第69話 聖樹の葉、研究者たちの魂を奪う
透明な結界の内側に安置された聖樹の葉は、白銀の霧をまとい、夜空の星々を映していた。
風もないのに、細やかな光が葉脈のひとすじひとすじをめぐる。
まるで、世界が息をひそめてその鼓動を聴いているかのようだった。
触れることは許されていない。
けれど、見つめているだけで胸の奥に澄んだ流れが通う気がする。
それが“聖樹の葉”と呼ばれる所以だった。
「見ろよ、“魔力の源流”そのものだ……!」
「これがあれば再生型の術具も夢じゃないぞ! いや、むしろ自己循環型——心臓の代用が出来そうな気がする……!」
「死の概念の書き換えが……!」
オルディアから来た技師たちが、半ば恍惚とした顔で聖葉を見つめていた。
目の下には深い隈、手にはびっしり書き込まれたノート。
その眼差しにはもはや神聖さなどなく、“最高の素材”を見つめる職人の熱だけが宿っている。
「エリセ、あの人たち、もう二時間あの姿勢のままだよ」
ユフィが小声でエリセの袖を引っ張る。
「……呼吸、してるのかな?」
「きっとしてない。あれは魂で息してるタイプだわ」
「こわ……。絶対今夜、夢の中で葉っぱ食べてるよね」
「食べるっていうか、煎じて飲むと思う」
「うわぁ……本格的」
聖樹の葉は、まるで彼女たちの会話にため息を返すように、かすかに揺れた。
小声で話す二人の背後で、カークは目を閉じた。
護衛の位置を崩さぬまま、まるで遠くへ意識を飛ばすように深く息を吐く。
(……伝承だろうが、奇跡だろうが、世界を超える聖樹だろうが……)
(その輝きも、声の熱も、視界に入るだけで頭が割れそうだ)
次の瞬間、耳の奥をくすぐるようなざわめきが走った。
「◎#$”&*――っ! 《反応値》がっ……!」
「……**$%、理論収束っ、相転移が——あぁあっ!」
技師たちの声は、もはや言語というより“呪文の残響”のようだった。
高鳴る声が音の波紋になって、空気そのものを震わせる。
理論式が口の端からこぼれ、興奮で混線し、カークの耳にはすべてが「キィィィン」という耳鳴りに変わっていく。
額の奥に、脈打つような痛み。
脳の中で誰かがノックしているような、ぐわんぐわんとした重圧。
(うるさい……頼む、誰かスイッチを切ってくれ……)
透明な結界の向こうで、聖葉がひときわ強く光を放つ。
その光が彼らの瞳に反射し、まるで信仰の儀式のような熱を帯びていく。
技師たちの世界は、もはや“研究”と“祈り”の区別を失っていた。
カークは、痛みに耐えながら呟く。
「……これ、聖樹の加護っていうより、呪いの方じゃないか……?」
かすれた声に、エリセとユフィは顔を見合わせた。
「……あ、あたし、ネイムさんに引き取り頼んでくる……!」
「うん、早めにね! こっちはもう限界っぽい!」
逃げるようにその場を離れ、エリセは展示区画移動する。
背後では、まだ「◎#$%&*!」という奇声混じりの歓声が響いている。
通路の空気はひんやりしていて、熱気に焼かれた頬にようやく冷気が触れる。
ルザリオの展示区画の出入口付近は別世界のように静かだった。
そこには《魔力調律環》や《結晶記譜器》が並び、
淡い銀光のもとで、かすかに魔力の脈動を刻んでいる。
ただ理論だけが、精密な図式となって美しく封じられていた。
この無機質な美はルザリオが得意とする分野だ。
(前にネイムさんは「魔術具に精緻な美しさは不要」って言ってたけど……
ないよりある方が、あたしは気分が上がるなぁ。
ルザリオの気質なのかな……?
……じゃぁ、さっきの熱気がオルディアの気質……)
段々、怖い思考にはまっていく気がする。
「……あの熱量でも、オルディアの雪は解けないのか……」
ぼそりと呟く。
あれだけ全身で発熱しているのに、よく北の大国オルディアが凍土のままでいられるものだ。
たぶん、変人たちが熱をすべて理論と妄想に変換してるからだろう。
(……まぁ。先生と一緒にいる時のネイムさんよりマシだし……)
肩をすくめながら、足早にオルディアの展示区画へ向かう。
——しかし、そこにラゼルの姿はなかった。
「すまない、逃げられてて……今、捜索しているところなんだ」
オルディアの研究員が、白衣の袖で額の汗を拭いながら、すまなさそうに頭を下げた。
「……逃げた?」
「ええ、朝からどこかに消えて。それが、こういう時だけ“転移封印”を解いてるもんだから」
「……あぁ……うん、なんか納得した」
エリセは、じんわりと眉を下げた。
(ネイムさんのことだから、きっと展示会の裏側とかに潜って、勝手に論争してるんだろうな……)
(久々に魔術具の取扱いに問題なくなったから、きっと理性のリミッター外れてるだろうし)
それなら、とエリセは思い立ち——ルザリオの展示場を指さす。
「あそこの、聖樹の葉に張りついたまま二時間動かない人たち、引き取ってもらえません?」
「……あぁ、すまない。それも無理だ。あいつらは筋金入りの研究バカ共だ。魔術師としての格も向こうが上で実力行使も……」
「筋金入り……」
「あぁ、今も多分、自分達が息をしてることさえ忘れてる」
そこまで真顔で言われ、エリセは「ですよね……」としか返せなかった。




