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第64話 霞む光 、倉庫街の狩影 (前編)

まだ朝靄の残る会場に、開場準備のため各国の魔術師や技術者たちが次々と入ってきた。

だが、ルザリオの展示ブース周辺だけは、何かに押しつぶされたかのような妙なざわめきに包まれている。

「……何だ、あれ」

「結界でも暴発したのか?」

黒衣の者たちが床に転がっていた。魔力の乱れも衝撃の痕もなく、ただ意識を失っているだけのようだ。中には、昨日見かけた教会関係者や、異国風の髪と肌をした魔術師の姿も混じる。

エリセは足を止め、目を瞬いた。

「え……な、何これ……?」

その時だ。

「おい、エリセ」

背後から声がかかる。振り返ると、かつての恋人――レジットが立っていた。昨日から不自然にエリセの周囲をうろついているのが気になっていたが、今朝もまだ諦めきれない顔をしている。

「お前だろ、あんなモノどこで手に入れたんだ? 聖樹の葉なんてさ」

「は……? ちょ、レジット! 声が大きいってば!」

慌てて小声で制そうとしたが、もう遅い。周囲の視線が一斉にこちらへ向いた気がして、エリセの背筋を冷たいものが走る。

「めったなことを口に出すな。どれほど危うい情報か分かっているのか」

低く押さえた声が突き刺さった。振り返ると、騎士服姿のフレイが鋭い眼差しを落としていた。言葉以上に強く、レジットを黙らせる力がある。

「な、何だよ。別に――」

ヒュ、と空気を裂く音。

黒い影が走り、レジットの足元にするりと巻きつく。次の瞬間、ぱくり、と軽く噛みついた。

「痛っ……!」

レジットの体がぐらりと傾く。フレイはすかさず抱きとめる。だが、すでに力が抜け、腕の中でずるずると重みを増す。奥歯を噛みしめ、そっと床に横たえた。

エリセは思わず叫ぶ。

「黒蛇ちゃん!」

黒い蛇はするりと首をもたげ、あきれたように細めた瞳でエリセを見つめる。フルフル、と首を小さく振った――「その呼び方はやめろ」とでも言うように。

だが、エリセが一歩踏み出した瞬間、影は滑るように消え去った。

「くっ……待て!」

フレイが駆け出すも、蛇の動きは異常な速さで、追跡の術式も追いつかない。ほんの数呼吸で、影は完全に姿を消した。

戻ってきたフレイが短く吐息をつく。その間に、ほかの騎士たちが昏倒した不審者とレジットを手際よく運び出していく。

担架に載せられたレジットは、ぐったりとしたまま医務室へ運ばれていった。

エリセはその光景を見つめ、胸の奥がひやりとした。体は無事でも、何が起きたのか分からないまま危険が通り過ぎた――ただそれだけの実感が残る。

遠くから、その様子を眺めていたラゼルとツィグナト。

ラゼルは半眼を細め、ぼそりとつぶやく。

「……今、庇護をゆるめたな。わざと隙を作っただろ」

ツィグナトは小さく肩をすくめ、興味なさげに指先の展示物を弄り、微笑をひとつ浮かべた。

「さてな、ここはネクレオスに任せて、俺たちは港の倉庫群だ」

「よし! 明るいうちに片付けるとしよう」

二人の軽口を交わす間に、影のような存在――セラフィスもぴたりと後ろに控えていた。

こうして、展示会場の騒ぎの余韻を背に、三人は人混みからすっと姿を消した。

ほんの数呼吸の間、展示会場の騒ぎは収まり、ルザリオの騎士たちは胸をなでおろした。

……だが、同じ頃青ざめた顔で慌てて周囲を見回す者達もいた。

オルディアの展示ブース——ラゼル=ネイムの部下達だ。

「……しまった! いないっっ!?」

「こないだから大人しかったから油断したっ……!」

「ったく、今度はどこに逃げやがったんだよ……!」

「……まあ、たぶん戻ってきますよ。たぶん」

「“たぶん”が一番信用ならねえんだよ!」

彼らの嘆きを拾う者はいない。

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