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第18話 落ちるなら、一緒がいいよね?

谷を前にして、エリセは立ち尽くしていた。

目の前に広がるのは斜面ではない。

ただの垂直な、

いや、

内側にえぐれたような断崖絶壁だった。


「……斜面じゃない……」


底は暗く、

どこまでも深く続いているように見える。

試しに落とした石は、

何かに当たる音さえせず、

ただ闇に呑まれた。

ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。


「先生、これは“だんがいぜっぺき”って言うの。

谷を降りるときは、普通、斜面を選ぶんだよ?」


あえて軽口を叩いて、

恐怖をごまかす。

けれど先生は、

白い霧に煙る空を見上げたまま、

淡々と返した。


「単純にとがざきが少ないからだな。

……さっきみたいに崖下から呼ばれる方がよかったか?」


「ぎゃっ、

そんなことされたら落ちて死ぬっ!

どうしてこんな、心を抉ることばかり……

もしかしてここ、精神攻撃が基本ルールとか!?」


白銀の花粉が霧の中に舞っている。

夜霧は濃く、

視界すら怪しいというのに。

先生の言葉が静かに落ちる。


「捕食価値の底上げだな。

感情が激しく揺れるほど、ソウルは“深い香り”を持つようになる」


エリセはぎゅっと眉を寄せた。


「……捕食者って何よ。

まさか、先生の縁者とかじゃないよね?」


皮肉混じりに返すと、

先生がちらりと肩越しにこちらを見る。

その目に宿る、

冷たい静けさ。

ぞくりと、

背中に氷の棘が走る。

だが――

エリセは知っている。

その瞳の奥に、

かつて「素材として優れていたから」という理由で、

ひたむきな愛情を《ランプ》に加工した魔術師の非情を。


(でも、あたしは違う……

シアとは、違う)


自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた、

その瞬間だった。

先生の声が、

霧の中で不意に響いた。


「さて、後と先、どっちを選ぶ?」


「――さ、先に降りますっ!」


反射的に声が出た。

けれどこれは、

ただの逃避じゃない。

エリセは素早くロープを手に取る。

先生が巻き直していたロープの一端――

それを、

自分の腰のリングにきっちりと結びつける。

もう一度、

結び目を固く握りしめる。


……つまり、先生と自分を“結んだ”。


これで、万が一見捨てられそうになっても――

一蓮托生。

ふふふふふ……!



(切れたら終わりだがな)


(まかりならん!! 見捨てたら祟るからね!)


目と目が合う。

エリセがにやりと笑えば、

先生は小さく鼻を鳴らした。

互いに言葉はなくとも、

そこには一種の牽制があった。


あたしを見捨てるなら、

その瞬間をちゃんと見てやる――

けれど、もし一緒に降りてくれるなら。

信じてみても、いいのかもしれない。

このロープは、その賭けだ。

依存でも服従でもなく、

あたしが自分で選んだ一歩。

あんたと繋がってやるっていう、

半分信頼で、半分けんか腰の宣言。


ロープをダブルで結び直す。

そして、

エリセは慎重に崖の縁に立った。

風が、霧を揺らす。


スルスルと身体が滑るように降下を始め――

すべては、順調だった。

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