#2
抱きしめられてしばらくしたあと、ここが道の往来であることを考えると突然恥ずかしくなってきた。
「#&##」
気を遣ってくださるのがわかる。
「は、はい」
というかこんな畏れ多いことをして、私は死刑になるんじゃないだろうか? お貴族様のお洋服を泥だらけにして、そのお金を取られるんじゃないだろうか? お貴族様によっては、国が立つほどの服というものがあるらしい。そう思うと血の気がサーッと引いていった。
「あ、あの。もう大丈夫です」
そういって離れようとしたのだが、むしろ目の前の御方は、私をお姫様だっこした。
「え、ちょ、あ」
目の前の御方が空高く飛んだ。
信じられないことだが、人が鳥のように飛んだのだ。
初めて空を飛んだ感想といえば怖かったに尽きた。落とす様な人とも思えなかったが、降ろしてくださいとも言えず、しかし、お姫様だっこをされている状態が気恥ずかしい。
私の初めての飛行体験は、周りの景色を見る余裕などないが、外を見てしまうと怖いので、前を向く。前を見ると目の前の御方と目が合ってしまいそうで気恥ずかしい。なので外を向くというループに入ってしまい、かなり挙動不審だった。
空から地面に降り立つとまともに考える余裕ができた。地に足が着くってこういう意味じゃないよなと考えつつ、冷静に分析する。お貴族様には、青い血が流れると言うけど、この御方は、喋る言葉すら違うのかしら。私は今までお貴族様なんて話でしか聞いたことが無かったので、目の前の御方が身なり、動作こそがお貴族様のイメージだった。お父様曰く貴族というものは元来戦う者という意味がある。多くの人間は魔術を使う事も出来ないし、魔獣に出会ったのならそれは死を意味する。しかし、お貴族様は違う。殆どの物が魔術を使えるのだそうだ。と言ってもお父様によればピンキリだそうで、多くのお貴族様は昔の様に魔獣を狩ったりはせず、城壁の中で暮らすそうだ。また、平民にも魔術を行使できる者もいるらしい。とのことだった。何か具体的なイメージはできなかったのだが、私のイメージではお貴族様というものは人間で、私達と同じ言葉を話すのかと思っていた。まさか私達と同じ言葉を話さないとは思いもしなかった。しかし、むしろ納得するところである。あんな巨大な魔獣と戦う者が人間に近いと考えるのが烏滸がましいのかもしれない。
そう思いながらしばらく歩くと何やら多くの人間と旗が見えた。一人の人間がこちらに気付くと血相を変えて奥へと走り出した。
「#**」
まるで挨拶でもするかのように目の前の御方は、何かを発声する。声のトーン的に敵とかではないと思う。
「あ、兄上〜」
何処からか兄を呼ぶ声がした。その声は鎧を付けた大人と共に近づいてきた。鎧を付けた男達の中から身なりの良い少年が出てきた。
「兄上。よくぞご無事で」
「##゜#」
「いえ、何よりも兄上のご無事が何よりです」
もしかしてこの人はこの御方の言っていることがわかっているのだろうか?よく見れば彼はまわりの兵隊に護られている。まるでこの子供が一番偉いかのようだ。
「してこの娘は何者で?」
「##$€¥・〆+:÷〆×###+〒#」
リア様が何を言っているか検討もつかないが、きっと説明してくれているのだろう。そしてこの少年はきっと言ってることを理解できるのだ。
「な、なるほど」
身なりの良い少年はこちらを一瞥して言った。
「しかし、お疲れの兄上に説明して頂くのは、申し訳が立ちませぬ。そこの娘子。そなたに兄上の代わりに説明する資格をやろう。クローバー辺境伯の息子。イスカは民草だからと言えど差別はしない」
「え?」
驚いたが、直ぐにどうしてこうなったかわかった。おそらく、この人は…
「私は、強盗に母と父を殺された後、人攫いに連れられました。人攫いが私を運んでいる最中に魔獣に襲われ、そこを救って頂きました」
「流石兄上だ」
そうこの人は目の前の御方が何を言っているのかわからないのだ。
「#」
肯定する様に目の前の御方が発声する。
「しかし、貴様も災難だったな。多少の路銀と城壁まで兵が送っていってやろう。して何処の城壁出身だ?」
何処の城壁出身?
それを正直に答える自分を想像してやってしまった。と思った。多くの人間は、城壁の中に住んでいるのだ。城壁の中に住んでいないものとは、犯罪者か犯罪者の家族だ。ここは嘘を付くべきだろうか。そう思い顔を上げると目の前の御方と目があった。
目の前の御方を見ると不思議と嘘を付きたくないと思ってしまった。
「私は城壁の中に住んでいません」
身なりの良い少年は、顔を顰めた。
やってしまった。嘘を付けば何処か送って貰えたというのに。
「犯罪者。いや、犯罪者の子供か。貴様に罪は無いと言えど我が城壁に入れてはならぬ。せっかく兄上が救った命。殺しはせぬ。ここから立ち去れ」
それは死刑とは変わらない。魔獣が巣食う森の中で私一人で生きていけるとは思えない。
帰ろう。
ここで粘ろうものなら斬りつけられても文句は言えない。
翻って一歩踏み出そうとした時だった。
「#」
その発生はこの世で一番綺麗に思えた。
その言葉は、何を言っているのかわからなかったが、この場の誰もがその意味を分かった。目の前の御方は、私を引き留めた。ただそれだけである。赤子でも分かる簡単なことだ。そしてその選択は、目の前の御方と私以外にとって良い選択ではなかったのだ。
その場にいる兵士を含めた全員に緊張が走る。
「あ、兄上。何を仰られているのです。この者は城壁の外のものです。決して中に入れるわけにはいきません」
「#$」
「兄上!」
目の前の御方は両手で私の肩を持った。本人としては離さないつもりの意思表示かもしれない。
しかし、私としてはまるで盾にでもされて、弓の標的にでもされているような気分だ。
「#$」
私を含め、周りの兵士たちも困っている。
よし、自分より困っている人を見たら落ち着いてきた。
状況を整理してみよう。
まず、私は犯罪者の子供。身なりの良い少年が言うには、私は城壁内には入れない。
次に目の前の御方。兄上と呼ばれているのだから身なりの良い少年の兄なのだろう。そして目の前の御方は私を城壁内に入れてくれようとしてくれる。そして周りの反応を見る限り、それはただの我儘、しかもルールに反するような我儘なのだ。
そして身なりの良い少年。おそらくは人の言葉を喋らない兄上に変わり、この場を仕切っている。しかし、目の前の御方のほうが本来は偉いのか、目の前の御方の言っていることを断れない。ここでルールを守ろうとするあたり、真面目なのだろう。
そして私を挟んで喧嘩する兄弟。私としては目の前の御方の言うとおり(喋ってはないが)ここで連れていってもらえなきゃ死んでしまう。齢13。森の中で食事を取ることも難しいだろう。よしんば取れたとしてもその内、魔物に食われてしまうに違いない。
「あ、あの」
私は意を決して言った。身なりの良い少年が少しだけ期待するつもりでこちらを見たのが分かった。おそらくその期待というのは、私が目の前の御方が言っていることを辞退することなのだろう。この空気感に耐えられなくなった少女は、気遣って断る。そういった筋書きであれば、目の前の御方を納得させられる。
「私が間違っていました」
「そうか、そうか。しかし、間違いは誰にでもある。この私でさえもだ。しかし、それをここで正直に話してくれれば、それを許す」
「はい、城壁の外に住んでいたというのが、間違いでした。」
「なっ」
「高貴なる人に囲まれて動揺して、おかしなことを言ってしまいました」
「なっ、それならば何処の城壁に住んでいたのか言ってみろ。それが嘘ならばお前を殺す」
身なりの良い少年は、非常に驚いていたのだが、すぐにまた私を入れないような言動をしてくる。この人は強敵ではあるが、悪い人ではない。そう信じて私は口を開いた。
「いえ、私は覚えていません。父と母を殺されたときに、ショックのあまり忘れてしまったようです」
「・・・・・・」
身なりの良い少年は黙った。この場にいる誰もが私が嘘をついたと思っている。しかし、誰も指摘することなく黙った。そもそも城壁から出されるような犯罪者は刺青を入れられる。私の父と母にもそれはあった。しかし、その子供がどうかなんてものは、そもそも想定していないのだ。だからこそ、母と父は私だけでも城壁の中で住むことを夢見ていた。そして、今この瞬間はその最大のチャンスだ。これは私にとってメリットのある嘘だ。しかし、それは目の前の御方も、身なりの良い少年も誰も損をしない。身なりの良い少年が言うには、犯罪者を城壁の中に入れてはいけないというだけなのだから。後はこの人の天秤がこちらに傾くだけ。
「ふむ」
値踏みをしているその少年の様子に固唾をのむ。
そう、あとはこの少年が優しいか心の持ち主かどうかというだけなのだ。
「どうやら父と母を殺されたショックで記憶が飛んで自分の帰る城壁がわからなくなってしまったようですね」
よかった。
この人は真面目な人に見えたから、もし融通がきかなかったらどうしようかと思った。
「それにその飛んでしまった記憶とやらの正体が、犯罪者の娘だとしても証明ができないですしね。良いでしょう。誰かうちの城壁まで連れて行ってあげてください」
最後に釘を刺されたが、これで活路が開かれた。まあ、城壁の中でどうやって暮らすかという問題はまだ残っているのだが、それを考えるには疲れすぎた。町に着いてからでもいいだろう。
「兄上。魔獣を殺したのなら、馬車に乗って帰りましょう」
「・・・・・・」
目の前の御方は何故か私から離れない。
御付きの兵が一人こっちに来たのだが、どうやら困惑した様子だった。
「あ、あの子爵殿。連れて行くので離していただければと」
「%」
目の前の御方は子爵というのか。しかし、子爵様は今拒否しなかったか?
「あ、兄上。いくらなんでもそれは我儘が過ぎます。」
子爵様はいまだにがっちりと肩を掴んだままで、そのまま馬車に乗りこもうとした。もしかして私と馬車で帰ろうとしている?
「兄上、いくらなんでも馬車にその下女は乗せません」
「###」
わかったと言った気がするのだが、その返事に対して空に浮き始めた。
「きゃっ」
いきなりでびっくりしたのだが、急に私も浮いた。いや、お姫様だっこされた。
「兄上。それは絶対にダメです」
「#$%%」
もしかして馬車に乗れないなら空を飛んで帰るとでも言いたげだ。
「わ、わかりましたから、兄上。その下女を馬車に乗せてもいいです。なので、空を飛んで帰ったりなどしないでください」
「###」
そう言って子爵様に降ろしてもらえた。
「####♪」
何を言っているかは検討が付かなかったが、まるで自分の我儘をすべて押し通した喜びを噛みしめているようだった。
ご機嫌な子爵。不機嫌な身なりの良い少年。気まずい私。本来であればいるべきではない私がここにいるのは、人の言葉が喋れない子爵のおかげだった。無言が続く馬車の中で何か喋ろうにも子爵が何を言っているかはわからず、身なりの良い少年は不機嫌で喋りかけるなと言わんばかりである。しかし、喋らない気まずさと喋ってしまう気まずさを天秤に掛け、喋る気まずさを取った。
「あ、あの」
身なりの良い少年が嫌そうにこちらを見た。しかし、その視線に負けず、喋りだす。
「お二方のお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
しかし、身なりの良い少年はこちらを無視した。
「いて」
代わりに「いて」と帰ってきたので、よく見てみると子爵様が何かを飛ばしていた。
「痛い、痛いです。兄上。喋りますからおやめください」
はぁとため息を吐くと喋りだした。
「兄上はリア・クローバー、若干15歳にして竜を倒し、子爵の官位を持っている。私はイスカ・クローバー。クローバー辺境伯の息子、そして兄上の弟だ」
慣れた様子で話すのは、実際に慣れているからなのだろうか。
「あ、改めまして先ほどは助けていただきありがとうございました。私はマリー。ただのマリーです」
「ふん。礼は兄上に言え。しかし、どうしようか? 城壁に着いたらほっぽり出すつもりだったが、兄上が許してくれるとは思わない」
そうしてしばらく悩んだようなそぶりをすると答えた。
「ああ、決めた。貴様メイドになれ」
「え?」
いや、職の宛てはないから願ったり叶ったりなのだが…。
「いいのですか? よくわからないものを入れて」
「別にお前が暗殺者の類ならすでに兄上が殺しているだろうよ」
殺す。目の前の御方はあの大きな魔獣をいとも簡単に殺せるくらいなのだから、そりゃあ殺せるだろうけど。
「それともなんだ? 兄上の愛人として暮らしたいのか? いて。兄上おやめください」
間髪入れずにリア様は何かをイスカ様に放った。
「いえ、そういったことなら謹んでお受けさせてください」
「愛人をか!?」
「違います!」
驚くぐらいなら提案するな。
「ああ、メイドか。まあ、精々頑張るんだな。兄上もこれでいいですよね」
リア子爵は頷いた。
「お前のために言っておくが、兄上が優遇してくださるとは思うなよ」
「はい」
「どうせ。兄上の気まぐれなのだから。真面目に付き合っていてもしょうがない」
小声で言っていたのは私が聞こえていたぐらいなのだから、リア子爵も聞こえていたのだろう。リア子爵はイスカ様の頭を撫でた。
「ふん」
そうやって撫でられている姿は先ほどまで「貴族をやっていた」時よりも一層子供っぽく見えた。この人は言い方こそ厳しいが、優しい方なのだろうと思った。いや、優しいからこそ厳しい人なのだ。
「カーテンを間違っても開けるなよ」
馬車に揺られることしばらく経った後、開けるつもりもなかったことを言われぽかんとしていたが、すぐに理由は分かった。
「精霊様~」
「リア様~」
「王子様~」
大勢の歓声。黄色い声援だったり、それは信頼の証だったりと様々な感情が入り乱れる。どうやら城壁に入るや否や、大勢の民衆に向かい入れられたらしい。
「この程度の魔獣退治、兄上にとっては大したことはないのだがな。兄上は人気なのだ」
「凄い方なのですね」
「当然だ」
イスカ様は兄上のことが好きで仕方がないのだろう。そう思うと微笑ましく思えた。
「着いたぞ」
ようやく馬車から降りるとそこには見たこともないような建物があった。首が痛くなるくらい高く聳え立つ城壁。そしてそれより高い王城。どれも初めて見たばかりのものだ。
「わあ」
思わず声が出てしまう。
「はん、田舎娘さながらだな」
小馬鹿にされ少し恥ずかしくなった。いや、田舎娘なのは事実なのだけれど。
「おい、執事長はいるか?」
すぐに控えていた老年の執事が出てきた。
「はい、ここに」
「こいつは兄上がきまぐれに拾ってきた女だ。適当にメイドでもやらせろ」
「はっ。わかりました」
「どうせ兄上もすぐに飽きる。使えなかったら容赦なく捨てろ」
「はっ」
全くもってひどい言葉で笑いそうになってしまった。既にこの方は優しい方だと知らなかったら勘違いするところだった。これは執事ではなく、私に言ったのだ。もらったチャンスを無駄にするようならいつでも切り捨てる。だったら頑張るだけなのだ。
「わかりました」
執事さんに言った言葉を勝手に返したら怒られるので、小さな声で宣言した。私は頑張って見せる。救われた恩返しをするために、立派なメイドになると今ここで決めた。
そのために、まずはイスカ様の鼻を明かすくらいはして見せようじゃないか。
お父さんとお母さんの死を悲しむ余裕さえこのときはなかった。