#1
西の国の王子様は精霊語を喋るぞ
風の大精霊様に気に入られて
精霊様の国に連れてかれた
西の国の王子様は精霊語を喋るぞ
街に行く荷馬車から聞こえてきた吟遊詩人の流行歌だとお母さんは言っていた。そして、これはお母さんが歌ってくれた最後の歌でもあった。今でもこの歌を思い出すときは、幸せと悲痛を思い出す。
私は貧しい生まれの人間だった。この国の多くの人間は、城壁の中で暮らす。魔術師でも無ければ、一生そこから出ることなどない。しかし、一部の人間は、城壁から出される。例えば、犯罪者とかだ。多くの人間にとって、それは実質的な死刑だった。だって魔獣に食べられてしまうから。ただ、ほんの一握りの人間は運良く生き残る。運良く生き残った人間は家を作り、家庭を作り、子供を作る。
その子供こそが私だ。
犯罪者の子供ではあったけど、誰も揶揄する人もいない。少なくともその時の私は幸福だった。
私が生きていることこそが、幸運の連続によって偶発的に発生した奇跡と呼ぶべきものだった。友達もいなければ親戚もいない。父と母と私だけ。それでもいい。私達は仲睦まじく必死に生きていた。毎日が忙しかったけどそれは幸せと呼んでも良かった。
しかし、奇跡は、そう長々と続かなかった。人里離れた場所にいるということは、犯罪が起こったってわからないということなのだから。
強盗と父が揉み合って陶器の花瓶が落ちた。
朝積みのスミレが無残に踏みつぶされる。
面が赤黒く、笑っていたお父さんと同じお父さんかどうかもうわからない。
「馬鹿、何殺してるんだ!」
その声で目の前の現象を理解した。
お父さんは殺された。
残されたのは、お母さんと私の二人。
盗賊の怒声が鳴り響く。
「いや、こいつ襲ってきたんだって」
気弱そうな太っちょな強盗が言い訳をした。
強盗たちが話し合っている間に、お母さんと目が合った。
それは一瞬にも、数時間にも思えるような長さで見つめ合った。それは私にとって意味をなさなかったけどお母さんにとっては意味をなしていた。
「あああああ!」
獣のような声がお母さんから出たとは思えなかった。
止めて。
お母さんは台所に向かうと包丁を取った。
それはいつも使い慣れている小さなナイフに過ぎない。
「危ねえ」
太っちょの盗賊はギリギリ避けるとお母さんのナイフを取ろうとした。お母さんも必死に取られまいと必死に抵抗する。
「あっ」
お母さんが太っちょの盗賊の間抜けな声とともに倒れた。お母さんが倒れると太っちょの強盗が何をしたのかはっきりと見えた。
お母さんが持っていたナイフで刺した。
「わ、わざとじゃねえ。今のは襲われたから」
この下衆は人を刺したことよりも自分が悪くないと言い出した。
「うるせえ、馬鹿が。こんなガキ売るより父親を鉱山奴隷にしたほうが金が手に入るんだよ。母親だってまだ娼館に売れた。だが、こんなガキ買い叩かれるに決まってるだろうが。」
「今までも子供売ってきたじゃないか」
「誘拐してたから二束三文だって売れたさ。でも今回はちゃんと目星をつけて荷車まで持ってきたんだぞ。魔獣でも出たら丸損だ。家中ひっくり返せ! 何か金目のもの探すんだよ!」
「うう、ごめんよ」
母と父の死体の前で何か強盗が喋っていたが、何も頭に入ってこない。
ただ心にぽっかりと穴が空いた。
ただ呆然と突っ立っている。
「くそ、急いで城壁に戻るぞ。」
「ああ、でも、売っちゃう前にこいつの味見していいかな」
気弱そうな男は、太った気持ち悪い手で私の髪を撫でた。
「その場合は今すぐお前をバラバラにして魔獣の餌にしちまうぞ」
「ご、ごめん、って」
そう言って名残惜しそうな目で私を見た。気色が悪いと理性では思っているのに、身体がまるで動かない。精神と肉体が分離されているかのようだった。
「良いから来い。逃げたらそのままバラバラにして魔獣の餌にしてやるぞ」
細身の男は、悲鳴を上げるでも、怖がるでもない私に調子が狂った様子だった。私は麻袋を被せられて荷台の上に叩きつけられた。
痛い。
そう、痛かったのだ。ああ、お母さんもお父さんも痛かったのだろうか?
「ひぐっ、うう、ああ」
心にぽっかりと空いた穴から涙が流れてきた。
「へん、今頃泣くなんて馬鹿な女だ。父親と母親が殺されたことに今更気付くなんて」
違う。気づいていた。
「こんな白痴だと使用人も厳しいな。余計金が取れない。テメエのせいだぞ。この薄鈍」
「ごめんって」
強盗共は荷車を押した。私は気を失う様に眠ってしまった。
荷車が石を踏んだのだろう。その衝撃で目が覚めた。これからどうなるんだろうか。奴隷として売られるとか、しょーかんという場所に売られるとか言っていた。禄でも無いことは確かだろう。
今まで街に行ってみたいということはあった。それを父と母に我儘を言ってみたりしたことはあった。しかし、こんな形で街に行くことは一切予想していなかった。
重苦しい様な音で異変に気付いた。
「やばいって兄貴!」
「うるせえ静かにしろ」
騒ぐ太っちょの声と潜めるような細身の声。
当然だが、麻袋を被せられて何も見ることが出来ない。しかし、緊急事態であることは容易に想像できる。重苦しい様な音は、足音の様に連続する。否、足音の様にではない。これは、足音なのだ。魔獣以外にこんな音は、あり得ない。
「おい、聞け」
まるで私に聞かれないように囁くのだが、丸聞こえだった。
「これから俺たちが、もし魔獣に見つかった場合、こいつを置いていく」
「ええ! せっかく捕まえたのに」
「うるせえ! 殺すぞ。こんなガキよりも荷車の方が高い。こいつが壊されたら金が払えない。そうなったら俺等も城壁の外で暮らすんだぞ」
「わ、わかったよ」
「車輪は命よりも高いんだ」
この言葉の意味は全く知らなかったが、何故だが記憶に残った。
「こいつを置いていっても荷車は持ち帰れ、絶対にだ」
「う、うん」
そうして荷車が草むらに入った音がした。その後荷車が止まったからおそらく魔獣をやり過ごすつもりなのだろう。
お腹に響く音がどんどんと近付いてくる。
「神様、助けてくれ」
太っちょの情けない声が聞こえる。それが何となく笑えた。笑わなかったけど。どうせ私を殺すならついでにこの強盗を殺してくれないだろうか。そんな期待さえ湧いてくる。
どうか神様私ごとコイツラを食い殺して。
GAAAAAAAA
魔獣が叫ぶと縛ってもない麻袋は吹っ飛んでいった。
巨大な野犬のような、熊のようなそんな印象を受ける怪物が目の前に現れた。
魔獣が目の前に現れてから、最初に思ったことは死にたくないということだった。
さっきまで死んでもいいなんて思っていたくせに死にたくなかった。
この瞬間だけは強盗のことなんて忘れていた。
「おい、逃げるぞ」
荷車から蹴落とされてただ座りつくす。そうなってやっと強盗のことを思い出す。ガラガラと音を立てながら、男たちは逃げ出す。
魔獣が適当に腕を振るえば、私は簡単に死ぬ。
逃げ出そうにも手を縄で縛られていてどうしようもない。仮に縛られていなかったとしても逃げられはしないだろう。
というのに魔獣は何故か躊躇していた。
GAAAAAAAAAAAA
魔獣がもう一度叫んだ。まるで戦いを避ける獣が威嚇するかのようだった。
身長が5メートルは超えそうな魔獣がどうして戦いを避けるというのか。私が立ち尽くしていると魔獣は飛びかかってきた。当然私は死ぬ。むしろどうしてさっきの一瞬でも猶予があったのか理解に苦しむ。
早く私の苦しみを解き放ってくれ。
私が人生で見た中で一番強い生き物は魔獣だった。もちろん私の見識が狭いというのはあるだろうけど、多くの村人にとって一番強い生き物は魔獣なのだ。一番人を殺している。しかし、そんな野獣を一番狩る生き物がいる。
それもまた人間なのだ。
「キャウ」
まるで子犬が驚いた様な声。しかし、目の前の光景はそんなかわいらしいものではない。魔獣の腕が切り落とされ、宙に浮いていたのだ。
「####」
人が発したとは思えないような声がその人間からした。その声に導かれるように風がうねり、刃となって魔獣を襲う。まるで包丁で肉を切るよりも簡単そうに魔獣はバラバラの死体となった。
その日から私が知る最も強い生き物は目の前の人となった。まるで風の精霊に祝福でも受けたかのような緑色の髪の毛と瞳。人ではないと思うような美しい美貌は、女性らしさもあるが、どうやら男のようだった。この人はもしかして風の上位精霊様だったりするのだろうか? 下位の精霊は形を持たないが、上位の精霊になると人間の姿になって遊んだりするという。
「も、もしかしてお貴族様ですか?」
どうやら先ほど魔獣から逃げた強盗どもは戻ってきたようだった。
「いやあ、ありがとうございました。私たちの娘、いやあ、妻をなくして一人になるところでした。ありがとうございます」
土下座をしながらすらすらと嘘をつくその様は関心さえしてしまいそうだった。
「いや、ちが……がっ」
強盗は急いで近づいてきて私の頭を地面にこすりつけた。泥が口に入って喋れない。
「お前、お貴族様で前でなんだ! すいません。まだ世間知らずの娘なんです。許してください」
喋ったら殺される。というよりお貴族様が私を救ってくれる保証なんてない。ここで喋っても信じてもらえなかったらもっとひどい扱いを受けるかもしれない。
それだったらここはこの強盗に合わせたほうがいいのか?
「##%#?」
目の前のお方は、先ほど魔獣を殺し時と同じような音を発した。
「え? なんとおっしゃりました?」
強盗は難しい言葉でも言われたように聞き返す。
「##%#?」
それはどう考えても人が発せるような音には思えない。しかし、直感的に思った。これは言葉なのだと。
私の頭のなかで唄が流れる。
西の国の王子様は精霊語を喋るぞ
もしかしたらこれは精霊語を喋っているのかもしれない。
でも、何を喋っているのかなんて全くわからなかった。
しかし、こう言っているのだと信じたい言葉があった。
「本当か?」
そう言っていればいいな。でも、そう言ってもらえたら私の人生はここで変わる。
気づけば口に入ってくる泥なぞ気にせず口を開いていた。
「この強盗は嘘を言っています。私の父と母はこいつに殺されました。こいつは人攫いです」
「な、何を言っているんだ!」
細身の強盗が手をあげると反射的に身を屈めた。打たれる。
しかし、いつまで経っても打たれたりしない。おかしいと思って見てみると強盗は5m先で転んでいた。
「お、お貴族様、こいつは嘘を言っています」
必死に強盗が弁解をしようとするとまるで自分から転がるようにさらに後ろに5mほど転んだ。強盗に対し突風が吹き、まるで魔法でも見ているみたいに吹っ飛ぶ。耐えかねたのか逃げる様にして走り去っていった。
「#&##」
大丈夫か。そういっているように聞こえた。
気が付けば、涙が流れていた。嗚咽が止まらず、泣きじゃくる。
すると目の前のお方は胸を貸してくれた。
「お、おきぞ、く、さまの、およう、ふくがよ、よごれて、しまいます」
そうは言うものの私は離そうとしなかった。泥だらけの私をそっと抱きしめてくれる目の前のお方が、まるで母のようだったのだ。
しばらくの間ずっとそうしていた。