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第71話 火に油を注ぐ学会クラッシャー

しばらく歩くと、鉄と油の匂いが鼻を刺しはじめ、空気が重く沈む気がした。

エリセは胸の前でパンフレットを抱えなおし、小さく息を吐く。

(……ネイムさん、どこ行ったのよ)

通路を抜けると、唐突に視界が開けた。

重厚な鉄の香りが漂うヴァレクシアの展示区画。

中央の台座には、空間守護用の風属性魔術具《エンリルの歯車》が鎮座していた。

けれども、その姿はどこか冴えない。

「くそ……結局こいつは動かんのか?」

「時々は青光してたんだがな。あの騒動以来、ずっとこの調子だ」

ヴァレクシアの技師たちは歯車を囲み、罵声を飛ばしあっていた。

「俺たちの声には応えやしねぇくせに……あんなオルディアの連中にだけは反応しやがってよ……」

「オルディアだけじゃないだろ、あの黒っぽい灰色の外套の小奇麗な奴も……!」

「なぁ、“異国の風”に浮気する道具ほど腹立たしいものはねぇな……!」

苛立ちが熱を帯び、空気がぎしりと軋む。

その中で、彼らに話しかけた人物がいた。

「――あんたたち、その考え方はやめた方がいい」

いつの間にそこにいたのか。

エリセは思わず、半歩だけ後ずさる。

(どこから湧いて出たの、この人……)

少し鼻にかかった声。芝居がかった口ぶり。

レジットだった。

「俺も魔術具に携わる者として忠告するけどな。

 愛情だろうが憎悪だろうが、道具に感情を向けるのは危険だ。

 感情を押し付けられた道具は、呪具に堕ちる傾向があるって。

 ……前にラゼルさんが、学会でそうおっしゃっていた」

ヴァレクシアの技師たちが顔を見合わせた。

空気が一瞬、ひやりと変わる。

「“扱う者が起こしたことには、扱う者が責任を負うべきだ”――とも。

 ご存じないですか? 結構、有名な話なんですけど。

 ——あ、俺は術規のレジットといいます」

わざとらしい笑み。

あたかも自分がその言葉の主であるかのように胸を張る。

(……出た、ラゼル語録の棒読み引用……)

エリセはこめかみを押さえた。

その唐突で熱っぽい語りに、ヴァレクシアの一人が苦笑した。

「……いや、待った。それって――まさか“あの”学会の話か?」

別の丸眼鏡の男が額に手を当てる。

「俺、現場にいたんだよ」

レジットの目がぱっと輝く。

「――――っ! 本当かっ!?

 あの時、ラゼルさんの声は神の信託のように会場に響き渡ったって……!

 出席者が皆、彼の深い知見に涙したって聞いてるんだがっ!

 ……ぜひ、あの伝説の学会の“空気”を教えてくれっ!」

食いつくように前のめりになるレジット。

その勢いに、エリセは思わず一歩、後ずさった。

むろん無意識だ。

(……また始まった、ラゼル崇拝モード……)

けれど耳だけは、ちゃんと彼らの方へ向いている。

話の流れが気になる。

「空気っていうか、煙だったな」

男の声は、少し掠れた。

「煙?」

レジットがぽかんとする。

男は苦笑しながら、ようやく自分の名を名乗った。

「ヴァレクシア技師団のチャールズです。

 魔術具が所有者の感情を忖度して、普段とはちがう動作をとった——『心を持つ道具、“自立型魔術具”だ』と壇上で発表した大御所の教授に、傍聴していたラゼル=ネイムが灰皿投げつけたんだよ」

「な……っ!?」

「『ばかかっ! そりゃただの呪具堕ちだ!』って怒鳴り散らしてさ。

 “道具が人の心を読んで忖度する?” そんなもん幻想だ、この猿が!――だったかな」

場にいた全員が固まった。

「大御所が『若造っ、儂の理論が理解できんか』って返したら、

 今度はラゼル=ネイムが机を蹴っ飛ばして――

 『理解が足りてないのはお前だ、老害!』って、叫んだんだ」

「すぐに中継切られて、魔導院の警備が何人も駆けつけて……議長は泣いてたな」

チャールズの笑いは、途中で音を失った。

頬から色が抜けていく。

唇が白く乾き、目の焦点が少しずつ遠のく。

「……あの時、ラゼル=ネイムが投げた灰皿のたばこの火が大御所の髪に燃え移ってさ、煙が会場中に広がって……みんなが涙したのは、煙が染みたのと咳でむせただけだ。

 神託っていうより、火災報知の音が響いてたな」

その頃には、場の誰も笑っていなかった。

技師たちは目を伏せ、レンズの奥で瞳がわずかに震える。

チャールズの声も、顔色も、だんだんと萎んでいくようだった。

ただ一人、レジットを除いて。

「そうか! つまりラゼルさんの言葉に炎の祝福が宿ったということか! さすが神!!」

「いや、普通に燃えただけだって!」

チャールズが呆れるのも構わず、目を輝かせてレジットは彼の両手を掴み、

「その時の熱量! ラゼルさんの表情や火花の物理構成もぜひ詳しく!」

ついに点火したレジットのマシンガントークに、チャールズがたじろぐ。

エリセはその二人を眺めながら、考える。

(……呪具堕ち……? なんか、聞いたことがある言葉のような気がする)

……なぜかぼんやりと、黒い瞳を思い出す。

静かで冷たいのに、底には確かな優しさがある――ツィグナトの目。

けれど、思い出そうとするほど遠く霞んでいく。

エリセは小さく首を振り、そっとその場を離れた。

そのとき――遠くの区画で、ドンッと鈍い爆発音が響いた。

続けて「火だ!」「水を!」「氷でもいい、早く!」「魔術師はどこだ!」と、

騒然とした声が幾重にも重なり合う。

会場の天井がわずかに震え、照明の光が一瞬、明滅した。

彼女は思わず足を止めたが、館内放送もなく、すぐに音も遠のいていったので、

(……大丈夫、かな?)

とだけ思い直して、再び歩き出した。

後ろではまだ、レジットの熱狂が続いている。

笑い声と喧騒の向こう、不思議と彼女の胸の奥だけが静かだった。

――その静けさの中で、ふと歯車の存在が意識に浮かぶ。

歯車は、そんな嘆きを聞きながらも震えることひとつせず、

ただ、存在の奥に“怯えの残響”だけがこびりついていた。

光が当たるたび青白く曇り、まるで痛みの記憶を擦られたように軋む。

恐怖とはもう、思い出すものではない。

ただ、反応だけが残っている。

(かわいそう……完全に心が折れちゃってる気がする……)

エリセはそっと視線を逸らし、ラゼル=ネイムを探すため歩みを速めた。

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