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 叔母さんはいつも無理をしてる、と思う。

 いつも他の人のために動いてる。

 聖歌隊を立ち上げた時、自分のやりたいことを切り捨てた。

 本当は誰より歌劇(ミュージカル)を大切にしてたのに劇団を辞めた時、文句も愚痴も聞いたことなんてない。それが、すごく悲しかった。


 僕はそんなに頼りない?


 なんて聞くのが怖い。きっと笑顔で「頼れるよ」って応えてくれるって分かってるから。

 僕を安心させてくれるために今こうして、ずっと一緒だと言いながら撫でてくれてる。

 その手が強張ってるのを、知らないふりするだけしか出来ない。





 ○●○●





 元アイゼンベルク公国。現在はディバイベル王国アイゼンベルク領。そこは山岳に囲まれ、小国ほどの面積を有している。

 主な産業は鉄鉱石や宝石、石炭などの輸出である。

 良質な鉄と石炭、そして石材が豊富だが冬は長く、特に領土の北側の厳冬期は分厚い氷の様な雪に閉ざされる凍土。

 近寄りがたい場所に栄えたアイゼンベルク公爵家は、元々は公国の王族たちであり、彼らの一門はアイゼンベルク王族の血筋となる。今でもその血を絶やさず統治し続けている血族主義のような人々とも言えるだろう。

 ディバイベル王国の一部となった今でも、アイゼンベルク領の全てはアイゼンベルク公爵家が握っている。今でも公国として何も失ってはいない。


 そんな一族へ、聖歌を捧げる役割を押し付けられたことに胃が軋む思いのアンネリーゼに、更にのし掛かるルーカスの出生への疑惑。

 このまま心労で胃が取れるんじゃないかと感じるほどである。

 せめて顔色には出すまいと気丈に背筋を伸ばしているが馬車の振動で臀部を痛めているルーカスに気づくことができない程度には余裕がない。

 

 「……立てるか?」

 「も、もう少し、待って下さいっ」


 油の切れたブリキのおもちゃのようにギクシャクしながら立ち上がるルーカスの膝は震えている。

 流石に見かねたディートハルトがルーカスの脇の下に手を差し込み軽々と持ち上げ、馬車から降りていく。

 連日、舗装されてない道を馬車で走り下から突き上げられるような衝撃を受け続けたルーカスは歩くことも難しく、大人しく大きな腕の中に収まっていた。

 先に降りていたアンネリーゼは、城と形容しても差し支えない巨大な公爵家屋敷を見ている。


 「お待たせいたしました」

 「あっ、申し訳ありません。アイゼンベルク卿。ルーカスはこちらで預かりますので」

 「いえ、いくら子供とは言えご婦人にこのくらいの子供は重たいでしょう。私が運びますので安心して下さい」


 公爵子息に人を運ばせるのは体裁が悪いと伝える言葉を探しているうちにディートハルトは公爵家の中へ入ってしまった。

 その後を追う形でアイゼンベルクの城に踏み入ると、そこには目も覚める様な赤髪を揺らす背筋の伸びた40代ほどの美しい女性がいた。


 「ただいま戻りました、母上」

 「お帰りなさい、ディートハルト」


 母と呼ばれた赤髪の女性が微笑む。

 彼女はここの女主人、アイゼンベルク公爵夫人であるヴィオレッタ・フォン・アイゼンベルクである。


 目尻や口元に小皺が見え始めたが、肌艶は保たれており髪の先まで美しく整えられている。

 美しく歳を取ると言うのは、この様な人の事かとアンネリーゼは感嘆のため息が出る。

 美しき女主人であるアイゼンベルク公爵夫人は、滑らかに口上の挨拶を述べた。


 「遠い所からお越しいただき誠にありがとう存じます。教会の聖歌隊の中でも、聖歌隊長のアンネリーゼ様に感謝を致します」

 「お気遣い頂きありがとう存じます」


 深々と一礼する。


 「母上、アンネリーゼ様の甥子様を食事に同席させてもよろしいですか?」

 「ローレンゼン伯爵夫人からも紹介のお手紙を頂いているから大丈夫よ。食べられない物はあるかしら?」

 「無いです」


 緊張で上擦った返事をするルーカスにヴィオレッタは目元を緩ませる。


 「まぁ! 偉いわね。うちのディートハルトも見習ったらどうかしら? 息子は魚が苦手なのよ」

 「母上、ここでそんな話は……」


 溌剌とした母に気押される息子の姿は少し小さく見えた。


 「それで、手紙にあった様にエドガルドの子供かもしれないって本当? さぁ、お顔をもっとよく見せて」


 贈り物に触れる様に優しくルーカスの頬に手を当てる。

 ディートハルトに抱き上げられたままで逃げ場のないルーカスは、間近でじっくりとヴィオレッタに顔を見られた。

 そして、繊細な芸術品に触れる様に指先でルーカスの頬、瞼、耳の形をなぞる。

 その度に目元が喜びに満ちて潤んでいく。


 「あぁ、本当にエドガルドにそっくり……。小さい頃のあの子が帰ってきたみたいで嬉しいわ」

 「……」


 喜びに浸るヴィオレッタと違い、アンネリーゼは不安が折り重なっていく。

 大事な家族が遠いところに行ってしまう予感が脳裏から剥がれない。公爵家の血筋として認められれば、今までの様に自分と接することは出来ないだろう。

 そんなのは、嫌だと口にできる地位をアンネリーゼは持っていない。平民に出来るのは、貴族の決定に従うことのみ。

 無力な現実に目の前が暗くなる思いだった。

 肩が強張り、不安で呼吸が浅く乱れていく。心臓の音が耳元までやってきた時、ヴィオレッタがアンネリーゼの手を取って強く包み込んだ。


 「ありがとう。貴女のおかげでエミリアーナ王女の血を残すことが出来たわ。本当に心から感謝しています」

 「……ぁ、いいえ、私はルーカスの養母です。あの子は姉の子になります。なので、私は特別何かをしたわけでは……」


 最後まで言葉を紡ぐ前に、ヴィオレッタに両頬を手で包まれた。


 「あら、そんな風に殻を作ってはダメよ。不安もあるでしょうけど、今貴女は子供を育ててる親ですもの。傷つかない様にと、貴女がルーカスから距離を取ってはいけません。気持ちはわかりますが、そうするときっとお辛いでしょう?」

 「……っ」


 心の一番柔らかいところを直に触れられた。

 不安を殺そうとして固めた仮面が乾いた土の様にぽろぽろと剥がれ落ちていく。しかし不思議と土足で踏み込んできたヴィオレッタにアンネリーゼは不快感を抱かなかった。

 ルーカスの今後に口を挟む権利を持たないアンネリーゼが唯一出来る防護策だったのに、ヴィオレッタは一番向き合いたく無い本心を見透かす。


 「あら……」


 ヴィオレッタの指に温かいものが触れる。

 それはアンネリーゼが溢した本心だった。

 怖くて、不安で仕方のないアンネリーゼの本心が瞳から暖かい雫を溢した。

 その様子にディートハルトやルーカスが驚きで目を見開く。


 「も、申し訳ありません、涙が……勝手に」

 「いいのですよ。みんなでお食事と思ってましたけど、ディートハルトはルーカスと一緒に食事を摂ってちょうだい。私たちは二人で食事を楽しむわ」

 「母上、私としてはルーカスとアンネリーゼ様は引き離すのは良くないことだと、先にお伝えしておきます」

 「貴方は気が回るのか、回らないのかたまに分からなくなるわね。心配しないで、心無い判断をするつもりはないわ」


 ヴィオレッタはアンネリーゼの手を取って引きずる様に連れて行くのだった。

 困惑したまま取り残されたディートハルトとルーカスは、ひとまず食事をして落ち着くことにした。




 ●○●○




 ヴィオレッタは、窓の大きな部屋にアンネリーゼを連れ込み使用人に二人分の食事の準備を言い渡す。

 そして、待ち時間の今、アンネリーゼと向かい合う様に座りゆっくりと語ることにした。


 「先に謝っておくわね。ごめんなさい。突然のことで驚いたでしょう?」

 「……はい。教えて下さい。本当にルーカスがアイゼンベルクの血を引いていた場合どのようにされるのですか?」

 「是非、アイゼンベルクで引き取りたいと思っているわ。……こんな話をすると脅しだと思われるけれど、実はエドガルドは暗殺されたの。前王と正妃の血筋を恨む輩にね。ルーカスがエドガルドの子であったなら間違いなく標的にされるわ。だからアイゼンベルクで保護をしたいの」


 淡々と告げられる事実にアンネリーゼが眉を顰める。


 「暗殺、ですか……。なぜ恨まれているのか、教えていただけるのでしょうか?」

 「そうねぇ、私も当時を生きてないから親からの受け売り知識なのだけど今の王は元々皇位継承権の低い王子だったの。第三側妃が母だったけれども、この方の生家が爵位は高くなかった。第一と第二が国内の有力貴族のレディだったわ」


 そうしてヴィオレッタは朗々と語る。

 短く事を纏めると


 第三王子の母は地位の高くない貴族だったが、中立派を纏めるために王が側室として迎え入れるも出産の後、熱病でこの世を去った。後ろ盾のない産まれたばかりの王子を王室の殆どは気にも止めずに居たが、正妃が第三王子を引き取り、我が子である第一王女と共に離宮で育てた。

 その間、第一王子と第二王子との間で勢力争いが起こり聡明と名高い第一王女がどちらを支持するかで全てが決まる時に、第一王女は第三王子を王太子に指名し後ろ盾となった事で争いが混迷化する。

 その果てに第一、第二王子の両者は暗殺され死去。王族暗殺に関与した貴族達を断罪して貴族全体の影響力が弱まったのだという。

 繰り上げとして第三王子が王太子として認められたが、今度は第一王女が視察に出かけた際、賊に襲われ死去。

 第一王女が第三王子を支持した事で混沌と化した王位継承争いから正妃の血筋を恨む貴族は多く、第六王女の庇護のために当時7歳の彼女をアイゼンベルク公爵家の男児と婚約させ、第六王女に暗殺の兆しはなかった。

 しかしルーカスの父、エドガルドの暗殺をきっかけに未だ禍根は残ったままだと判断した今、正妃の血筋を保護したいのだと言う。


 「お話はわかりましたが、それならばルーカスの存在を認めるのは危険なのでは?」

 「それが普通の反応ね。……でもそれは出来ないわ。なぜならこの国で薄紫色の髪は、隣国の王族であった正妃しか居ないのだから」


 アンネリーゼは衝撃を受けて思考が止まってしまった。

 どくどくと心臓が早鐘を打つ。

 自分の髪の色、ルーカスと同じ色というのがどんな意味を持つのか知ってしまったから。


 「ねぇ、アンネリーゼ様」

 「なんでしょうか」


 なんとか、口を動かして声を出せたがきちんと発音できているか自信がない。

 落ち着く暇を与えないヴィオレッタは、アンネリーゼの瞳をしっかりと見つめる。


 「もう一つ、正妃にだけあった特徴があるの。宝石の様に綺麗な赤い瞳、だったらしいわ」


 アンネリーゼの喉の奥から、ひゅっとか細い悲鳴が出る。

 ヴィオレッタは、ソファから立ち上がりアンネリーゼの背後に回ると、そっと肩に手を置いた。


 「先に謝っておいて良かったわ。改めてごめんなさいね? その被り物を自分で取るのと、私から取られるのはどちらがいいかしら?」


 声も出せず、固まるアンネリーゼの耳元にヴィオレッタの指がゆっくりと掛かるのを止めることは出来なかった。



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