第19話 なんであたしばっかり狙い撃ち!?
足場にした岩を、踏み抜くまでは。
「ぅわっっ!」
ガララッ、と崖が崩れる。
その音に呼応するように、潜んでいた小さな丸く赤い虫がぞわぞわと現れ、掌大にまで肥大化して一斉に糸を放ってきた。
「こ、こいつら……!」
エリセはすかさず魔術具《紅蓮の牙》を展開し、火矢を飛ばす。
鮮やかな紅蓮の炎がいくつかの虫を包み込み、焼き落とした。
だが、逃れた虫の放った糸が腕にかすった瞬間――。
「……っ」
視界が、世界が、ぐにゃりと歪んだ。
まるで深い水の底に沈められたかのように、上下も左右もわからない。
目も耳も信用できない。
唯一、両手に伝わるロープの感触だけが、現実につながる命綱だった。
しかも、いつの間にか糸は体に絡みつき、じわじわと拘束されていく。
(やばい、これ、一歩も進めない……)
次の瞬間――。
《紅蓮の牙》と接触した糸から、小さな爆裂音が響いた。
「熱っっっ!? えっ!? あっっっ!?」
とっさにロープを握っていた手が緩む。
(しまった!!)
体がぶれ、視界が再びぐにゃりと揺れる。
落下寸前、だが、力を込めようにも感覚が戻らない。
「――この前、敵意ある魔力の接触に共鳴して強制展開を起こす術式を加筆しておいた。
使いどころは選べ、ロープに引火するぞ」
耳元に、先生の声。
気づけばすぐ隣にいて、エリセの体を支えていた。
「それ、聞いてないからっ!」
先生は何かを察知したように、崖を蹴った。
左手でロープを握り、右手でエリセを抱えたまま、崖の左方向へ飛ぶ。
ガガガガッ、ガッ!
直後、二人がいた崖の一部が爆ぜるように吹き飛んだ。
風の刃――。
谷底から吹き上げる衝撃波が、地形ごと崩壊させていく。
さらに周囲では、残った虫たちが次々に巨大化して迫ってくる。
「ぎゃっ、なんでっ!? 虫でかくなってる!」
「そういうことか……!」
先生が低くつぶやいたその瞬間、エリセの腰を支えたまま、ロープの圧を変え、一気に滑降を始める。
落下、落下、猛烈なスピードで。
「ぎゃ、……ッッ!!」
エリセが叫びかけた、そのとき。
先生の手が、ふっと緩んだ。
すり抜けていく。
支えを失う恐怖、体が自由落下を始める――
「ッ……!!」
が、その刹那、またしっかりと掴まれた。
熱い。
ロープを握る先生の手袋が、摩擦で白煙を上げていた。
足も壁につけてブレーキをかけている。
速度はじわじわと緩やかになっていく。
「――声を、出すな」
耳元で、静かにささやかれる。
ゾクリとするエリセ。
心臓が爆音のように打ち鳴る。
(こ、これは落下のせい。断じて先生の声のせいじゃ、ない……!)
言い訳を心の中で何度も繰り返す。
落下が完全に止まったあとも、先生の声は低く続いた。
「声を糧に成長する岩の虫がいる。
それに、魔力に共鳴して風の刃が吹き上がってくる。……静かに、できるな?」
返事をする間もなく、先生はふっと笑い――
そのまま、エリセを抱えたまま、ゆっくりと谷底へと降りていった。