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第24話 扉のむこう、あの人がいない世界へ

「……下れ《せいひつ》、解除」

低く響いたその声とともに、目の前の空気が音もなくほどけた。

世界が、また息を吹き返す。

重たい水の底に沈んでいた身体が、ふっと浮かび上がるような感覚。

一気に押し寄せる、光と音と――そして、先生の気配。


音が――光が――一気に押し寄せてきて、眩しさに思わず目を細めた。

そして、目の前に現れたのは……待ち望んでいた先生――

でも、先生だけだった。

「先生……!」


声が震える。

あたしは先生の外套を掴み、よろけながら立ち上がる。

ひんやりした感触が、手のひらにじんと沁みた。

あ……そうだ、この外套、さわると冷たいんだった。

でも今は、むしろその冷たさが、現実に触れている証みたいで――少しだけ、安心した。


「レオくんは!?」


ぐるりと周囲を見回す。

何もいない。

黒い影も、あの小さな手も、どこにもいない。


「他に誰かいたのか?」


「いたの! 先生がいなくなってから、ずっと一緒にいてくれた子……

あの子、すごく、かわいそうな子だったの!」


声が裏返る。

必死で言葉をつなぐけど、頭の中も心もぐちゃぐちゃだった。


「先生がいなくなってから、

まだ小さいのに……頑張って、たくさん助けてくれて……!」


胸がきゅっと痛む。涙がこぼれそうになる。


「なのに……なのに……いないなんて、そんなの……っ」


「……かわいそう?」


先生の静かな声に、あたしはハッと顔を上げる。

先生の声音には、慰めも、同情もなかった。

けれど、先生は「レオくん」のことじゃなくて、「かわいそう」というその言葉そのものに引っかかったようだった。

(え……そこ?)

混乱のまま、あたしは思わず言葉を継いだ。


「あ……うん、そうなの!

ろくでもないブラック上司にこきつかわれてるのに、洗脳されてるから、

自分がどんなにひどい環境にいるか気づいてないの!」


……先生は無言だった。

動かぬ眉。

読めぬ表情。


「いつか認めてもらえる”って信じて、千年働き続けるとかやりそうなの!! 」


あたしは止まらなかった。


「たぶん、夜中に“今すぐ来い”って呼ばれたら、パジャマのまま走って行っちゃうタイプよ!?

 超社畜体質よ!?」


なぜか言えば言うほど、空気が冷たくなっていく。

でも止まらない。


「だからあたし、助けてもらったお礼に、ぜーったいそいつぶん殴ってやろうって!

ね、レオくんかわいそうでしょ!? うっかりハズレガチャ引いちゃってて!」


だって、ツンツンしてたけどがんばりすぎだよ、とか!

オレにまかせて休んでていいよ、とか!

すごく、すっごく優しくしてくれて……!


「あたし、レオくんの味方だから!推し!

上司が誰か知らないけど、会ったら正座させて説教して、

頭ひっぱたいてやるんだから!」


……沈黙。


あたしの声だけがこだましていた。

(……あと なんか……ちょっと、寒い?)


そして――



「……ほぉ」


その一言だけで、なんか空気がピキッと鳴った。

気のせいじゃない。

マジで鳴った。



え、なに?

地割れの前兆?



「まぁいい、ここを自由に動ける奴なら問題あるまい。

オレたちもここを離れるぞ」


そう言って、先生は荷を探り、何かを取り出した。

それは――


「……《シア》……!」


見間違えるはずもない。

ずっとなくしていた、もう二度と会えないかと思っていた、あの子。

差し出された瞬間、あたしは思わず両手で抱きしめていた。

ぎゅっと、ぎゅうっと。

温もりなんてないのに、涙が出そうなくらい、あたたかかった。


「どうして……持ってるの……?」


先生は答えず、ただ一言だけ告げる。


「一番近い、門の場所を示せ」


灯の先端が、ひとすじの光を描いた。

その光は、崩れかけた天蓋の奥――まるで霧の中に沈んだ出口を指していた。


「門!? 魔術具をとりにきたんじゃなかったの?」


「ここは崩壊する」


先生のその言葉とともに、空気がさらに張りつめた。



どこかで、ぱきり……と乾いた音がした。

気づけば、彼の足元から放射状に霜が広がっていた。

地面が白く凍りつき、苔も瓦礫も、まるで息を止めたように沈黙している。


――あたしは、最後まで気づかなかった。


先生がそこに立っているだけで、世界が少しずつ凍りついていっていたことに。



霧は晴れ、亡霊の気配は消えた。

けれど、魔獣はあとを絶たなかった。

次から次へと、まるで逃げ道を塞ぐように現れ続ける。

 

何体向かってこようが、エリセのチューンアップされた炎槍と、男の《双刃の輪(シグナスリング)》の前では脅威にならなかった。



「何で、こう次から次に!」

「炉が失われたからな、単純に腹が減ってるんだろ」

「炉……?」

先生は答えなかった。



三時間ほど進んだだろうか。

あたしたちは、ついにあの場所に還ってきた――

最初にこの地に足を踏み入れたとき、くぐったあの門に。

 

それは今、まるで世界の終わりに口を開けた、最後の出口のようにそこにあった。

石造りの巨大なアーチ。

中心に刻まれた文様は、時の侵食にも負けず、かすかに光を帯びていた。

静かに、けれど確かに、世界の向こう側へと続いている。

足元の地面は軋み、空には大きなひび割れ。

空間そのものが、ひどくゆがんでいる。

それでもその門だけは、何かに護られるように、ひときわ荘厳な気配を放っていた。

――この先に進めば、終わる。

同時に、何かが始まる。

 

門をくぐろうとして、あたしは思わず振り返った。



先生が、進もうとしなかったからだ。

「先生は……一緒には、来ないんですか?」


「後からくぐる」


「危ないよ、だって、空も地面もひびが入って……」


男は静かに言う。


「この門は、過去と向き合う覚悟を問う。

覚悟がない者、見ようとしない者 は――この場所へ戻される」


その声に、少しだけ、震えを感じた気がした。

 

「……お前に、オレの記憶を見せる義務も理由もない」

 

あたしは言葉を飲み込んだまま、黙ってしまう。

 

「今のお前なら大丈夫だろ。《ランプ》があれば、それで足りる」

 

あたしは、手のひらの《ランプ》を見つめる。

その光は、ほんのり温かい。

けれど、それが先生の代わりになるとは、どうしても思えなかった。

 

「《シア》は……先生の、代わりじゃない、よ」

 

男は何も言わず、そっと《灯》に触れる。

その手は、冷たくも熱くもなかった。

 

「……ツィグナトが命じる。

 対象:エリセ。

 光路を開け。

 彼の地――星々の下で暮らす者たちの世界『アストルネア』へ」

 

その言葉が響いた瞬間、あたしは息をのんだ。

ランプ》が、見たこともないような光を放ったからだ。

 

ローズ。ブロッサム。ラズベリー。キャンディ……

あらゆる浅紅の煌めきが、あたしの目の前を包んで、遥か遠くまで道を照らしてゆく。

 

「……行け」

 

先生が、そっとあたしの背を押す。

その手のひらは――なんだか、とてもやさしかった。

 

――()()()()()が命じる。

それは、確実に道を開かせるための、たったひとつの鍵だった――



……名前、言った……?

あの人が、自分の名前を……!  

「せんせっ! 今、……トって――!!」

 

言い終えるよりも早く、扉は音を立てて閉じられた。

パタン。

 

その音を最後に、門はふっと掻き消える。

足元に、淡くにじむ記憶の残滓。

それは、ほんの何日か前、この境界の地に足を踏み入れたばかりの、あたし自身。

 

「見せないで……」

目をつぶって、泣いているあたし。

 

「息苦しくて――」

 

「自分が、薄くなっていく気がして……」

 

「――こわかったんだよ」

 

次々に響いてくるのは、あたしの心を刺していたたくさんの棘。

棘、棘……忘れようとしていた、あたしの声。

気づけば、あたしの足元には、淡く光る道が続いていた。

霧のように白く、靄のように揺れていて、どこまでが現実か分からない。

この通路はまだ、夢と現のあいだ――《シア》の光だけが、たしかな道しるべだった。


ひとつ息を吐いて、目を閉じる。


浮かんでくるのは、さっき見えた先生の口元。


あの、ほんのわずかに弧を描いた、冷たいようで、優しい……あの笑み。

 

シア》は今も、変わらず、あたしの行く先を照らしている。

 

……先生。

先生から満足いく返事が返ってこないの、もう、けっこう慣れたよ。

 

「よし!」

 

「行こう、シア!!」

 

そう声に出すと、不思議と気持ちがすっきりした。

あたしは前を向き、しっかりと一歩を踏み出す。

 

――あの人のいない世界へ。


ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!


これで「忘却の庭」でのお話は、ひと区切りとなります。

エリセの旅は、これからまた新しい地へと続いていく………といいかな?

続きも執筆……予定(?)ですので、その際はぜひまたお付き合いいただけたら幸いです。

読んでくださったことに、心から感謝をこめて。

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