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じわりと床に赤いモノが広がった。
際限なく広がるわけではなく、俯せ状態になった顔、その口元辺りから少し広がっている。
当たり前だ。自業自得とはいえフラネアの身体は背面から壁に、受け身を取る暇もなくぶち当てられたのだから。反対によくその程度の出血で済んでいると思える。
ポクル達も目を見開いて固まっていたが、小さく広がる血溜まりに反応薄く、ついっと目を逸らすだけだ。
この辺りは低位とはいえ貴族なのだろう。
シャニーヌだけはとてもおろおろしていたが…。
子供とは言え伯爵位が公爵位に楯突いたのだ。しかも正当な理由がないどころか、半ば言い掛かり。なんなら予め注意されていたにもかかわらず、それを聞かずに突進したのだから何処まで行っても自業自得以外のナニモノでもなく、関わりを避けようとするのは冷たい様だがごく普通の反応だ。
そんな相手に情けをかけてやる必要などない。教職員を呼んで対処させればいいと頭では理解しているが、この世界の医療水準を考えると、そのまま任せてしまう気にはなれなかった。
打ち付けたのは全身…頭を庇っている暇もなかったはずだ。ぶち当たった壁面を見れば、その衝撃の大きさ等一目瞭然。
エリューシアはアイシアの腕から抜け出ると、倒れたままピクリとも動かないフラネアに駆け寄った。
膝を床につくや否や、ざっとフラネアの全身を視る。
(まず頭……出血とかはないわね…とはいえ頭蓋骨にヒビが入ってる。脊椎の損傷は……大きく神経系にはないみたい……つか、案外丈夫? それとも精霊達が手加減してくれたとか? ぁ~、それは考えにくいわね…意思が薄っすら伝わるだけで未だに会話は出来ないからわからないけれど……って、そんな事を考えてる場合じゃない。内臓……うあ、内臓から処置しないといけないわ。とりあえず出血を止めないと)
エリューシアは水色に淡く輝く魔力のボールを右手の中に作り出す。
流石にこんな場所で光魔法を使う気はなく、水魔法による回復促進だけだが、一番損傷の激しい個所を予め視る事で、狙い撃ち出来るエリューシアが行使するのが一番効率が良いのは間違いない。
貯めた魔力球をそっとフラネアの腰の少し上辺りに押し入れる。
念のため倒れたままの俯せ状態から動かしていないせいで背面からになってしまうのだが、位置は特定しているので問題はない。
次に胸部にも同じように水魔法を押し入れる。損傷そのものはなくとも脳震盪などのダメージは入っているので、神経系にも回復促進をかける。あとは頭蓋骨を始めとした骨の損傷部分だが、ここまでくれば命にかかわるような物はなく、少しだけ息を吐けた。
「エリューシア嬢、それ以上回復してやる必要はないと思うよ」
淡々と響く声はクリストファの物だ。
「な!? クリス、お前……」
言葉の意味にマークリスが声を荒げた。
「先に仕掛けたのは誰が見てもズモンタ嬢だったと思うけど?」
「ぅ…だ、だけど、これはやりすぎだろ!?」
「マーク、君は彼女と幼馴染だからそう言うんだろうけど、彼女の行動言動は厳しく処断されて当然な物。下手をしたら彼女一人の責では済まず、家がなくなる可能性もあるんだよ? それをわかってる?」
「…ぁ……」
「公爵令嬢に手を出そうだなんてね。
一番最初に話があったのを忘れたのかい?
学問を通じて切磋琢磨し、良き友人を得ることが出来るよう願う。だが礼儀や節度、常識や慣習を忘れてはいけない…そんな事を言われたはずだけど?
身分差も礼儀や常識だよね? それをちゃんと彼女が弁えなかったのは、マーク、君のせいでもあるという事、君は自覚している?
後、頭に血が上って下手な事を言いだす前に釘を刺しておくけれど、エリューシア嬢は何もしていない。聞いていたよね? 精霊が勝手に反撃してしまうと、だからダンスの授業も受けられないと。
聞いていたにもかかわらず自分から突っ込んだズモンタ嬢は、自業自得でしかない」
冷たく言い放ったクリストファの後に続く形で、普段我関せずで雑談に加わることのないソキリスが、珍しく口を開いた。
「グラストン令息に同意だ。
関わるのも面倒だったから何も言った事はなかったけれど、ズモンタ令嬢はずっと不快だった。
グラストン令息が嫌がろうがどうしようが、名呼びを止めず付き纏う。まともな貴族なら恥ずかしくてできない事だよ。
彼女の血筋は知らないけど、行動言動はとても貴族には見えない。
ただ彼女がこれだと家の方もどうだろうね、少なくとも付き合いたいとは思えないな」
天変地異の前触れかと狼狽えてしまいたくなる程饒舌だったソキリスは、フラネアの傍で跪くエリューシアの近くまで進み、何故か頭を下げた。
「ラステリノーア小令嬢。
これは、グラストン令息以外の皆が、これまで無視を貫いた結果とも言える。貴方に嫌な役目をさせてしまった事をお詫びする」
骨の回復に取り掛かっていたエリューシアだが、思わぬ展開にぽかんとソキリスを見上げた。
自分の意志は欠片も入らなかったとは言え、ここまでやらかしたら流石に、全員が自分を恐れて近づいてこなくなると思っていた。元よりアイシアを守りたくて前倒しで入学しただけの学院だから、それでも構わなかった。
ただ、身動きしづらくなるのは勘弁してほしかったが……。
「ぁ…ぇ……その、頭をお上げ下さい」
辛うじてエリューシアが声を絞り出すとほぼ同時で扉が開いた。
どうやらオルガが教職員を呼んできてくれたらしい。
「皆さんにも後からお話は聞かせてもらう事になると思いますが、粗方は聞いていますので、心配せずに教室で待っていてください」
そう言い残し、未だ骨の修復が済まないまま、フラネアは教職員に抱えてられて行った。
「はぁ、なんか朝からドタバタだったけど、ラステリノーア公爵令嬢は流石だな。俺、この学院の事とか知らなかったよ! まさか外交の一環だったなんてさ」
「ドコス令息……流石にそれはどうかと思うけれど」
「えーっと、ツデイトン侯爵令息って意外と喋れたんだな!」
「……ソキリスと呼んでくれても構わないよ」
「おう! 俺もバナンって呼んでくれよ。令息なんて柄じゃないしな。あ、こいつはポクル…って知ってるか」
「よ、宜しくお願いします!」
「あ! あたしはシャニーヌ! よろしくね えっとソキリス君…?」
「シャニーヌさん、異性を、特に高位の異性の方を許可なく名呼びするのはいけません。許可があった場合も節度は大事です」
早速シャニーヌがポクルに注意を受けている。
ここでごねるようならヒロインもしくはヒロイン関係者の可能性も増すのだが…。
「え! あーー! そうだった、ごめん! じゃない……えっと、ごめんなさい。マポントです、ツデイトン御令息様…」
「あぁ、宜しく」
要観察対象のままではあるが、ヒロインサイドではない可能性が僅かながら増してきたかもしれない。
それにしても何だろう……何故か再び自己紹介しあって、和気藹々とした空気が漂う。
思った以上にフラネアの存在は、上位棟クラスのストレスになっていたのかもしれない。
「エリューシア嬢、立てる?」
倒れていたフラネアの回復の為に跪いたままだったエリューシアに、クリストファが近づいて心配そうに手を伸ばした。
「ぁ……大丈夫…です。手は…グラストン様まで吹き飛ばしてしまうかもしれないので…」
力なく首を振って辞し、自分で立ち上がる。
「あぁ、僕は……まぁさっきの事もあるから仕方ないか」
まだ、何処かぼんやりとしているエリューシアを心配そうに覗き込んでいたクリストファだったが、後ろから来たオルガに割り込まれる。
「エリューシアお嬢様、大丈夫ですか?」
「オルガ……ぇぇ、ぅん……大丈夫よ」
「エリューシアお嬢様は一切悪くございません。ですのでお気になさいませんように」
「………ん…」
確かに自分の意志は欠片も反映されていない。
だから責任はないかもしれないが、だからと言って何も感じずにはいられないのも事実だ。
「そうよ、エルルは何もしていないのだもの。
ぁ、いけない……私としたことが…」
アイシアが手の指をそろえて、そっと口元を隠すように添える。
「シアお姉様?」
「アイシアお嬢様、如何なさいましたか?」
「私としたことが……訂正し忘れていたのよ」
「「訂正…?」」
アイシアがキリっと表情を引き締めて頷く。
「一番大切な部分なのに……
ズモンタ様ったら姉離れの出来ない妹っておっしゃってたでしょう?
だけどそうではなく、妹離れの出来ない姉と言うのが正解なのに、私ったら訂正できないまま……次お会いした時に訂正しておかないといけませんわ」
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