第49話 ツィグナトVSラゼル☆工房バトル(再)
騒がしい足音を響かせて、工房の扉が乱暴に開けられる。
ツィグナトは、追い払った3人のことなどすでに忘れたように、ソファに身を投げ出していた。
片肘を肘掛けに預け、掌で無造作に頭を支えながら、一方の手で厚い本を軽々と掲げている。
気だるげに寝転んだまま器用にページをめくっていくさまは、どう見ても居ずまいは怠惰なのに、不思議と一分の隙もなく決まっていた。
セラフィスはソファに近寄り、目をすがめてツィグナトを見つめる。
「……セラフィス、どう?」
いつになく真剣なまなざしのラゼルの問いに、セラフィスは口を開く。
「……間違いない。魔術具に関する使用者の権限が、全てナトにうつっておる」
セラフィスの低い呟きが工房に落ちる。
べしゃり、と膝から床に崩れ落ちるラゼル。
「不履行ではなく、履行遅延のペナルティじゃな……。我が呪言ながら、すさまじい効力よの。造星の徒ラゼルネイムの全てを奪うたか」
「最悪だ……」
ラゼルは膝をついたまま頭を抱え、ツィグナトへ視線を向ける。
「……ナト、暇そうだね」
「ただの休憩だが」
促された視線の先、作業台の上には工具や素材、小さな魔術具が無造作に並んでいた。
ラゼルの肩越しに、エリセはそっと机の上を覗き込む。
魔術具を扱うナトの手並みを知った今、その散らかりは彼女には宝の山にしか見えなかった。
もっと近づいてじっくり見たい――抑えきれない衝動に夢中すぎたため。
(小娘……)
(ガン見しとる場合ちゃうで――)
(……ふっ)
隣に立つセラフィス、棚の上から覗く黒蛇ネクレオス、そしてラゼル=ネイム。
三者三様の視線がエリセに突き刺さっていることに、当の本人だけが気づいていなかった。
「――ナト、僕は早くルザリオにもどらないといけない。歪曲した遮蔽空間に部下を含めて数人閉じ込めたままだ。出してあげないと、だし。ルザリオの魔術具展覧会でオルディアの指揮をとってる」
ツィグナトはもう興味を失ったのか、視線を頁に落とし直した。
ラゼルはそれを見て、にやりと笑う。
ツィグナトがエリセに向ける庇護を、見逃すはずがない。
「展覧会が終わったら、僕はエリセをオルディアへ連れて行くよ。エンリルの神具を平然と処理した姿は見事だった。気に入ったんだ。ナトはどうする?」
「ラゼルネイム!」
セラフィスが怒りに声を震わせる。
「貴様……小娘を包む庇護に気づきながら、何を考えておる! 」
セラフィスは決して名を呼ばなかった。たとえその“庇護”の主を、彼女自身が誰よりもよく知っていた。としても。ただ、ぎゅっと服裾を握りしめるしかなかった。
「へっ!? あたし? なんのことっ???」
エリセは慌てて両手を振るが、ラゼルは片手を挙げて涼しい顔。
「側に置いてるならともかく、野生のままじゃないか。遠慮する必要ある? 嫌ならナトも一緒に来ればいいんだ。おまけに元カレだっけ? 最近またエリセの近くをチョロチョロしてるようだし。剥がしておいたほうが合理的だ。何よりきっと楽しい」
「な、な、な、な……なんでネイムさんが、そんなこと知ってるんですかっ!? あれはたまたま仕事が同じ班で……!」
「そうかもしれないけど、僕にケンカ売ったヤツだからね。そりゃ調べもするさ」
真っ赤な顔のエリセにラゼルはわざと肩を竦めてみせるが、その視線はツィグナトから外さない。
ツィグナトが片眉を上げてラゼルを振り仰ぐ。
その瞳にわずかな不愉快の色を見つけたラゼルは、殊更明るく畳み掛けていく。
「オルディアは結構楽しくて、これでも大切にしてる場所なんだ。使用者権限を取り戻すまで一緒にいてよ。僕と同じように魔術具を扱えるのはナトしかいない! 黒鍋亭のビール煮込み、毎日用意するからさ」
「すごい! 支部長、絶対びっくりするよ!」
エリセの瞳は期待で輝いていた。
「黒鍋亭のビール煮込みは絶品だよ。エリセにもご馳走しよう。……でも最近は誰かさんが笑顔で食べる姿を押さえられたせいで、人気出すぎて手に入りにくいんだ。店名がバレるのって早いね」
すかさず畳み掛けていくラゼルは、いつになく目が真剣だった。
腹黒い手も、絡め手も惜しむことはなく、ツィグナトに本当に嫌われる一歩手前まで攻め続ける。
(……このツィグナト勧誘ミッション、失敗するわけにはいかない)
「あ、もしかして先生が載ってた記事にあった煮込み料理専門店?」
不意にエリセが口を挟んだ。
「おい、なんだそれは」
ページをめくる音が途絶えた。
ほんの一拍、ツィグナトの視線を本から外すことに成功したラゼルは、片目を細め、愉快そうに笑った。
「一緒に来てくれたら教えるよ。イリディアが買ってたはずだ」
僅かに、ツィグナトの視線が揺れる。
(見事だエリセ! ナイスアシスト!!)
「先生、あたしもそれ食べてみた――……やっぱやめとく。先生の味覚って怪しいから。お腹膨れたらオッケーな人種だったはず」
「!?」
セラフィスが、ガタンッと激しい音がした棚の上をひと睨みし、眉を寄せる。
「ナトよ、こんな幼な娘に何を食べさせたのじゃ」
「ばかな……」
とだけツィグナトは言った。
その声は低く、震えていた。
ページから離れぬはずの視線が、ゆるやかにエリセへと流れる。
その思いつめた顔を目にした瞬間、ツィグナトの手が本の上で小さく痙攣した。
「ち……、ちがうだろ、エリセ?
よく思い出して、ナトの味覚は全然怪しくないから!」
思わず力強く反論するラゼル。
セラフィスは呆れ、ツィグナトは静かに本を閉じ、ソファから起き上がった。
(先生と旅した時の食事事情――、本当にまずかった……)
エリセはそんなことを思い出して、ひどく暗い顔で俯いていた。
わずかな沈黙ののち、低い声が工房を震わせた。
「――同行しよう」
視線を落としたままの彼の横顔は、冷徹で、それでいて抗いがたい。
「ただし……紋章は変えんぞ」
言葉が落ちた瞬間、空気が一変する。
「任せて! ナトの名誉挽回に協力するよ」
ラゼルは歓喜に笑みを弾かせ、エリセは息を呑んだまま、彼の横顔に釘付けになった。
その一瞬を、セラフィスは扇を強く握りしめながら睨みつけている。




