鉄の公国《アイゼンベルク》
『親愛なる姉、クラウディアへ
そちらは暖かいですか? 私たちの様に夏や冬などの季節はありますか?
こうして貴女に手紙を書くのも6年目となりましたね。
ルーカスは日々元気です。もう10歳になりました。
ローレンゼン城伯が手掛けた学舎で勉強を頑張っています。
石材や石炭の輸出拡大で貴族だけでは業務を担うのが難しいので商人にも取り扱い許可を出す為の勉強の場だったのを、今では未来ある子供達への知識の提供の場になったのだとか。
毎日、何を勉強したのか楽しそうに教えてくれます。友達もできて、外で遊ぶ時間が増えて最近私が寂しく思うくらいです。
こうして子供の成長を貴女に書き綴ると感じます。あぁ、この喜びも寂しさも本当は姉さんのものだったのに、と。
ふとした時に、貴女への罪悪感のようなものが頭をもたげます。優しい姉さんが私を責めるはずもないけれども、時折私は私が許せないのです。もし、姉さんにとって私が頼れる妹なら、姉さんはこうして子供の成長を見られたんじゃないかって。
勝手にそんな風に考える事を許してください。どうしても「もしかしたら」と思ってしまうのです。
弱音を書いてしまいましたね。少し感傷に引きずられたようです。ごめんなさい。
悲し話ばかりではいけませんね。私ごとですが、歌劇が軌道に乗りました。
前は人前で女が着飾って歌ったり踊ったりは端ないと思われていましたが、私が貴女に送った葬送の歌が何かしら噂になったようです。
彼方此方から聖歌の依頼が舞い込み、気がつけば教会の組織に聖歌隊が生まれました。その聖歌隊に歌を教えているうちに、歌劇への印象が改善されたようです。
そのせいで、私が劇場の最前線から身を引くことになりましたが、私が愛した文化が世界に認められたことは誇らしい事です。
貴女にもぜひ、見て欲しいと思います。
貴女を愛する妹より』
綴った手紙を便箋に入れて溶けた蝋を垂らす。蝋を冷やして封をすると、それを平皿の上に乗せてマッチで火をつける。燃えていく紙を見ながら祈る。どうかこの手紙が姉に届きますように、と。
火が消えた皿を掃除していると、黒檀のドアがノックされる。
「どうぞ」
「アンネリーゼ様、中央の教区長様よりお便りです」
「ありがとう。お手紙を読んでもらっても良いかしら?」
こほん、と咳払いをして世話係のモニカが可愛らしい声で手紙を朗読する。
「読み上げます。
『拝啓、美しき金糸雀のアンネリーゼへ
夏の日差しが厳しさを増す日々が続きますが、御身体は大丈夫ですか?
いつも貴女の活躍が耳に聞こえております。
そんな忙しい貴女にお願いするのは申し訳ないですが、1ヶ月後はアイゼンベルク公爵前夫人が 薨御されて30年の節目となります。
中央にアイゼンベルク公爵から依頼がありました。
公爵前夫人を偲ぶために、貴女に聖歌を歌って欲しいそうです。寄付金はすでに送られているので断ることはできず心苦しいですが、ぜひお願いいたします。
迎えはアイゼンベルク公爵と現在の公爵夫人の御子息ディートハルト・エッカルト・フォン・アイゼンベルク子爵が直々に来られるそうです。
貴女であれば心配はないですが、失礼のないようにお願いいたします。
中央教区長 ブルーノ・ドロヴァンディより』
だそうです……。1ヶ月後の予定、どうしましょう?」
モニカが震える声で尋ねる。
聖歌隊を成り行きであったが結成してからアンネリーゼは教会所属の身となった。そこからは教会の行事などにほぼ強制参加である。夏の祭事などに既に予定を立てているのだが、それ以上にアンネリーゼは重たい声でモニカに聞かねばならなかった。手紙が届くのには時差がある。手紙を書いた時に1ヶ月後なのか、手紙が届いてから1ヶ月後なのか。それを確かめなければならない。
「ねぇモニカ。その公爵前夫人が亡くなった日っていつかしら?」
「え、えっと、………今から10日後だった…か、と……」
その瞬間、モニカとアンネリーゼの顔色がざっと青くなる。
「モニカ! うっかりな教区長の尻拭いするわよ!!!」
「畏まりました!! 急いで!限りなく急いでいつ男爵様が来られても良いように整えます!」
「私の荷造りは自分でするから、従者を3人用意して!!」
「はいぃぃ!!」
作法なんて気にする余裕もなくモニカは赤茶色の髪を揺らして走り出す。
アンネリーゼも遠出用の荷物を急いでまとめる為に式典用の衣服が保管されている部屋に駆け出した。
●○●○
あらゆる準備を1日で終わらせた。予定していた日程を全て白紙にする経緯を綴った手紙を届けるのを助祭に頼み、更にローレンゼン城伯夫人にアイゼンベルクの来客について遣いを走らせ聞きにいくなど荒技を繰り出し、その度に驚かれつつ同情された。
そして、アイゼンベルクの来客は明日の昼に到着すると聞いて北の教会は悲鳴を上げた。
その後、北の教会の教区長が、抗議の怒りの手紙を中央の教区長に書くのだった。
「激動だったわね……」
「はい、……疲れすぎて、もう頭が動かないです」
まだ14歳のモニカもへとへとに疲れ果て、立ったまま気絶しそうだった。立場上、モニカはアンネリーゼの従者であり、主人の側に控えないといけない。
二人揃って死にそうな顔をしてるのは、流石に良くはない。アンネリーゼはウィンプルに髪をし舞い込み、姿勢を正す。そろそろ、気持ちを切り替えなければ。
「モニカ、休憩室で休んで良いわ。あとは出迎えだけだもの」
「お言葉に甘えて失礼します……」
おぼつかない足取りで応接室から出ていくモニカを見送ると入れ違うように薄紫の髪をした少年が入ってくる。
まだ幼いのに利発そうな顔立ちをして、気遣うような視線を向けてくる。
「失礼します。叔母さん、疲れてるよね? なにか手伝いできることある?」
「ありがとう、そう言ってもらえるだけで元気が出るわ。ルーカスも準備は大丈夫? 突然のことでごめんね」
「ううん、僕もアイゼンベルクの首都には興味あったし、むしろ連れて行ってくれて嬉しいよ」
アンネリーゼの隣に座って、バックに入れていた包み紙を広げ、中に入っていたキャラメルを取り出す。
「はい、疲れた時は甘いものだよ」
「あら、気が利くのね。……ん、美味しい。これで最後のひと頑張りが出来そうだわ」
「これ、歌劇のみんなが、叔母さんに差し入れって言ってたから、全部どうぞ」
包み紙に残ったキャラメルを手渡すと、ルーカスは少し言いづらそうに目を伏せる。
「みんな、叔母さんのこと心配してた。もう戻ってきても良いんじゃないか、って」
「んー、そう思ったことも沢山あったけど……」
光に照らされ、凛然と舞台に立っていた頃の自分を振り返る。
「私は、歌劇が好き。大好きなの。自分が舞台に立つのだって大好きだけど、一番何より大事だったのは、この全てを未来に残すこと。その地盤を頑丈にするのは、私にしか出来なかった。だから未練はないわ。ここで一生を過ごすことになってもね」
アンネリーゼは、この六年の歳月で変わった自分の人生を思い出す。
聖歌の依頼が舞い込んできた日を。そこから人生は一変した。
今まで娼婦の延長線だと考えられていた女優という存在が『演技と歌声』に秀でた存在だと認められたことは、とても嬉しかった。
しかし、人の認識を変える為にアンネリーゼは、神聖な教会への所属をするしかなかった。
当時、取引があった。教会が歌劇を支援する代わりにアンネリーゼは教会の預かりとなり、聖歌隊の結成と教育、死者のために聖歌を奏でる金糸雀として飼われることとなった。
当時、歌劇のトップスターだったアンネリーゼが教会所属となり、教会も娼婦と女優の違いを国全体に広める広報活動を惜しみなく行い今ではフェルスウィンの外でも憧れの眼差しを受けるまでに至った。
「むしろ、私は誇らしいわ。みんなへの偏見がなくなったのもそうだし、まさかアイゼンベルクの首都アインシュバルツに行けるんですもの」
「叔母さんは、満足してるんだね? それなら、よかった。無理してるんじゃないかって心配してたから」
「心配かけてごめんね」
安心させるようにルーカスの頭を撫でると、嬉しそうに目を細める。
「ん、いいよ。勝手に僕が心配してただけなんだ。あと、ここにきた理由は一応、ローレンゼン城伯が僕の付き添いの話を通してるけど、お礼を言っておきなさいって言われてるんだ。男爵が来るまで一緒にいても良い?」
「もちろんよ。そろそろ到着される頃だと思うから……」
そんな話をしていると、応接室のドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼致します」
恭しく一礼しながら入室してきたのは、世話係の一人だった。彼は滑らかに報告をする。
「教会にアイゼンベルク公爵の御子息が到着いたしました。現在、司教が出迎えと挨拶をされています。もう直ぐで到着いたしますので、ご準備をお願いします」
「分かりました。下がって良いですよ」
一礼して退室していく世話係を見送り、アンネリーゼは気を引き締める。
隣に座っていたルーカスも背筋が伸びた。
緊張しているのか、ルーカスは何度も深呼吸して口の中で挨拶の言葉を繰り返す。
暫くしていると、ようやくドアがノックされる。
「アンネリーゼ様、アイゼンベルク卿をお連れいたしました」
「どうぞ、お入り下さい」
入室許可を出し、立ち上がる。それに倣ってルーカスも立ち上がった。
ドアを恭しく開けて教会の者が、礼服姿の逞しい男性を応接室に案内する。
短い赤髪には艶があり、それは燃える様な色であった。アイスブルーの切れ長の瞳が、しっかりと見つめ返してくる。端正な顔立ちは彫刻の像が動き出したかの様な芸術的な美が宿っていた。アンネリーゼも思わず見惚れてしまう。
アイコンタクトが取れると、アンネリーゼは深く一礼した。
「本日は遠いところからご足労頂き誠にありがとう存じます。この様な機会に恵まれたこと、アイゼンベルク公爵ならびに、アイゼンベルク卿に深く感謝いたします」
軽く頷くだけの礼をした男性、アイゼンベルク公爵子息ディートハルトは、雪の降る様な静かな威厳のある声で挨拶を交わす。
「こちらこそ、教会の皆様並びにアンネリーゼ様の献身には痛みいります。私事ではありますが昔、貴女の歌劇を見たことがあります。あの日見た感動が蘇るような思いです」
「ご期待に添える様、限りなく尽力致します。不躾な質問ですが、聖歌は私だけでよろしいのでしょうか? 聖歌隊の要請ではありませんでしたが、もしもを考えて準備しております」
「アンネリーゼ様の聖歌を望んでいます。親族のみの細やかな集まりなので、ご心配には及びません」
それを聞いて、控えていた教会の助祭がほっとした顔をする。いくら準備したといえ急だったので不備がある可能性は否定できなかった。公爵家からの要請で粗相をする事となれば国中で教会への評判に繋がることは明らかであり、それは絶対に避けたかったのだ。
その代わり、全部アンネリーゼに責任がのしかかるのだが。
「畏まりました。それでは、もしよろしければ家族を紹介してもよろしいでしょうか?」
「あぁ、ローレンゼン城伯から話は聞いております。確か甥が付き添うのだとか」
ディートハルトは視線を下げて、初めてそこに人がいることに気付いた。ルーカスの薄紫色の髪を見て思わず目を見張る。
息を呑む様な雰囲気にルーカスの体が強張る。
「は、初めまして。ルーカス・ノイマンと申します」
「ルーカス君、だね。私はディートハルト・エッカトル・フォン・アイゼンベルクだ。今後、よろしく」
二人はぎこちない挨拶を終えると、ディートハルトがアンネリーゼに手を差し出す。
「それでは早速向かいましょう」
「よろしくお願いします」
差し出された手に触れたものの、性急だとアンネリーゼは感じる。視線が先程からルーカスに寄っている。どうも気になるらしい。
その理由は分からないが、あまり良いことの様では無いだろう。
ディートハルトにエスコートされ応接室を後にする。ルーカスはアンネリーゼにぴったりと付いて来る。
無言で教会の廊下を進みながら、ディートハルトの顔を横目で見る。初対面であるが、アンネリーゼから見てやや強張った顔をしている様に見えた。
白を基調とした荘厳な雰囲気の廊下を抜けると、正面玄関ホールに待機していた助祭が駆け寄ってくる。
「失礼致します。大変申し訳ありません。まだ荷物の運び入れが終わっておらず……。お手数をおかけしますが応接室で」
「いえ、荷運びが終わるまで馬車の中で待っています。それでよろしいですか、アイゼンベルク卿?」
「はい、是非そうしていただけると幸いです」
はっきりとした声で公爵子息に言われると助祭も何もいえず一礼して三人を見送る。
三人で公爵家の豪奢な広い馬車に乗り込むと、ディートハルトがほっと息をつく。
端正な顔に緊張の汗がほんのりと滲んでいた。
「ご厚意に感謝いたします。実は早急に確認したいことがありました」
「何かしら気になる様だったので。私の甥ルーカスについての様でしたから。他の人のいない空間が必要だと愚考いたしました。どうぞ、お聞きください。お答えできる範囲で答えます」
柔らかな笑みで動じることなく話を促すアンネリーゼにつられて、ディートハルトが遠慮がちに口を開く。
「初対面の方にお聞きすることではないと分かっているのですが、こちらのルーカス君のご両親は今どちらに?」
「産みの親である姉クラウディアは六年前に亡くなりました。姉は未婚のままだったので父親については存じません。姉曰く、この子の色は父親によく似たのだとか」
その言葉を聞いてディートハルトの薄青い瞳が大きく見開かれ、困惑と喜びを混ぜた顔色になる。
そんな彼にアンネリーゼは待ったをかけた。
「しかし」
教会所属の女性は、髪を露出する装いは出来ない。アンネリーゼがディートハルトの意思を汲んで馬車に乗り込んだのには意味があった。
彼女は頭に被っていたウィンプルを脱ぐ。
こぼれ落ちた薄紫色の美しい髪がディートハルトの眼に映り込む。
「私たちの家系の色でもあります。姉の髪は亜麻色で母によく似ていましたが、ルーカスが貴方の探す人でない可能性もあるでしょう」
瞳の色は違えど、アンネリーゼのルーカスの髪の色は酷似している。
しかし、ディートハルトは喜びの色をより一層強め、食い気味に身を乗り出す。
「今、お姉様の名前をクラウディアとおっしゃられましたか!?」
「は、はい……」
アンネリーゼとルーカスは驚き、後ろに身を引く。
自分の勢いに気づいたのかハッと我に帰ったディートハルトが姿勢を正す。
「こほん、その前にお姉様の件はお悔やみ申し上げます。……実は、私の兄エドガルドが七年前に逝去致しました。その時、日記が見つかったのですが、そこでフェルスウィンで一人の女性と関係を持ったことが綴られていました。六年ほど前に日記に書かれていたクラウディアという女性を探したのですが見つけられず、心残りだったのです」
「そうだったのですね。……もし、ルーカスがアイゼンベルク卿のお兄様の子であった場合、どの様にするおつもりですか?」
ディートハルトは迷うことなく答える。
「先ずは両親への報告になります。もし事実なら兄の唯一の子になりますから。アイゼンベルク公爵の正式な後継者の可能性もあります」
「……卿は、アイゼンベルクの当主に興味はないのですか?」
「よく問われますが、私は正妃の子ではありません。あくまでアイゼンベルクの正当後継者は、ディバイベル王国の第六王女殿下とアイゼンベルク公爵との間に生まれた血筋にあるべきなのです。私は 薨御された第六王女殿下のレディズ・コンパニオンであった公爵現夫人との子です。代役であれば引き受けますが、……公爵家当主の肩書は私に相応しくありません」
整然とした姿には裏表がない様に見える。
しかし身の程を弁える様な振る舞いにアンネリーゼは訝しんだ。
王女のレディズ・コンパニオンということは高位の貴族だろう。伯爵以上の令嬢なら公爵家の後継者として十分に満たせしているはずだ。ディートハルトは公爵家当主としてなんら瑕疵がないはずである。
しかし目の前の男は、自分が後継者として相応しくはないと断言する。
そうなると、本人の資質よりなにかしらしがらみがあると見るべきか。
「王家との盟約のために、王家血筋が必要ということですか?」
「……いいえ。ただ私の母は子爵家の者で、兄と立場と比較すると弱いのです」
「……なるほど」
例え婚外子であったとしても、王家の血筋の方が尊ばれるらしい。
それより、王家のレディズ・コンパニオンが子爵令嬢というのもかなり珍しい。基本、その地位は自分と同等か少し下の階級の令嬢が務めるのだから。
その上、第六王女殿下の 薨御後にアイゼンベルク公爵が妻として娶ったのだから、人間性が優れているか、とても美人なのだろう。
事実目の前のディートハルトは芸術家が丹精込めて作った彫像のように美しいのだから、その母も相当な美人だと思われる。
だがどんな経緯であるかを今は聞くつもりはない。
ルーカスの出自がはっきりするまで、あくまで他人として振る舞うしかない。
「……叔母さん、僕、ずっと叔母さんと一緒にいられるよね?」
自分のことで二人が大事なことを話していることくらい、ルーカスにも分かる。
不安に駆られて手を強く握ってくるルーカスをアンネリーゼは優しく撫でた。
「私は何があっても貴方と一緒よ」
未来のことなど分からない。でも今だけは、大事な家族の不安を拭いたかった。