第39話 飽きてきた舌戦ショー、そろそろ技術で黙せよう
――はぁ。
溜息をひとつ吐いて、ラゼル=ネイムは立ち上がった。
「結局、千年か……」
呆れと諦めが混ざった声が、作業ブースの中にぽつりと響く。
彼は指先をちらりと見下ろした。
そこには、かつてセラフィスによって刻まれた呪の痕──黒い脈動が、今もなお、ほのかに灯っている。
「……ひとまず、《エンリルの歯車》でも久しぶりに拝んどくか」
軽い調子でつぶやいて、白衣の裾を払いつつブースを出る。
展示施設の通路では、今もなおオルディアとヴァレクシアの技術陣が、火花を散らしていた。
「どうせまた“見えない理論”とやらで煙に巻くんだろう? オルディアじゃ、それが“学問”ってことになってるのか?」
「あんたたちが理解できないだけだろっ」
「道化のマネが得意なだけの遊び人に、国家機密を嗅ぎ回られる筋合いはない!」
「おいおい、盗まれたって話自体、お前らの“仕込み”なんじゃないだろうな?」
パンッ、と音を立ててラゼルが手を打つと、騒然とした空気が一瞬で静まり返った。
「ああ、愉快愉快。でも──そろそろ舌戦ショーは飽きてきたかな」
無邪気に笑いながら、ラゼルは人差し指で宙をなぞる。
「技術者なら、技術で勝敗をつけよう。
僕の遮蔽空間を解除して出てこられたら、君たちの英知の勝利。
……もちろん、出られなくても夕方までには解いてあげるから、安心していい」
その澄んだ声が空気を切り裂くように響いた瞬間、場の空気が張りつめる。
怒気を孕んだ視線の中に、控えめな足音が、コツ、コツと響いた。
「口論も定理も、歪めるにはコツが要るんだよね──さあ、ねじれろ、《等式》」
ポケットから取り出した小さな金属環を、ラゼルは指先でくるくると回しはじめる。
風が走り、空気が歪む。
その回転とともに、オルディアとヴァレクシアの一部スタッフを包むように、半透明のドームが形成されていった。
「げっ、またこれかよっ!!」
「よっしゃ! 《歪曲工の環》、今日こそ解析してやるっ!」
「ネイムさん、なんでオレたちまで……!」
妙に場慣れしたオルディアの面々が慌てる中、ヴァレクシアの技術者たちはドームの壁に取りすがって叫ぶ。
「なっ、なんだこれっ!?」
「だっ、出してくれっ!」
ドームを背に、ラゼルはひらりと手を振ると、足早にその場を後にした。
向かう先は──ヴァレクシアに割り当てられた、展示ホール第2区画。
そこから、ろくでもない女神の肋骨から生まれた《エンリルの歯車》がつくる、魔力の風が吹いてきていた。
◇◇◆◇
展示ホール第2区画──
こちらもまた、口論の渦中にあった。
「いい加減にして下さい! 本件は明らかに、オルディア側の手によるものに違いない──」
ヴァレクシア側責任者の声が響くたび、空気が張りつめていく。
「断定は早計です」
レジットが穏やかな声で割って入る。
「まずは事実の確認が先でしょう」
「そんなもの必要ないっ!
警備をしていた騎士の目も、保管庫の結界も抜ける人物はそういるもんじゃない。
――だが、偶然か? 確実に可能とするだろう人物が、ここにいるのは」
「……だったら猶更、保管庫を確認させていただきたい」
すかさず、レジットが返す。
「あれだけの警護の中、歯車が消えたなら、何らかの証跡があるはずだ。調査させてほしい」
──そのやり取りのあいだに、エリセは一歩前に出た。
その姿勢はまっすぐで、視線は責任者を逃さずにとらえている。
「両国の関係を、ここで決定的に悪化させたいのですか?」
淡々とした口調だったが、語気には鋭さがにじんでいた。
「歯車が失われたことは重大です。
しかしこの展示会を中止すれば、失うのは一点の遺物だけでは済みません」
「……っ」
「ここで必要なのは犯人捜しではなく、現場確認と冷静な対処です。
本当に“あれ”が保管庫から消えたのなら──その痕跡を、我が国は必ず見つけなければなりません」
レジットが彼女に一瞥を送り、わずかに頷いた。
「お願いします」
エリセがそう締めくくると、責任者は言葉を失い、唇を噛んだ。
直後──
ヴィ――――ッッ。
警報が鳴り響いた。
「!」
それは警備員の怒号よりも、責任者の威圧よりも早く、展示ホール全体に緊張を走らせた。
「──侵入反応です、保管庫の結界境界線を越えました!」
ヴァレクシア側の技術班が、作業の手を止めて顔を上げる。
天井のランプが激しく点滅し、展示ホールの空気をピリピリと震わせた。
「誰だっ?!」
一斉に声があがる。
「保管庫の扉前に急げ!」
技術員たちが慌ただしく駆け出し、狭い通路を走っていく。
保管庫の扉前では、扉を守る結界の輪郭が青く光り輝き、異様な圧力を放っていた。
「……こ、この識別信号は……オルディアの……!」
息を呑んだ技術者の声が響く。
その刹那、扉の前に二つの影が静かに佇んでいるのが見えた。
「あ、ごめんごめん。エンリルの歯車を見に来たんだけど」
そう言って姿を現したのは、ひときわ場にそぐわない風体の男だった。
白衣の下に淡い銀灰のシャツ、濃紺のスカーフを気だるげに巻き、手には使い込まれた墨黒の手袋。
オルディアの正規制服など着ているはずもなく、相変わらずのふざけた格好で現れたラゼル=ネイム。
だが、彼の指先と瞳の奥には、魔術具と知識への執念がしっかりと宿っていた。
そのすぐ後ろには、影のように寄り添うような姿で女がいた。
鮮烈なディープ・スカーレットの外套に身を包み、足音ひとつ立てぬまま、鋭い眼差しを周囲に走らせる。
彼女――イリディア=フォーンは、警戒の視線をものともせず、まるで守護者のようにラゼルの背後に立っていた。
魔術具保管庫は地下にある。灰銀の壁面に赤い魔術式が浮かび、中央奥には巨大な封印扉が据えられている。
まるで時代ごと沈めた棺のように、そこに在るだけで異様な圧を放っていた。
その手前で立ち止まったまま、ラゼルはまるで呆れたように両手を広げる。
「ねえ、見てよ。たかがこれくらいの距離で警報鳴るんだ。これ、逆に言えば──」
軽く指を立てて、ラゼルが言葉を落とす。
「僕が保管庫に“入って”たなら、アラートどころか非常封鎖が起きてるはずじゃない?」
ヴァレクシアの面々が表情をこわばらせる。
「つまり、あれだよ。僕が盗んだっていうのは──冤罪ってことでいいかな?」
ざわめきが走った。
「ラゼル=ネイム……」
一歩遅れて、レジットとエリセも現場に到着した。
エリセの瞳はすぐさま警報の起点とラゼルの立ち位置を計算し、その真意を読み取る。
保管庫からラゼルが半歩離れると、警報がピタリと鳴りやんだ。
さらに、ラゼルは言葉を継ぐ。
「――だけどさ。この距離からエンリルの歯車を起動させることはできるんだ。遠隔操作ができる魔術具だからね」
ラゼルの言葉に、また空気が微かに揺れた。




