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第41話 策謀と呪言 ~風神エンリルの報復~

イリディアはすっと視線を伏せ、短く息を吐く。

「……私が捕縛したルザリオの騎士が尋問に応じた。あれは星界回帰派の一員だった」

その言葉に、レジットとヴァレクシアの面々が驚きの声を上げた。

一方で、エリセはただ一人、ラゼルの手にぶら下がる血のついた手首に目を留め、訝しげに問いかける。

「……じんもん?」

「目的は《エンリルの歯車》の強奪。だが、奴らは起動の手順を掌握できなかった。

そこでまず、貴機関――ヴァレクシアから技術情報を盗み出し、それを……高位魔術具に心酔していたオルディアの元・トップマイスター、ヴィステ=ゼルハイムの手元に“意図的に”流す工作を行っていたそうだ」

イリディアはわずかに目を細め、言葉を継ぐ。

「その動きを追って、連中はオルディアの展示区画周辺に潜伏していた。ヴィステが歯車を起動する瞬間を捉えるため、こうして記録していたのだ……彼は完全に利用されていた。星界回帰派の、都合のいい“道具”としてな」

イリディアは一拍、間を置いてから静かに顎を引く。

「――記録には、歯車の内部機構や起動時の魔力波形、手順の断片が含まれていた。彼らは、それを解析し、模倣しようとしていたのだろう」

声に揺らぎはなかった。ただ、冷然たる事実だけを突きつける。

「そして……ヴィステ=ゼルハイムは、その計画の要だった。

彼自身は自覚していなかったようだが、歯車を『いずれ起動できるだろう人物』として、星界回帰派は長い時間をかけて彼を“見張り続けていた”。

研究への執着、国家への恨み、地位への渇望……奴らは彼の性質を、正確に読んでいた」

そのとき、イリディアの視線がふいにラゼルへと流れた。

冷淡な口調は崩さず、ぽつりと呟く。

「ウチの坊ちゃんが気づかなければ、今ごろ、連中の目論見通りに事は運んでいたかもしれん。

ヴィステは、自分の意思で歯車を動かしたつもりでいた。

だが実際には、星界回帰派の掌の上だった。――すべて、連中の筋書き通りに」

彼女の声音は、終始、変わらなかった。

その関心が、護衛対象――ラゼル=ネイムの安全だけにあることを、誰もが悟った。

言葉を失う沈黙が場を支配する。

最初に反応を示したのは、ヴァレクシアの責任者だった。

「う、動いた……我々が数百年かけても沈黙し続けていたのに……。

完成品ではないと、欠陥品だと、機密から外れた途端……な、何てことだ……」

よろめきながら数歩下がり、そのまま通路に尻をついた。

一方、レジットの目は爛々と輝き、頬は紅潮している。

「やはりラゼル=ネイムは世界一のマイスターだ! 僕なんか足元にも及ばない……!

今まですまなかった! 調子に乗って……あなたに、なんて態度を……!」

口元を両手で押さえ、涙まで浮かべながらラゼルを見つめている。

(マジか……)

ぞわっとしたエリセは視界の端にレジットを入れぬよう努力しつつ、ラゼルに尋ねた。

「それで、《エンリルの歯車》は本当にここにあるの?

ネイムさん、あなたなら扱えるんでしょ? 初見でも」

ただの勘だ。だが、確信があった。

――なんせ彼は、あの先生が封印していた《紅蓮の牙》を暴いた男だ。

ラゼルが、ひそかに口笛を吹く。

「いやぁ、エリセ、かっこいいなぁ。僕、目的がブレない子って、好きだよ」

「は?」

「ん――、起動中の《エンリルの歯車》は、風の構造体の中に格納されてる。

遮蔽に特化した式で、見えなくなってるだけだろうな、本体が」

そこで彼は、ヴァレクシアの技術者たちを一瞥した。

「諸君、僕が動かしてもいいかな?」

静寂。

エリセとイリディアを除いた保管庫前にいた全員がぴたりと動きを止める。

まさか、という疑念。

いや、まさか、それでも――

誰かが、震えるように呟いた。


「《観測不能のルクスの徒》…………」

それは、解析も予測もできない行動原理を持つ、“再現不可能な天才”ラゼル=ネイムへ贈られたオルディアでの称号。

ヴァレクシアの責任者が、口を引き結び、無言で頷く。

その合図を得るや否や――

ラゼルは指をすっと口元に立て、

まるで古い扉に語りかけるかのように、低く囁く。

「――アクセス開始。

 制限解除。プロトコルE-7、造星の徒ラゼルネイム特権キー認証。

 構文展開――神話位相接続、言語プロファイル切替。……詠唱モード、実行」

その声は、どこか人の言葉を逸脱していた。

エリセは咄嗟に、かつてヴィステが唱えた神代の呪言を思い出す。

けれど、それとはまた違う。もっと、構造的で、詩的で、同時に“狂っている”。

ラゼルが言葉を紡ぐたび、目に見えない何かが剥がれていく。

空気の膜が揺らぎ、保管庫の奥――《エンリルの歯車》が眠る区画に、風の軋みが走る。

エリセはレジットの方へ目を向けるが、彼はまるで神でも見ているかのような目でラゼルを見つめていた。

エリセとは一度たりとも、目を合わせない。

(アレだ、ラゼル教の敬虔なる信者の目……。

あぁ、やっぱりダメだ、こいつ使えない。支部長かユフィ、誰か頼れる大人はいませんかー )

その祈りを断ち切るように、 保管庫の奥――

空気が揺らぎ、何もないはずの空間に、風の“渦”が走った。

波打つ空間。

ひと息遅れて、耳を打つ低い鼓動音。誰かが小さく息を呑む。

――そして、すべての音が止まる。

次の瞬間、

空間が裂けるように、歯車が“そこに”浮かび上がっていた。

ギ……ギギィ――……。

灰銀の歯車。

真白な光と、深紅の雷光を纏いながら、ゆっくりと音を立てて回っていた。

それはただ――

美しかった。

神の遺産としか思えないほどに。


ラゼルが、片目を細めて呟いた。

「ほら、いた」

ラゼルがエリセ達を振り返った次の瞬間だった。

イリディアがラゼルに向かって手を伸ばす。

風が逆流した。ラゼルの足元から、一瞬で吹き上がるような奔流が巻き起こる。

歯車の“瞳”が、ラゼルを見た気がする。

ゴォッ、と音が空間を裂いた。

「えっ……!」

反応するより早く、ラゼルと、近くに立っていたエリセが、歯車から伸びた光の帯に“食われた”。

引き裂くように、飲み込まれるように――

エリセが声を上げる間もなかった。

次の瞬間、周囲の世界が消えた。


 * * *

ビュゥッ――

鋭い風の唸りとともに、灰色の空間に金属音が響いた。

――チィィン……。

――チィィン……。

――チィィン……。

空間の底で、何かが床に落ちる音だ。けれど石や砂ではない。乾いて固い、何かが弾かれるような音だった。

どこだ、ここは……。

視界はすべて半透明で、遠くは見通せない。漂う数式、浮遊する魔術記号。空中には何重にも重なった巨大な回路――いや、回路ではない。歯車だった。

無数の歯車が宙に浮かび、互いに嚙み合いながら、この空間の構造そのものを形作っている。

ここ全体が……魔術具だ。

そう理解すると、ラゼルは右手をかざした。空気に指を滑らせるようにして、術式を展開しようとする。

だが次の瞬間――

「うわっ、あちゃー……マジか、これ!」

風だ。何もないはずの空気が、ラゼルの術式を散らすように逆巻いて流れていく。

まるで、風が彼を拒絶しているようだった。

ふいに脳裏に数世紀前の光景がフラッシュバックした。

「……あれか!」

――風神エンリルと呼ばれた女神が、くすくすと微笑みながら放った呪言。

「我が風がそなたの術式に触れた時――

我が風の檻に百年沈みて孤に喘ぐがよい」

その呪いは、確かにラゼルに刻まれていた。右手の薬指の根元に、風を象った細紋の残りが。

しかし今、それはもう消えているように思える。

……成就した、というわけか。


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