012-光の消える日
いったい、どこからそんな勇気が湧いたのか、わたし自身にも分からなかった。
積もり積もった悔しさのせいか、それとも、あの一瞬、心の針が狂ってしまったのか——。
わたしは彼を真っすぐに見据えたまま、歯を噛みしめて言った。
「……そうよ。あなたじゃなければ、誰でもいい。」
言ってしまったと気づいたときには、もう遅かった。
その言葉の残酷さに、自分でも身が震えるほどだった。
「もう一度、言ってみろ。」
坂本理光の声は、まるで氷の刃のように冷たかった。
手首を強く握られ、指の跡が残りそうなほどに痛んだ。けれど、それでもわたしは目を逸らさず、唇を震わせながら、ひとことずつはっきりと言い放った。
「坂本理光……あなたがいなきゃ生きていけないとでも思ってるの? 勝手にお好きな女のところへ行けばいいじゃない。」
胸の奥が焼けつくように熱く、喉が詰まりそうだった。
泣きたくなんか、なかった。絶対に泣いてなるものか、そう思っていたのに——。
気づけば、涙は頬を伝って落ちていた。
彼は黙ったまま椅子から立ち上がり、背もたれに掛けてあった外套を取った。
その仕草は、あまりにも静かで、あまりにも丁寧で……まるで、胸の奥に何かを押し込めているかのようだった。
罵りの言葉もなく、手をあげることもなく、ただ一度だけ、わたしを見た。
その眼差しに宿るもの——それは、怒りでも憎しみでもあるが、それだけではなかった。
言葉にできぬような、深く、沈んだ哀しみが滲んでいた。
わたしは泣いた。
本当に、彼を困らせたくてやったわけじゃない。
どうしたら、うまくやれるのか……わからなかっただけなのだ。
あの頃、ただ彼の背を見ただけで、心が騒いで、顔が赤くなった。
怖くてたまらなかったのに、それでもこっそり目で追ってしまった。
胸が痛いほどにときめいて、呼吸すら忘れるような想いが、わたしのなかにあった。
——彼は、それを知らない。
わたしの瞳に光が宿っていると、彼はよく言っていた。
その光はどんなものだったのだろう?
きっと、雨上がりの障子越しに射し込む日差しのような、かすかで、きらきらした輝き。
あるいは、少女が初めて恋をしたとき、胸のうちに芽生える、愚かで純粋なよろこび。
わたしは、たしかに、そういう目で彼を見ていたことがあった。
ときめきと羞じらい、そして……ほんの少しの、夢見がちな憧れとともに。
けれど、今のわたしはもう、彼の背を追ってはいない。
——あの日、雨が降っていた。
傘を差しながら、手拭いを差し出したとき、道の向こうに一台の自動車が停まった。
「坂本家の理光様だ。」
誰かがそう囁いたのを、耳の端で聞いた。
わたしは振り返らなかった。けれど、胸が一度、高く跳ねて、そのあと静かに沈んでいった。
——やっぱり、あの人の言うとおりだった。
わたしたちは、もう終わらせるべきだった。
だから、婚約を解いた。それは、彼のためでもあり、わたし自身のためでもあった。
……まさか、彼があそこまで冷たく、何も言わずに立ち去るとは思わなかったけれど。
あとで人づてに聞いた——
「もう、あの子がどうなろうと、俺には関係ない」と、彼は言ったのだと。
関係ない、なんて。
わたしがすぐに誰かに手拭いを差し出して、ほんの少し顔を赤らめただけで、
彼は、わたしがもう他の誰かを愛しているとでも思ったのだろうか?
……けれど彼は知らない。
わたしだって、彼を恨んでいるのだ。
どうして、あんなにも簡単に、先に去ってしまったのか。
わたしの中の、ほんのわずかな温もりすらも、なぜ奪ってしまったのか。
それなのに、今になって、なぜと問う。
なぜ……? そんなこと、わたしにだって分からない。
ただ一つだけ、はっきりしているのは——
もう、あの人のために、わたしの瞳が輝くことはない、ということ。