第7話 え、なんで?/狭い・寒い・動けない、なのに先生はスルスル進んでいく件
気づけば、足元の水がひたひたと、じわじわと、増えてきていた。
「先生……水、上がってきてる」
ふと我に返ったエリセの声に、先生は視線を巡らせた。
黒衣の裾を払って立ち上がる。
その手には、いつの間にか光る小石があった。
「……出口を探す」
「えっ、もう? この光の空間、もっと見てたいな……」
「沈むぞ」
「わかりました、はい、行きます」
先生は、淡く紫光を放つ魔術陣を刻んだ小石を、分岐や目印になりそうな場所に一つずつ設置していく。
魔力を感じる微かな振動が、空気を震わせた。
「これ、なに?」
「位置標。なにかあったときのための目印だ」
合理的で、迷いのない動き。
慣れてる、って感じでもないのに、やけに自然。
……経験じゃなくて、判断力とか落ち着きの問題?
どんな場所でも、すっと馴染んで対処できる人なんだ――って思った。
「先生、なんか……探検家って感じしますね」
「違うが」
……即答。
でも、ちゃんと返してくれるのが 、ちょっとだけ嬉しい。
そんなときだった。
岩壁の隙間――人一人がぎりぎり通れるかどうかの、裂け目のような細い横穴を見つけた。
「あ……ここ……風、きてる」
完全な闇がぽっかりと口を開けている。
そこから冷気が吹き込み、肌が総毛立った。
腰に吊り下げた《灯》から漏れ出す、かすかな光が横穴の奥へと、まるで吸い込まれるように伸びていく――。
「出口かもしれない……?」
「可能性はある。だが狭いな……」
不安を押し隠すように、エリセは先生の顔を見上げる。
白磁のような肌、冷たい目元。
まるで人形のように整った顔立ち。
でも、その背中があるなら。
この暗闇にも、迷わず進める。
「先生が一緒なら、行ける。行きます」
小さく頷いた先生の後に続き、岩の裂け目へと身を滑り込ませる。
――とんでもなかった。
「っ、うそ、これ、せま……!?」
匍匐前進――なんて甘かった。
実際は、肩も膝も擦りながら、這いつくばって進む羽目になった。
ゴツゴツした岩に肘をぶつけるわ、何度も頭を打つわ、まさに満身創痍。
なのに先生はというと――
「……え、え、先生、進むの速っ!?」
「重心を分散させろ。抵抗を最小限にできる」
「だからそれを最初に教えてよー!」
情けない声が、洞窟に反響する。
その瞬間、ズルッと手が滑った。
「ぎゃっ――!」
ヒヤッとする。
――足が、つかない!
身動きが取れない。首も、頭も、動かせない。
心臓がバクバクして、涙が滲む。
「う、動けない……挟まった、みたい……!」
「――息を吐け。肺を縮めれば通れる」
「せ、先生ってば、冷静すぎじゃない!?」
言われた通り、なんとか呼吸を整え、身体をよじろうとした――そのとき。
スル……ッ。
な、なにかが、冷たくて、細長くて、つるっとして、硬質な……っ!
「ひっ……!?!?」
ちらりと視界に入った、洞窟の闇よりもずっと、黒……漆黒の……蛇!!?!?!?
手首、肩、胸、腹、腰、太もも――
信じられないほど滑らかに、その最悪な生き物が、
あたしの身体をつたい、絡みついてきた。
「Nooooooooo!!」
スル……スル……。
体が、蛇に押され、引かれ、まるで操られてるみたいに動かされていく。
「やめてええええ!!! これっ、先生の!?!?
あ、あ、あ、あ、あ、ありえないぃぃぃぃっ!?!?!?」
なんとか狭い場所を抜け出した瞬間、
あの黒っぽい蛇は、影のようにどこかへ消えていた。
息も絶え絶え、肩で呼吸しながら、ローブの裾を睨む。
「ぜっっっったい! あとで文句言うからね……!!」
そう呟きながら、あたしは足を震わせつつ、また前へ進んだ。