第40話 解明された13のプロセス
イリディアが、小さな袋と手のひらに収まる水晶核をラゼルに差し出す。
半透明の核の内部では、星雲のような模様が、深海のように静かに揺らめいていた。
「これは、この間――うちの区画で暴れたルザリオの騎士が隠し持っていた、映像記録用の魔術具なんだけど……おかしいよね。流通している物じゃない。星界回帰派が好んで使う、古代由来の“星界技術”寄りの魔術具なんだ」
ラゼルが、水晶核の表面を指でなぞった。
――だが、魔術具は何の反応も示さない。
「おっと、指紋識別式だった」
彼は袋の中に手を入れ、取り出したのは――血濡れの手首だった。
「っ……!」
ラゼルとイリディアを除く、この場にいる全員が同時に息を呑む。
だがラゼルは怯える三人など意に介さず、淡々とその手首を水晶核にペタリと貼り付けた。
次の瞬間――
水晶核が、まるで目を覚ますようにじんわりと発熱し、内部の星雲がほどけ、光の粒子へと姿を変える。
微細な光子が内壁を螺旋状に走り、幾何学の軌道を描きながら回転を始める。
――不意に、場の空気が変わった。
誰からともなく、視線が自然と水晶核から周囲へと向けられる。
音なき音――耳には届かぬはずの低い振動が、骨を伝って内側から響いたのだ。
それは、時の座標がわずかにずれるような、異質な鼓動だった。
指先から流れ込む魔力に応じて、水晶核の内奥に重なり合う記録環が順に展開される。
時間の断層を一枚ずつめくるように、静かに、しかし抗えぬ力で。
「……開け、《観測の瞳》。」
その呟きに応じて、水晶核が一度だけ脈動した。まるで小さな心臓のように。
――直後、周囲の空間にふわりと光の面が浮かび上がる。
それはただの記録映像ではなかった。
そこに再構成されたのは、かつて確かに存在した“観測された現実”そのもの。
星の律動とともに、ゆっくりと蘇っていく。
淡く光る空間映像の中――そこには、一人の痩せた男が立っていた。
まさに今、ラゼルが立つのと同じ場所に。
映像は、歪みも乱れもなく、時間の純粋な模写のように透徹していた。
男は指先を立て、空中をなぞる。
触れてもいないはずの空間が淡く揺らぎ、不可視の環が幾重にも展開された。
まるで虚空そのものに、“定理”を刻むかのように――
一つ、神性の否定。
二つ、空間軸の結合。
三つ、内燃式魔力圧縮のための序文詠唱。
彼の口から紡がれるのは、現代には失われた神代の呪言だった。
空気が裂け、周囲の空間が音もなく焦げていく光景が、魔術具を通して映し出されていく。
保管庫の奥から、かすかな振動音が聞こえはじめる。
金属ではない――それは、「息を吸った」ような、生きた気配だった。
男が四つ目の定理を唱える中、撮影者(騎士)の呼吸が浅くなり、映像もわずかに揺れた。
その緊張が、映像を見つめる者たちにも、ありありと伝わってきた。
五つ。
六つ目――灰銀の壁面を走る封印術式が赤から白へ転じ、逆光のような蒼光が逆流して砕け散った。
保管庫内から漏れる魔力に魔術構造が限界を迎えたのだろう。
封印呪文が風にさらされた砂のように空中へ舞い散ると、扉の内側から呻くような音が漏れてきた。
……それが、かつて素材とされた女神の嘆きだと気づけるのは、この映像を覗く一人の男――ラゼルだけだった。
空間映像の中の男は動かず、それを見届け、定理を紡いでいく。
七つ、八つ。
封印術式が砕けたことにより、開閉機構などないはずの分厚い石扉が、魔力の震動に押され、ずれていった。
ついに――灰銀の神機、《エンリルの歯車》の姿が映像に映し出された。
それは“眠っていた”のではない。呼ばれるのを、待っていたのだ。
九つ目。歯車の周囲に幾何学の螺旋が浮かび上がり、空間が捩じれはじめ、
男は十番目の定理に指をかけた――
「見ろ、ラゼル=ネイム……誰もたどり着けなかった場所へ、俺が今、至った。貴様ではない。俺が、だ……!」
十一、十二。そして十三の定理が閉じると同時に、
ゆっくり――歯車が回り始め、幾何学の螺旋は風の輪郭をかたどった透明な式環へと変化した。
――環の内側にあった灰銀の歯車とその台座の輪郭が歪み、薄れていく。
早鐘のように鳴り響く記録者の心音が聞こえる。
そして――《エンリルの歯車》は、視界から完全に消失した。
映像が終わると、水晶核の中の星雲がゆっくりと縮んでいく。
光の幕がふわりと消え、代わりに空気中に幾何学の文字列が残響のように浮かび上がる。
それらはすぐに崩れ、音もなく粒子となって霧散し、水晶核は、再び沈黙を取り戻した。
内部の星雲も、すでにその動きを止めている。まるで、生きていた何かが眠りに落ちたかのように。
最後に、記録を閉じた証として、核の表面に一瞬だけ古代星界の印章が浮かび上がり――すぐに消えた。




