12
エリューシア達が教室を出て、帰って行く後姿を見送る。
それにつられたわけではないが、他の生徒達も教室を後にしていった。
彼らを見送るクリストファの表情は、柔らかな天使の微笑みだけが浮かんでいて、一瞬浮かんだ石化視線の片鱗などどこにもない。
そんな表情も、視線の先にエリューシアの背中が見えなくなれば、スッと……朝靄が陽光に霧散するように…早朝の霜がいつの間にか氷解するように……静かに、一瞬で消え去った。
視線だけでなく、纏う空気にも石化毒やら凍結毒等々が、たっぷりと仕込まれているのではと錯覚する程に空気が張り詰める。
教室内に未だとどまっているのはクリストファとフラネア、そしてそのフラネアをたびたび庇うように諫めていた少年の3人だけだ。
「クリス様……私…」
「名を呼ぶ許可は出していないはずだよね? いい加減にしてくれないか」
「クリス……」
フラネアが泣きそうに下唇を噛みしめる様子を、冷ややかに一瞥した後は、見向きもしないまま言葉だけ続けるクリストファに、板挟みの少年が苦し気に彼の名を呟いた。
「マークの幼馴染だからあまり厳しく言いたくはなかったけど、僕と君は幼馴染でも何でもない」
「でも、マーク様の邸で何度も遊んだじゃない!」
「僕とマークが一緒に居た所へ君が乱入してきただけだよね? 僕は君と一度として遊んだ事も、話した事さえないよ」
「ッ!」
クリストファの言葉は間違っていない様で、フラネアはくしゃりと顔を歪めた。
「何でそんな風に言うの!? クリス様と私はお友達なんだから! 絶対そうなんだから!! 私は……私は…ッ」
その言葉を捨て台詞に、フラネアは泣きながら教室を出て走り去って行った。
「……クリス、その、言いすぎ…」
「言いすぎってどこが? 僕はずっと迷惑だと言ってたと思うけど? マークにも彼女がいるときは避けさせてと何度も言ったよね?」
「それは……ぅん、ごめん」
「君の家の付き合いだから、それについては何も言う気はないけど、それに僕を巻き込まないで欲しいとも、本当に何度も言ったよね?」
「………ぅん」
「カタリナ伯母様にも、父上たちから言って貰ったはずなんだけど、一体どうなってるの?」
マークと呼ばれた彼の名前はマークリス・ボーデリー。
ボーデリー侯爵令息で、母親がクリストファの父の姉に当たる。その縁でずっと幼馴染として付き合って来た。
先だってクリストファが口にした『カタリナ』というのがマークリスの母である。
そしてカタリナの夫であり、マークリスの父であるボーデリー侯爵が、フラネアの父であるズモンタ伯爵と学友であったらしい。
「母上は父上にちゃんと言ってたよ……ただ、父上は人が良いというか、おおらかと言うか……まぁまぁって」
「マーク、申し訳ないけど言わせてもらうね? あれはおおらかなんじゃない。先の想像が出来ないだけの……この先は控えるけれども…」
「ぅ……否定する言葉が見つかんないけど、そこまではっきり言わなくても…」
「僕達は子供であっても家を背負ってるって事、わかってる?
ボーデリー侯爵家とズモンタ伯爵家が、学生時代のよしみで仲良くするのは結構だと思う。だけど、僕を通じて公爵家と直接縁づこうとされるのは迷惑なんだ。
カタリナ伯母様は侯爵家に降嫁した事で、国内の社交を主にするだけで済むかもしれないけど、グラストン公爵家はそう言う訳にはいかない。
父上も母上も外交を担っている…いや、担わざるを得なくなったというのが正解だろうけどね。
そんな家だから縁づこうと画策するのはわからないではないけど、僕からしたら迷惑でしかない。家を継ぐ兄上の為にも、僕は下手な縁を繋ぐことはできないんだよ」
「フラネアの所はその下手な所だっていうのか?」
流石に幼馴染の家を悪く言われて、マークリスが口を尖らせる。
「はぁ…マーク、もう僕達は学院に入学する年齢になったんだよ? あと5、6年もすれば成人年齢だというのに……全く。
君にだってもう専属の従者がつけられただろう?」
「お、おう…でもずっと一緒に育ってきたのに、突然従者って言われてもなぁ」
「はぁ……まぁ良い。だったら言っておくよ。ズモンタ伯爵家の事は調べておいた方が良い。これは幼馴染としての忠告だよ?」
「調べろっつったって……どうするんだよ」
「そこまで僕が手取り足取りしなければならない事じゃないんだけどな…従者に言えば後は良いようにやってくれるよ……多分、ね」
「そっか! わかった!」
高位貴族子息にあるまじき程、素直で考えなしなのは、父君であるボーデリー侯爵に似たのか……とはいえあまり取り繕う必要のないマークリスとの会話は、クリストファにとってホッとできる瞬間であることも事実。
「それはそうと、クリスには珍しいくらいに強引だったな」
「強引って?」
「ほら、妖精姫」
「何それ」
「え!? まんま妖精姫だろ? あんな髪も目も見た事ない。すっげ綺麗だったなぁ、その上美人だったし…だけどちょっと近寄りがたいというか、怖そう」
頓珍漢なマークリスの言葉に、やっと肩の力を抜いてふわりと笑っていたクリストファだったが、大げさに自分を抱き締めて、ブルリと震える仕草をして見せながらの最後の言葉にスッと表情を消し去った。
「うん。マークには渡したくないから、そのまま怖がってて」
「何だよ、それ。だってあんな風に光るとか、もう人間離れしすぎてて、怖いって思わないの?」
「エリューシア嬢は……エルルは怖い子なんかじゃない」
ふっと表情を緩めたクリストファは、どこか遠くに思いを馳せるような目をして呟いた。
「エルルは、とても優しくて、良い子だよ」
「愛称で呼べるほど親しいのか? だけどさっきの様子じゃ…」
警戒心マックスなエリューシアの様子は本当に可愛かったと、クリストファは思い出し笑いを禁じ得ない。
「そうだね。いつかそう呼ばせてもらえる日を心待ちにしてるけど、今は『エリューシア嬢』と名を呼ばせてもらえるだけで十分かな。まずは一歩前進」
「クリス…なんか悪いモノでも食った?」
「はぁ? 何故そう言う話に……まぁ良いか」
「っていうか、帰ろう! あ、帰り寄ってく?」
「今日は真っすぐ帰るよ。馬車も待ってるだろうしね」
「あ、そっか…むぅぅ!」
少年二人も帰路につき、誰も居なくなった教室には寒々しい程の静寂が舞い降りていた。
その日の夜、明日には領地へと戻る両親との、借り上げ邸での最後の夜。
夕食後、一度自室に下がったアイシアが、再び階下へと静かに歩を進める。
目的地は未だ談笑を続ける父母のいる談話室。
―――コンコンコン
『アイシアです』と名を告げれば、返事より早くセシリアが扉を開けてくれた。
春とは言えまだ冷え込む夜の廊下に佇むアイシアを見て、セシリアもアーネストも目を丸くする。
「どうしたんだい? 始業について伝え忘れていただろうか」
「始業については明後日からと伝えていましたわ。シア、どうしたの? 緊張か何かで眠れないかしら?」
心配そうに顔を曇らせる両親に、真剣な表情を向ける。
「心配をかけてしまってごめんなさい。でも、そうではないのです。
今日教室であった事なのですけど」
「ん?」
「あら」
「その……お聞きしたい事というか、報告したい事、になるでしょうか…」
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