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第9話 先生、ごはんって言いました?

空が赤くも青くもならないまま、じわじわと光を失っていく。

忘却の庭の“夕暮れ”は、まるで思い出せない夢の終わりのようだった。

どこか寂しく、そして静かで。

風はなく、鳥も鳴かず、空の端にかすかに浮かぶ光の糸すら、輪郭を忘れたようにぼやけていた。

 

「……ここって、本当に世界の一部なのかな」

 

思わずこぼれた言葉に、隣を歩く先生は答えない。

ただ立ち止まり、無言のまま荷を下ろす。

空を見上げることもなく、淡々とした声で言った。

 

「日が落ちる。ここで野営する」

 

迷いも迷惑も、一切の感情をはさまないその声音。

それなのに、どこか安心してしまうのは――きっと彼の立ち姿のせいだ。

 

薄闇に溶けかけた黒衣の裾。

整いすぎた横顔は、光がなくても美しくて。

研がれた刃のような眼差しが、周囲の空気さえ統べているようだった。

 

先生は、手早く荷をほどくと、土に風除けの魔術陣を刻みはじめた。

円と線が描かれるたび、ふわりと空気のざわめきが静まっていく。

風が止み、温度が保たれ、仮の夜の居場所が整っていく。

 

「……本当に人間?」

またそんな疑問が一瞬、胸をよぎって――すぐに振り払う。

 

エリセも見よう見まねで荷物を探る。けれど、


 

「うそ……全部、ダメになってる……」

 

バッグの底に密封していた携帯食糧が、信じられない早さで変質していた。

膨らんだ銀色のパック、溶けて混ざったどろどろ、ところどころの緑の斑点。

鼻をつく異臭に、慌てて蓋を閉じる。

 

「保存食が“記録された通りの時間”を保てるとは限らない土地だからな」

先生が背を向けたまま、ぽつりと言う。

 

「食料や薬のようなものはここでは、時間も忘れられる」

「ちょ、ちょっと待って……え、じゃああたし、今日ごはん抜き!?」

 

動揺するエリセに、先生がちらりとだけ目を向けた。

 

「歩きながら調達してある」


そう言ってから、ふと付け加えるように呟く。

「記録されたまま動かないものは、影響を受けやすい。

保存食のように“時間を封じた”ものは特にな。逆に、服や道具は今も使い続けているぶん、時間の干渉を受けにくい」

言いながら、先生は自分の黒衣の裾を軽く払った。

たしかに、特に傷んだところはないように見える。

「ここでは、“止まった時間”ほど壊れやすい」

その言葉が、妙に怖かった。

 

けれど、先生が無造作に袋から取り出した、"道々調達した食材”を目にした瞬間――

何もかもがあたしの頭からぶっとんだ。

それはもはや食材と呼んでいいのかも怪しい、未知のブツたち。

 

ゼリー状の紫の果実。

青白く発光している根菜。

乾燥したなにかの甲殻。

極めつけは、色のない苔のような物体。

 

「……なにそれ、絶対やばいやつじゃん。見た目が反倫理……」

 

「毒性はないし、食べられる。味も、致命的ではない」

 

「先生……“致命的じゃない”って言葉、普通は食べ物に使わないんだよ……!?」

 

 

 

火が灯り、鍋が置かれる。

先生は素材を迷いなく刻み、焼き、煮ていく。

調味料らしきものは使わない。

代わりに、魔術式をいくつも重ねて素材を変質させていた。

 

これはただの拾い食いじゃない――“調理”だ。


………たぶん、調理……で、あってる?

というか、今なんかの根っこに術式刻んでたよね?

そうゆうのって、薬の調合じゃない?

 

見たよ。あたし、見たからね。

エリセは眉を寄せ、半分目を閉じながら、黙って先生の手元を見つめていた。

沈黙。完全なる沈黙。

 

先生はたぶん通常運転。

あたしは口を開いたら絶対変な声出る。

そんな緊張感あふれる、野営の調理風景。

 

やがてできあがったのは――

雑炊と、団子。数個(明日の朝と昼ごはん用らしい)。

 

灰色がかった麦がぼそぼそと水を吸っている雑炊。ちょっとぬめってる。

団子は無音の苔を固めたような見た目で、色も匂いも「情報がない」。

 

「……これ、食べ物?」

 

「害はない」

 

……うん、知ってた。そう言うと思った。

 

「…………死ぬほどまずいなら、怒るからね?」

 

怒れる立場じゃないのはわかってる。

でも一言くらい言わせてよ、この気持ち。

 

一口。


口に入れた瞬間、ざらりとした麦の舌触り。

ほんのり土っぽく、喉の奥にだけ微かな苦味が残る。

けれど不思議と、胃がぽっと温かくなった。

 

「灰麦は味以外に記憶干渉がない。それが、利点だ」

 

「逆に怖いわっ……!」

 

エリセは半笑いで、二口目に手を伸ばした。

あ、これ光ってたやつ。今は光ってない。

……ゴムみたいな食感。味は、しない。

雑炊のぬめりの正体は、たぶんこれだ。

 

「《とうらんこん》という。栄養価は高いが、消化に時間がかかる」

 

……他にも2、3種類具が入ってたけど、もう説明はなかった。

先生の表情が「もう聞くな」って語ってる。

ちょっと目が死んでる。

――いや、あれは……疲れてる? 珍しい。

淡々と魔術で生きてるみたいな人なのに、なんだか今はちょっとだけ“人間っぽい”。

――こんな表情もするんだ。

これ以上どうにもならない雑炊の味に、うっすら心が折れてる先生の顔。

 

……そのことに、なんかちょっと、安心してしまった。


 

夜が落ちる。

忘却の庭の夜は、昼よりも深く静かだった。

火を囲み、わずかに残った湯気の向こうで、エリセはぽつりとつぶやいた。

 

「先生って、意外と……生活力あるんですね」

 

「必要だしな」

 

それだけ言って、また黙る。

けれど、その横顔を見ていると――ふと、不思議な安心感に包まれた。

 

どこにいても、どんな状況でも。

先生がそばにいてくれれば、きっと“命をつなぐ術”はある。

 

そう思えたのは、きっと――

彼の冷たさの奥にある、静かな強さに気づいたからだ。


 

――名前さえ教えてくれない人だけど。

 

 

ちなみに、翌朝食べた団子はゴムのような弾力だった。

味は、なかった。なさすぎて、逆に怖い。

 

まるで、口の中から記憶が削れていくみたいだった。

昼食は、歩きながらこれを食べる予定らしい。

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