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第54話 飼い主と秘密のペット

夜の展示ホール第二区画。

保管庫の前は、昼間以上に人の気配が濃い。

魔術式を刻む音と、術式を交わす声が交互に響いていた。

エリセは腕いっぱいにパンやチーズ、ハムなどの軽食を抱えてやって来た。

差し入れのつもりだったが、扉を開けた瞬間、思わず足が止まる。

「……なにこれ」

交代で休憩中のオルディアの技師や魔術師たちが、円卓を囲んで煮込み料理を食べていた。

香辛料とビールで煮込んだ肉の濃厚な香りが立ちのぼる。


美味しそう――でも、胸の奥がぎゅっと痛む。


あの夜から、スープの匂いだけは、どうしても受け付けられない。

レジットに振られたときの、あのスープの匂い。

思い出すだけで、胸が焼けるように痛む――あの辛い記憶が、ひょっこり顔を出すのだ。


そこへラゼルがスプーンを掲げ、こちらを振り返る。

「お、ちょうどいいところに。黒鍋亭の牛肉のビール煮込みだよ。鍋ごと買ってきてもらったんだ」

「鍋ごと? え、でも、こんな……お店で食べるみたいな……」

(先生とネイムさんが話してたこれはオルディアにあるお店のお料理じゃなかったの?)


皆の顔は疲れ切っているものの、スプーンが行き交い、口元に笑みが浮かんでいる。

煮込みの温かさが、空腹だけでなく、疲労をじんわり溶かしているようだった。


その隣で、ルザリオの監視員や手伝いの魔術師たちがカップを持ったまま固まっている。

しっかり素顔を晒したツィグナトを目にして、明らかに動けなくなっていたのだ。

(そりゃ、あの相貌をいきなり見せられたら固まるよね。

オルディアの人たちは普段からネイムさんの顔を見慣れてるから耐性があるだろうけど)


エリセは少し躊躇しながらカップとスプーンを受け取り、口元へ運ぶ。

香りを嗅ぐだけで、あの夜の辛い記憶がチクリと胸を刺す――でも、彼女は息を整え、意を決して一口。


口に入れた瞬間、驚くほどまろやかで、肉やスパイスの旨味が広がった。

「……っ、すっごい美味しい……! これが先生から笑顔を引き出したお店の味なんだ……」


思わず感嘆の声を漏らしたエリセに、ツィグナトがわずかに頷きかけた――その時。

「ナト様」

イリディアが音もなく寄り、ツィグナトの腕に手を添え、ちぎったパンを差し出す。

「……どうぞ」

当然のような仕草に、場が凍りついた。

(え、えええ!? なにやってんのこの人!?)

エリセはカップを抱えたまま硬直し、技師や魔術師たちも息を呑む。

普段はラゼル以外に見向きもしない護衛の豹変に、誰も声を出せなかった。

ツィグナトがいつも腰に吊るしている革袋が、ぴくりと震えた。

黒と白の双蛇がするりと這い出し、イリディアの手を目がけて牙を剥く。

シューッ――。空気が鋭く張り詰めた。

「ひゃああああっ!」

エリセは飛び上がり、椅子を倒しかけて後ずさる。

(ま、前に見たアレ! なんで、なんでここにいるの――!? し、しかも二匹!?)

放り出したカップはラゼルが必死でキャッチしたが、エリセの顔は蒼白だった。

「……戻れ」

ツィグナトの低い一声で、蛇たちはびくりと震え、すべべっと革袋の中へ消えていった。

その最悪な生き物の動向を固唾を呑んで注視していたエリセの心臓は、それらが去った後もドラムのように鳴り響き、手足は震えが止まらない。

(……か、飼ってるの……!?)

心臓が胸の中で暴れ、呼吸が乱れる。

(よりによって、私が世界で一番嫌いな生き物が……!? 先生のペット!? しかも腰に常駐って……反則……!)

パンを差し出したまま固まるイリディアの手首を、ツィグナトが無造作に掴んでささやく。

「……認証完了。基幹コード、上書き――沈黙せよ、《朱の剣星》」

冷徹な声。次の瞬間、イリディアの全身にある紅の文様から青白い光が滲みだし爆ぜた。

「あ……!」

声を上げる間もなく、その身体は粉々に砕け、宙へ散る。

椅子に残ったのは一本の剣の柄だけだった。

「ちょ、ちょっと!? 僕の護衛を勝手に分解しないでくれる!?」

ラゼルが悲鳴を上げる。

「それ一応、僕の命の保険なんだよ!」

エリセは震える手で口元を覆い、思わずツィグナトの腰へ視線を走らせた。

(ペットといい魔術具といい……ほんとにどういう趣味なの、この人たち……)

周囲の技師や魔術師たちはざわめき、ラゼルを質問攻めにしている。

だが、肝心のツィグナトは素知らぬ顔でスープを口に運んでいた。

その無関心な背中を眺めているうちに、ざわめきも次第に落ち着きを取り戻していく。

「……ま、そういうことだ。さて」

ラゼルが軽く手を振り、話を収めるように椅子に腰を掛け直す。

空気がようやく真面目さを取り戻し、保管庫に静かな気配が戻った。

エリセも深く息を吐き、気持ちを切り替えるように椅子を引き寄せる。

次に語られるのは、ヴィステ=ゼルハイムの顛末だった。


星界回帰派と通じていたことが露見し、ルザリオからオルディアへ身柄が引き渡されたこと。

尋問の末、本人は「通じていない、仲間でもない」と主張したが、公的には失脚者として記録され、裏では幽閉同然の処遇になるという。

「じゃあ、星界回帰派はもう手を引いたってこと?」

エリセが問うと、魔術師のひとりが肩をすくめる。

「いや、あの連中は“ヴィステ切り捨て”を最初から織り込み済みだろう。

得たデータを使って、次は別の手でエンリルの歯車本体を狙うさ」

ぞわりと背筋が冷える。

「……じゃあ、エンリルの歯車、まだ危ないんじゃない?」

ラゼルは涼しい顔でスプーンを回した。

「でもルザリオは展覧会の間だけ死ぬ気で守ればいいだけ。

後はヴァレクシア問題だ」

「1000%他人事!清々しいな!!

盗まれたらよくない使われ方されそうで怖いのアタシだけ?」

「ん――、大丈夫じゃないかな。

ヴィステが解明した起動手順はもう古いから。

ナトが工程を百ほど増やしたそうだ」

「――百!?」

素で大声を出したのはエリセではなく、近くで食事をしていたラゼルの部下たちだった。

「百も!?

起動工程増やすって、初めて触る古代魔術具の!?」

「さらっとこんな場所で言う内容じゃないでしょ、それ!」

「アンタもアンタの友達もありえねえ!!」

場は一気に騒然となる。

「いや、エンリルの歯車って解読不能な符式が埋め込まれていて、

長年ヴァレクシアは手も足も出なかったって、こっそり聞いたんだけど……」

だんだん声が小さくなる。

「製作者の性根の曲がってたんだろうな」

淡々と、ツィグナトが口を開いた。無表情のまま。

「……性根? 性格の話?」

エリセが小さく聞き返すと、今度はラゼルが笑みを浮かべる。

「扱えるやつも、似たようなものだ」

皮肉を滲ませた声。

ツィグナトの瞳は揺れず、冷ややかにラゼルを見返す。

無言の圧力に、ラゼルがわずかに眉をひそめた。

「――そのまま研究されるにしろ盗まれるにしろ、最早ただのインテリアだな」

ツィグナトはそれだけ告げ、再び黙り込んだ。

安心していいのか、不安が増したのか……先生の答えはいつも判断に迷う。

けれどエリセの胸には、どうしても気になる疑問が残っていた。

「……ねえ、今回の事件のきっかけを作った――星界回帰派って“星界魔術具”ばかり狙ってる犯罪集団って聞いたんだけど、普通の”古代魔術具”と何が違うの?

”星界魔術具”って星座の刻印がついてる”古代魔術具”ってだけじゃないの?」

その場にいた者たちが、わずかに声を落として語り始める。

「古代魔術具の中に紋章のような刻印があるものが混じっていて、

その刻印の形が星座と同じだから、星界魔術具って呼び始めたんだ」

「星界魔術具はその刻印を正しく読み解けば神の力を引き出せる――

要するに魔力変換効率が半端なく高いってことな。

その上、形が神話で語られる神器に似ているから、神が作った魔術具と言われてる」

「他の古代魔術具も今僕らが作ってるような魔術具も、結局それを真似して作ってあるにすぎないんだ。

どう頑張っても同じものが造れない。

だから本物には神々が残した意志が宿っているからだって言う人もいるな」

「意志……」

エリセは小さくつぶやく。

頭のどこかで、いまはただのランタンにしか見えない、大切な魔術具――

理想収斂りそうしゅうれんともしび》の穏やかな灯火が揺らめいた気がした。

(魔術具に、神様の意志……? まさかね……)

「とにかく使う者を選ぶし、刻印を読み解けなければただの古めかしい置物かな」

語られる言葉は、人間の手に余るものだった。

エリセは少し勇気を出して、口を開いた。


「……ねえ、先生の武器にも星座の刻印ってあったよね? 何座なの?」

保管庫内の空気が、瞬時に張り詰める。

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