い、かつ実力、人柄共によい人材など私が捨て置くはずがなかろう」
「あれ?僕の……覚悟は?」
「何を水臭い事を言うんだ婿殿。私はもともと貴殿を高く評価している。娘の件がなくともいずれはと思っておったわ」
ハッハッハ。と先ほど泣いていたかと思えば今度は豪快な笑い声を上げている。
ニコは事がすんなりと進み良かったはずがどこか釈然としない思いが募る。
「おお、そうだ婿殿。今日は泊まっていかれよ。セレナの部屋が良いか?だがさすがにまだ婚約前だ。今日は別室だ。同室が良ければ時期を待つか大きな功績を持ってくることだな」
一瞬。本当に同室にされてしまうのかと思ったもののさすがに別室を案内され、ニコは良かったようなもったいないような二つの感情が混ざる。
部屋に戻る前にセレナに一言声をかけようとセレナの部屋を案内してもらうと。
「お父さまは顔が怖いだけです。大きな笑い声が聞こえて安心しましたわ。これからもよろしくお願いしますね。ニコ様」
セレナの言葉を聞いてあの迫力が無意識なのかよとそれもまた驚くことになる。
長かった一日を終え横になったニコは、なんだかんだこの親子には敵わないんだなと一人納得するのだった。




