第65話 霞む光 、倉庫街の狩影 (後編)
そして場面は、静まり返った湾岸倉庫群へと移っていく――。
港湾倉庫群。
真昼の光は、空を覆う倉庫の隙間に斑模様を落とし、裏路地は薄暗く静まり返っていた。
通りには人影もなく、風に揺れる空き段ボールやコンテナの扉が、かすかな音を立てるだけだ。
その片隅で、捕らえられた星界回帰派の末端がうずくまり、長い影が覆いかぶさる。
「……もう一度だけ訊く」
低く、冷えた声。
ツィグナトの指先から零れる光が地面を這い、男の足元に星座のような紋を描く。
「仲間の居所は?」
男は顔を上げるが、恐怖で瞳が揺れる。
「ひ、ひとつだけだ……! 港の奥の倉庫だ! それ以外は知らないっ!」
ツィグナトは片眉を上げる。
「それだけでいい」
瞬間、足元の紋が淡く燃え、男はその場に崩れ落ちた。
命までは奪わない。ただ二度と立ち上がれない程度に魔力を抜いただけだ。
「ずいぶん手加減してるねぇ」
背後からラゼルの声。
袖をまくり、笑みを浮かべながらも目は冷えている。
「もっと派手にやっちゃえばいいのに。どうせコイツら、星界回帰派でしょ?」
ツィグナトは振り返らず短く答える。
「魔力を失えば、どうせ何もできん」
「まぁね」
ラゼルは肩をすくめ、ちらりとセラフィスを見やった。
「セラフィスもこっちに来たんだ?」
蛇の尾を揺らしながら、セラフィスは欠伸まじりに返す。
「お前こそ役に立たぬくせに、なぜ付いてきた」
「ネクレオスがいないからね。君のフォローだよ。ほら──」
ラゼルは瓦礫を拾い、指先で弾いた。
転がった破片の音に、倉庫の影がひるむ。
「今の、気づいた? あそこ。もう一人」
指差すラゼル。
セラフィスは眉をひそめつつも片手を振る。
空気がねじれ、影の中に潜んでいた男が悲鳴を上げて引きずり出された。
「ど、どうして……!」
「余を侮るでない」
セラフィスは鼻を鳴らす。
ツィグナトはわずかに口角を上げた。
「魔術具を除いたら空っぽと思っていたが……頭は残っていたか」
「ひどいな」
ラゼルは肩をすくめる。
「吐け」
ツィグナトが近づけば、空気は容赦なく冷たくなる。
「仲間はどこだ」
ラゼルが口を挟むように小さく言った。
「……まさかナトがエリセを囮にするなんてね」
「囮? ——標 だ」
ツィグナトの声は淡々としていた。
「星界回帰派の連中が、星域にしかない《銀樹》の葉の提供者を狙うのは必然だ」
今も展示会の会場では、ネクレオスが暗躍していた。
エリセを中心に群がる——罠にかかったあわれな不審者たちを、次々に捕えている。
セラフィスの金の瞳が鋭く光る。
「ナト……。あの娘が知れば、泣くぞ。お前が、泣かせる 。——余なら泣かぬが……腹は立つ」
「情報を漏らしたのは、オレじゃない」
ツィグナトは肩をすくめた。
「あぁ、レジットとかゆう奴だ。問題ないな!」
ラゼルは苦笑し、セラフィスの感傷を切り捨てた。
セラフィスは溜息をひとつ吐き、ラゼルに横目で囁く。
「……ナトは、星界回帰派を前にすると、まるで神敵を狩る獣よの。――まったく、そんな目で睨むでない。獰猛なくせに、妙に可愛げがあるのじゃから 」
ラゼルは小さく笑った。
「仕方ないさ、セラフィス。ナトにとっちゃ個人的な戦争だから」
ツィグナトは情報を引き出すと、ためらいなく男を無力化した。
「次は向こうだ。行くぞ」
「はいはい、お仕事熱心で」
軽口を叩きつつも、ラゼルの目は鋭く周囲を探る。
狩りはまだ終わらない。
◇◇◆◇
一方その頃、展示会場。
エリセは聖樹の葉の傍らで、護衛の騎士たちに守られていた。
だが胸の奥は、氷のように冷えている。
(……おかしい。静かすぎる)
小声で呟く。
「こんなに大きな騒ぎなのに、ネイムさんや先生が関わってこないなんて――嫌な予感しかしない 」
彼らが何をするつもりなのか、想像もつかない。
けれど、“何をしようとしても、やりかねない”人たちだということだけは、よくわかっている。
視線の先。柱の影に、黒いものが蠢いた。
蛇。
それを認識した瞬間、全身の毛穴が総立ちになる。
喉の奥がきゅっと縮まり、吐き気のような嫌悪が込み上げた。
あれだけは駄目。世界中の生き物の中で、一番嫌い。見るのも、名前を出すのもいや。
――でも。
ツィグナトの顔が、脳裏に浮かぶ。
(……ああもう。あの人たち、絶対何かやってる )
エリセは額を押さえ、深呼吸した。
(触りたくない。絶対いや。でも、行かないと……どうせ誰も止められない)
覚悟を決めて、指先でおいでおいでと招く。
「アンタ、先生のペットでしょ? ずっと……守ってくれてありがとう」
黒蛇は舌をちろりと出し、怪訝そうに首を傾げる。
それでも近寄ってきた瞬間――
「うわ、無理無理無理……っ!」
叫びそうになる口を噛み締め、息を止め、エリセは黒蛇の首根っこを掴んだ。
「きゅわっ!?」
暴れる黒蛇。
冷たい鱗が掌にぴたりと貼りつく。
けれど、指を離さない。
震える手で潰さないように締め付けながら、エリセはぐっと歯を食いしばった。
「お願い、先生たちのところに連れてって。あの人たち放っとくと、ルザリオの半分くらい吹き飛ばしかねないから」
蛇を抱え、倉庫街の闇を縫うように走る。
足音が木箱や瓦礫に反響するたび、蛇はびくっと体を震わせる。
それでもエリセは前を見据え、冷たい夜風に頬を刺されながら進む。
その夜。
ツィグナトたちが拠点をいくつも潰した静かな倉庫街に声が飛ぶ。
「先生ッ!」
振り返る三人。
そこにいたのは、黒蛇をぶら下げ、頬を真っ赤にしたエリセだった。
「先生! 何してんの!? どうしていつも何でもかんでも壊してんの! 思春期か!」
無残に潰えた回帰派の拠点を睨みつける彼女。
「神の鉄槌――」
と口走りかけたセラフィスの顔を、ツィグナトが掴む。
「……害虫退治だ。お前には関係ない」
黒蛇の小さな嘆息。
「嘘! 先生、あたしを囮にしてたでしょ! 黒蛇ちゃん一匹に尻拭いさせて!」
「……黒蛇ちゃん?」
ラゼルは目を丸くし、次の瞬間に吹き出した。
「ぶはっ! 黒蛇ちゃんて! あはははっ! 駄目だ腹痛い……!」
「おかしいと思ったのよ!」
エリセは涙目で黒蛇を振り回す。
「展示会で聖樹の葉を飾って、”星域の感動を皆にもわけてあげるといい”なんて……先生が考えるわけないのに!」
彼女の抗議を、ツィグナトはただ静かに見つめていた。
フレイが前に出る。
「……ここで何があったのですか?」
ツィグナトは一瞥することも返事を返すこともない。
フレイは思わず眉をひそめ、小さく息を吐いた。
オルディアが誇るラゼル=ネイムがこういった不穏な場所にいる以上、ルザリオの人間として看過はできない。
ラゼルが倒れた回帰派の間を歩き、口を開く。
「ここは聖樹の葉とエリセを狙った星界回帰派の拠点の一つ。他にもある」
彼はルザリオの騎士たちへ視線を移した。
「ルザリオ国内に点在していた拠点はほぼすべて無力化した。成したのは――名前も所属国も不明の特級魔術師によるものだ」
目を細め、声にかすかな威圧を滲ませながら続ける。
「オルディアでも数年前、彼が回帰派を蹂躙した。その時からの付き合いだ。君たちの手に負える相手じゃない」
騎士たちは息を呑む。
ラゼルは肩をすくめた。
「成果だけ受け取ればいい。彼は君たちに何も求めてない」
やがて夜空が白みはじめる。
展示会二日目は、ちょっとした騒ぎと小さな抗議の声を残したまま、静かに明けていった。




