第78話 暴神の軽い神罰タイム
ネクレオスは、すっと立ち上がると、店の中央――拘束具で縛られ、重なり合うように倒れている捕縛者たちの“山”へ向かって歩く。
割れた酒瓶や皿を踏まないように、黒い靴がさらりと軌跡を描く。
その山の前で立ち止まり、眠りこけた男たちをぐるりと見渡した。
「……よし。ほな、起こそか」
小さくつぶやいた声は、店の静けさに妙に響いた。
パン!
両手を打ち鳴らすと、黒い稲光が床を走り、眠らされた者たちの体をチクリと刺す。
「うっ……!」
「ぐ、え……!」
「っ、な、なんや……っ!」
全員が同時に苦しげに息を吸い込みながら、ばらばらに目を覚ました。
店内には、眠気混じりの呻き声と、“状況を理解していない焦り”が満ちていく。
ネクレオスは、そんな混沌を前にして一歩だけ前へ。
黒いローブの裾が、割れた皿の上をさらりと掠めた。
「よっしゃ。これで全員起きたな」
声はやけに明るい。
それが余計に、不気味だった。
「ほな、ここからは……遊びの時間や」
懐から小さな銀貨をつまみ上げ、月光の下で軽く揺らす。
「今からこのコイン使って賭けするで。
オレが投げて、手の甲で受ける。
裏か表か、どっちか当てたら――好きに逃がしたるわ」
「……逃がす、って……」
「ああ。好きに帰ってええよ? ただし――」
手の甲を返す前に、くいっと首を傾けて笑う。
「負けたら、“神罰”。
しゃっくり連続30分間コースな」
その声には、やさしさも怒りもなくて、ただ冷えた夜の空気だけがあった。
「し、しゃっくり?」
「神罰……?」
何人かの顔がぽかんとした瞬間、ネクレオスは軽く指を鳴らした。
ぱち――。
青い雷光が床を走り、一番近くの男の横隔膜をかすめる。
「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……!」
男は突然しゃっくりを繰り返し始め、苦しげに喉を押さえた。
「こんな感じや。
息がうまく吸えんやろ?
30分続いたら、肺が悲鳴あげるで」
しゃっくりを起こした男が青ざめながら頷き続ける。
ネクレオスはその様子を一拍だけ見つめ、
「――もうええわ、試しやし」
と呟いて、指先でそっと空気を払った。
微かな雷光が男の胸元へすっと染みこみ、しゃっくりの痙攣がぴたりと止まる。
男は肩で荒く息をしながら、床に手をついた。
ネクレオスは捕縛者たちを見渡し、にやりと口角を上げた。
「ほな、コイン勝負開始や。」
指先でコインを弾き上げながら、淡々と言う。
「しゃっくり止めたかったら、オレの質問に正直に答えんとあかん。
頭を軽く上げて、オレの方を見たら“答える気ある”の合図や」
間を置いて、少しだけ笑う。
「合図しといて嘘ついたり、黙ったりしたら……
地獄の“60分間連続しゃっくり”コースやな。
こっちは救済なしや」
「ひ、ひぃ……!」
「ええ子らや。
ほな行くで――第一回目」
コインが弧を描いて宙を舞う。
金属の光がくるくる回りながら、天井の灯りを細く裂いた。
ネクレオスは迷いなく手の甲でコインを受け止め、そのまま――堂々と見せた。
表。
一瞬、場の空気が固まる。
(…………あれ?)
(え、隠さねぇの……?)
(……え、これ普通に当てればいいだけ……?)
急すぎる“優しさ”に、捕縛者たちがざわつく。
誰もが疑い半分・助かるかも半分で顔を見合わせる。
(所詮はガキって事か!)
(“表”って言えば……!)
(……助かる!!!)
そう思った瞬間、一人が震える声で言おうとした。
「おっ…………“お、”…“おも……”?」
だが。
喉の奥が、ぎゅっと軋むように固まった。
出てくるのは――
「……う……裏っ!」
「!?!?」
叫んだ本人がいちばん驚く。
「ちょ、お前、何言って……ちげぇだろ!?
○○○って言おうとしたんだよ!!
でも、声が……勝手に……! 裏しか出ねぇ!!」
周りも次々に気づき始める。
(言おうとしても……言えねぇ……?)
(なんだこれ……声が……勝手に“裏”になる……!?)
恐怖が一斉に走って、場がざわざわと揺れた。
その中心で、ネクレオスは薄く笑っていた。
「ん? 誰も“表”って言わへんの?
見えてへんの……?」
彼は、わざとらしくため息をつきながら言葉を落とす。
「ほな、――時間切れや」
ぱちん。
次の瞬間、捕縛者全員の横隔膜がぞわりと痙攣し――
「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……!!」
しゃっくりの嵐が店内を支配した。
男たちは息も絶え絶えになりながら、互いに視線を交わした。
ネクレオスはその中心へゆっくり歩いていき、しゃっくりに揺れる男たちをひとりひとり見渡した。
「――お前らを雇ったやつは誰や?」
静かに落ちた問いに、しゃっくりの苦しみに耐えながら、端の男がそろりと顔を上げた。
涙目のままネクレオスを見ると、その男のしゃっくりが、ぴたりと止まる。
それを見た隣の男も、またその隣も、
ひっ、ひっ……と途切れながらも、助かりたい一心で頭を上げる。
すぐに”ぱちり”とネクレオスの大きな黒い瞳とまっすぐ重なった。
まるで視線そのものに魔術が宿っているかのように、
ひっ、ひっ、と続いていたしゃっくりは、すうっと静かに消えていく。
ネクレオスは小さく口角を上げ、指先で銀貨をくるくると回した。
やがて、捕縛者全員がネクレオスへ視線を向け、店は奇妙な静寂に包まれた。
ネクレオスは、まつげをふわりと伏せるようにしてうなずいた。
どこか“お行儀よく待ってました”みたいな、妙に上品で、年相応の可愛らしさを帯びた仕草だった。
「……ほら、答える番やで?」
そのときだった。
「……ふざけやがって……!」
拘束具の擦れる音。
男のひとりが、無理やり腕を引き抜き、よろめきながら立ち上がった。
「ガキが……! 舐めやがって!」
殴りかかろうと、一歩踏み出す。
ネクレオスは、顔を向けなかった。
ぱち。
指を鳴らしただけ。
次の瞬間、男の体がびくりと跳ね、
雷に打たれたようにその場に崩れ落ちる。
声は出ない。
白目を剥いたまま、泡を吹いて痙攣する。
「……あ」
誰かが、息を呑んだ。
ネクレオスはようやく振り返り、床に転がる男を見下ろす。
「逃げるか、殴るか考える余裕あるなら、
質問に答えた方が、ずっと楽やで?」
それ以上、誰も動かなかった。
男たちの喉が、ごくりと揺れる。
最初に頭を上げた男が、恐怖で顔をひきつらせながら口を開く。
「……星界回帰派だ……」
ネクレオスの指先が、ぴたりと止まる。
「どこの拠点や」
「……んなの知るかっ!……!
けど、報酬を持ってきた仲介人が……
星界式の封蝋を……青白く光る、あの……」
「……あぁ」
短く、それだけ言うとネクレオスは微笑んだ。
その笑顔は柔らかかったが、男たちの背筋はさらに凍った。
「ほな次――」
銀貨が、指先でまた弾かれる。
ぱちん。
月光に溶けるように、銀の軌跡が空を舞った。
「――誰、狙た?」
沈黙が落ちた。
だが次の瞬間、後ろの男のひとりが悲鳴を上げるように叫んだ。
「エリ、エリセってゆう女だよ!!
“若い亜麻色の髪で、魔術の気配が薄いやつ”を連れて来いって……!」
ネクレオスの瞳が、すっと細まった。
空気が、わずかに震えた。
雷の匂いが強くなる。
「理由は?」
「知らねぇよっ……!本当なんだ、信じてくれっ」
その瞬間――ネクレオスの背に、低い雷鳴が生まれた。
「……へぇ」
静かで、冷たくて、底が見えなかった。
「ほな、裏表、どっちやと思う?」
男たちは震えたまま、腹の上から両手で横隔膜を抑えつける。
しかし誰も正解できないゲームが何度も繰り返され続けるのだ。
ネクレオスが飽きるまで。
その夜の店内に、小さく乾いた銀貨の音がいくつも響いた。
月の光が揺れ、倒れた仲間の間で、ネクレオスの影だけがゆっくりと大きく伸びていた。




