第76話 展示会打ち上げ ―『置き逃げ被害報告書・第一号 』
展示会の後片付けが終わる頃には、もう夕焼けが街を包んでいた。
各国の技師たちはそれぞれの馬車や転移装置に荷を積み込み、
祭りのようだった会場も、今はただ静かな風の音だけが残っている。
「え? ラゼルさんと一緒にいた黒いローブの魔術師さん?」
オルディアの若い技師が、エリセの問いに首を傾げた。
「さぁ……ラゼルさんと先にオルディアに向かったって思うけど。
イリディアさんの代わりに護衛してもらうって聞いたけど?」
その瞬間、エリセの表情が、ぴしりと固まった。
胸の奥が、わずかにざわついた。
――何も言わずに行くなんて、そんなはずない。
◇
展示会の打ち上げは、思った以上に盛り上がっていた。
賑やかな店内。香ばしい肉の匂いと、グラスのぶつかる音。
エリセは、久しぶりに肩の力を抜いて笑っていた。
ユフィもカークもフレイも、皆、達成感に満ちていた。
「エリセの先生、今日見かけなかったよね。
術規の女の子たち、すっごい探してたよ」
ユフィは、揚げポテトを一本つまみ上げ、杖みたいに振りながら言った。
――その言葉が、場の空気をぴたりと止めた。
「……一言もなしってありえないよね」
グラスを置く音が、カシャン、と高く響いた。
エリセが眉をひそめて、ストローをぐるぐるとかき回す。
「え、えっと……何が?」
ユフィが気まずそうに笑う。
「ネイムさんと一緒に出国したの。
あたしに一言もなしで」
エリセが身を乗り出す。声のトーンが上がった。
「あぁ!なるほ……いや、その、忙しかったんじゃ――、
ほら、普段も見かけないことが多かったし」
「そもそも、ネイムさんが連れてきたから……
ネイムさんと一緒にいなくなってもおかしく……ない。」
エリセがグラスを勢いよくテーブルに戻す。
カシャン、と再び氷が鳴った。
「でもねぇ! あたしとだって、知らない間柄じゃあるまいしっ!?
ちょっとくらい“行ってくるね”の一言言えないの!?
“また来る”とか、“元気で”とか、言葉あるでしょ!? 人間なら!!」
「え、あいつ……人間か?」
「人間よ!!
目も耳もふたつで、口も鼻もひとつずつ!
手足の数だって指だって同じ!
……ちょっと整ってて、声がよくて、言葉が少なくて、
それでなに!? 人の心を置いてくのが人間じゃないって言うの!?」
「……(フレイ、無言で酒をあおる)」
何も聞こえなかった。
聞かなかった。
聞こえなかったことにした。
彼はそれを、飲み干す技術で誤魔化すことに長けていた。
そして運がいいことに、ここで毎回火消しを失敗するくせに介入してくる強者がいた。
「お、おい落ち着け、エリセちゃん……論点ずれてるぞ……」
「カークは黙ってて! あんたにわかる!? あの“背中の置き逃げ”の破壊力!!!」
「“背中の置き逃げ”って何だよ!?」
「振り返らないのよ! 一回も! “どうせまた会う”みたいな顔して!!」
「……いや、語彙が強いな!?」
ストローをくわえたまま、ジュースを一気にあおぐ。
ユフィは、口をもぐもぐさせながら小声で呟いた。
「……それは怒るやつだ」
「あの顔だけでもずるいのに。
あんな静かな目で、“全部見えてます”みたいな顔して! こっちは毎回バグるのよ!!!」
「……あの、エリセ?」
ユフィが恐る恐る口を挟む。
手には、いつのまにかポテトが一本。杖みたいにくるくる回している。
「その……先生って、実は特別な人——?」
「違う!!!」
椅子が軋む。
「そういうのじゃないの!!!
でも!別れの挨拶は恋人以外でもするでしょ! 省くなんて!!」
「……ん?」
(時と場合によっては省くこともあるよね)
——ユフィは言葉を飲み込む猛者だった。
「“関係が壊れた”わけでも、“進んだ”わけでもなくて!
ずっと“省略OK”のままなのよ!?
これって“恋の地獄”よね!!!
恋じゃないけど!!!」
(((なんだろう。結局、素地に『恋』があるようにしか聞こえない)))
酒場の奥で、誰かがふはっと笑った。
エリセはそちらをぎろりと睨む。
「エリセ……ネーミングセンスあるな」
「褒めてない!!!」
「なに笑ってんの! 笑いごとじゃないんだから!!
またよ!? また置いてかれたのよ!?」
「……また、って前にもあったのか」
カークが、半ば呆れたように尋ねた。
「前はもっと酷かった!! なんの前触れもなく――名前だけ言って、突然背中押して!! 別の場所に転送!!」
「……は?」
カークが目を丸くする。
「どこに対して突っ込んだらいいのかわからんが、人を転送って、そんなことできる魔術師がいるのか!?
普通、荷物だけだろ!? 重くなればなるほど膨大な魔力が必要になるって、展示会のときだって言ってたじゃないか!」
確かに、展示会で使われた転移装置は、壊れやすい軽量物の回収が限界だった。
人間ひとりを“無傷で”転送するなど、まず不可能――常識では。
「うん、だから余計にムカつくのよ!!」
エリセはテーブルを叩く。
「そんな非常識なことを“当たり前”みたいな顔してやるんだから!!」
「……つまり、あんたを抱えて転送したってこと?」
「背中を押されて、気づいたらルザリオ王城の前に一人で立ってたの!
“だいじょうぶ、きっと君なら行ける”とか言い残して消えるの! だいじょうぶじゃないっつーの!!!」
隣のユフィが、肩を震わせて笑いをこらえつつポテトをかじる。
フレイは腕を組んで、しばし考え込む。
さっきまでの騒ぎとは別のところに、引っかかっている様子だった。
彼は腕を組んだまま、グラスの縁を指で叩いた
「……名前を言ったって、今お前言ったか?」
「え?」
「魔術師ってのは、名前をそう軽々しく言わねぇんだ。」




