第14話 ちょっと待って!?今、先生の首筋にときめいてた自分を処刑したい!
まぁ、あちらの方角、すごく毒々しい色彩をした何かが見えてきましてよ!
蛍光色に深紅、黒紫……?
目がチカチカするような派手さで、自然の色とは思えない。
あたしはとっても行きたくないのに、先生は不穏な配色の方向を目指して、黙々と歩いていく。
あれ? 《灯》が指し示してる道から、それてない?
「先生、シアが指してる道はあっちですよ!」
声をかけたけれど、先生はシアを一瞥しただけで、そのまま歩きつづける。
「だから、あっちだってば!」
先生のローブをつかんで引っ張ろうとした、あたし。
――ヒヤッとした感触に驚いて、思わず手を放す。
『冷たっ』
自分の手を見ると、霜がついていた。
パラパラと、白銀の粒が落ちていく。
「ローブも魔術具だったんだ! 氷属性のローブなんて珍しい、寒くないの?」
そういえば
ブーツだって足音とか気配ないし。
消音効果と……気配断つような、何か。
気づかなかったけど、先生、全身ガッチガチに武装してたのね。
こんな危ない土地に一人で来るんだから、そりゃそうだよね!
「あ、急に触ってごめんなさいっ」
手をぶんぶん振って、霜をふるい落とすあたし。
「……今向かっている谷には、侵入者を拒む植物が茂っている。
人や魔術具に反応して、一時的に開く小道が生じるそうだが……さて、この道は一体どこに続いているんだろうな」
先生がぼそりと呟く。
小道の入り口には、赤黒い花が五つ、六つ、咲いていた。
その言葉を聞いていたかのように、花弁が一斉に、こちらを向いて開いた。
「うっ……!」
ぞぞっと背筋が凍る。
真っ青になって後ずさるあたし。
花が開いた瞬間、空間が――揺らいだ。
まるで、見えない膜が軋みながら裂けたみたいに、ひときわ空気が波打った。
空気がぬるりと重たくなり、湿ったものが肺にまとわりつく。
視界の端が濁ったようにぼやけ、足元の土から、得体の知れない違和感がじわじわと染み出してくる。
音のない圧が、周囲の空気を変えていく。
世界そのものが、そこだけ“異質な色”に染まったようだった。
――あれは、本当に道なんだろうか。
周囲の樹木や草を見ると、正しい道はわかる。
枯れていたり、黒ずんで変異しているのは、この毒の環境で抗い続けている証だ。
「こ、この花、もしかして攻撃なんかもしてくる?」
「する、な。近づかんことだ」
もう先生は、先に歩き出していた。
「わぁっ、こんな危険地帯においてかないで!!」
あたしは慌てて追いかける。
……先生の腰にロープでもくくりつけて、その端っこをぎゅっと握りしめていたい心境。
ぐい、と引けば、たちまちこちらを振り返る、その冷たい瞳――。
ああ、でも。
もっと素敵なのは、金色の鎖。
その滑らかな黒髪に似合うのは、光を閉じこめたような細い鎖。
肌の白さが際立って、ぞくぞくするほど妖艶だ。
たとえば。
赤黒い花びらを敷き詰めた寝台の中央で、
金色の細い鎖を巻き付けられ、
無防備に横たわる先生の姿があったら……?
目隠しをされた長い睫毛。
うっすら開いた唇。
あの冷たい声が、甘くかすれて、あたしの名を呼ぶ――
あたしとシアの二人がかりで、
ゆっくり、じわじわ、先生を責め立てていけば……
さすがの先生も、冷静さなんて保てなくなって、
額に汗して、吐息を震わせて、あたしに「やめろ」って――
「おいっ、目を開けろっ!」
「ひゃいっ!?」
一瞬で現実に引き戻されて、あたしは跳ね上がるように立ち止まった。
遠くで、パリンと音がした。
目の前のふらちな景色が、ザラザラと崩れ落ちる。
「へっ!?!?!?」
我に返る。
「《咎咲》だ。
花粉を吸うと幻覚を見る。
少し前に、布で鼻と口を覆えと言ったが……その時にはもう幻覚に落ちていたようだな」
先生が指さした先には、直径一メートル級の花冠。
あでやかに、そしてまがまがしく咲き誇っていた。
なにこれ、なんであたし先生のローブ被ってんの……?
重くて、冷たくて……っていうか、めっちゃ凍えるんだけど!?
耳の先がひやりと痺れて、髪がバリバリに凍りついてる。
頬まで凍ってる……極寒地帯の刑罰かっての!
黒いローブは霜が降って灰色になってる。
息するたびに白い吐息が広がって、鼻の先がしんしん痛い……。
「幻覚から回復するには、強い“現実感覚”の刺激が必要だったからな」
「はぁ、ありがとござ……はぁくちゅん!」
くしゃみ一発、魂まで凍る。
……なんかもう、人間やめたくなった。
そこでふいに、目を上げた先にいたのは――
えっ、なにこの人――
……じゃなかった、先生。
ただ立っているだけなのに、世界の焦点がすべて彼に吸い寄せられる。
ローブの下の姿は、闇に沈むような漆黒の衣。
細身の身体にぴたりと沿った黒い装いは、布越しに浮かび上がる輪郭がいやでも目に入ってくる。
首もとを覆う高い襟は、空気すら拒絶するようにきっちり閉ざされている。
――にもかかわらず、その隙間からのぞいた首筋のその白さが、なぜかひどく、生々しい。
その存在感は、見る者の理性を試すようで――
一瞬でも目を逸らしたら、なにかを見透かされてしまいそうだった。
……おかしい。
……あぁ、やっぱりこの人はおかしい。
この空間に、自然とこの人がいるのがおかしい。
彼だけ、別の時間軸から流れてきたような、
彼だけ、この世の理から逸脱したような、
そんな違和感。
重厚な革靴を履いているのに、足音はまったくしない。
魔術具のせいかと思った。けど、違う。
――先生だから、だ。
彼が歩くたび、世界がひとつ残らずその足音を拾い上げてしまう。
まるで、その響きだけでも誰にも聞かせたくないと、世界が願っているかのように。
――あぁ、先生って、こういう人だった。
わたしが妄想してた、うっかり赤黒い花びらのベッドに押し倒したりするような先生なんて、どこにもいない。
いたのは、人間じゃない。
世界に拒まれず、拒まれることも知らず、ただひとり歩き続けてきた、誰か。
……でも、それでも。
ちょっとだけ、うなじが見えた。
シャツの襟のすぐ下、うっすらと浮かんだ首筋の血管に、ちょっとだけ目が奪われた。
(あれは、命の熱……)とか考えてしまった自分の頭は、後で壁に打ち付けておこう――。
「……ずいぶんダメージがでかいようだが、何を見たんだ?」
あたしのあまりにもな落ち込みに、さすがの先生も気になったようだ。
(………ないわ)
地面に両手と両膝をついて、がっくりポーズのあたし。
(あれほど隙の無い先生に、あんな妄想の幻覚見せられたとか……ないわ……)