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広がる布とデザイン画の海に溺れそうだ。
今日は先日オルガから言われて空けておいた休日である。
早めの昼食をとった後、間もなくして訪れたローズ・ネネランタ商会の筆頭デザイナー兼オーナーのネネランタ・ボルトマイス伯爵夫人は、連なる馬車から布地やらレースやらをこれでもかと言わんばかりに運び込んできた。
エリューシアが5歳のお披露目云々当時は、まだ服飾店と言うだけであったが、現在は商会となり、商売の幅も更に広がっている。
ラステリノーア公爵家御用達の宝飾商会であるルダリー商会とも、密に取引をしているようで宝飾品の相談も纏めて行えるようになっていた。
ルダリー商会側からするともしかしたら不利益があるのかもしれないが、デザイナーでもある夫人としては譲れない部分らしく、ルダリー伯爵を説き伏せたのだと言う。
まぁ何か希望があれば1学年上に、彫金師でもあるディオン・ルダリーも居るので、伝える事は容易い。
「これなんかどうかしら」
アイシアが手に取ったのは鮮やかな青が美しい絹織物。
よくぞこれほど鮮やかな発色が出来たものだと感心する程だ。
「そのお色も宜しいかと存じますが、夏前という季節柄、こちらの色味も映えるかと思います」
ネネランタ夫人が手にしたのは、アイシアの持った物より少し深みのある青。
「背伸びしたように思われないかしら……」
たしかにあまり深みのある色は、まだ子供と言って差し支えない年頃の令嬢には好まれ難い傾向はある。
「こういったレースをふんだんに使う事で、その辺はカバーできると思いますわ。
それに、こういった色合いだからこそ、反対に目を引きますもの」
アイシアと夫人、その横に控えたヘルガもドレスの相談に余念がない。
その傍らで、エリューシアは欠伸を噛み殺していた。
その度にオルガから視線を飛ばされるので、仕方なく適当に思いついた事を話す。
「それにしても……こんな時期にフルオーダーのドレスなんて……ネネランタ様にご無理を申し上げたのではありませんか?
我が両親が、本当に申し訳ございません」
「まぁ、エルル様がそのような事、お気になさる必要はございませんわ。
それに、我が商会の針子達は、お嬢様方のドレスだと聞けば、喜び勇んで全力を出してくれるのです。
ですから、どうか針子達から喜びを奪わないでやって下さいまし。
エルル様の事ですから、御自分の分は既製品で~なんておっしゃりたいのでしょうけど」
「ぅ……」
図星をさされて、エリューシアは視線を泳がせる他ない。
「あぁ、先にお話ししておかなければならない事が…宝飾品の方は公爵家の方でご用意くださるとの事ですわ。
お嬢様方の希望を聞けずに申し訳ないと、公爵様からの伝言でございます」
「お父様が?」
「お母様が何も言わなかったのなら、それで問題ないでしょうから」
エリューシアとアイシアが揃って了承するが、ネネランタ夫人は不満だったのか、ぷぅと頬を膨らませた。
「宝飾品も私がデザインしたかったですのに…残念ですわ。
えぇ、本当に…本っ当に! 本っっっっっっ当にっ!! 残念で仕方ありませんわ!!」
キィィっと唸っていた夫人が深呼吸をする。
「ま、まぁ…ここで嘆いても仕方ありませんからね。
では次はエルル様のドレスを決めましょうね」
逃がさないぞと言いたげな視線と微笑みがとても恐ろしい。エリューシアは思わずしり込みをしてしまった。
「あぁ、エルルのドレス! どうしましょう!! これも良いですわね。あぁ、こちらも!」
何故かアイシアの目の色が変わった気がする。
嬉々として海の如く広げられたデザイン画を、あれもこれもと手に取り始めた。
「ヘルガ、オルガ、貴方達も選んで頂戴。
エルルに任せたら、間違いなくシンプル一択になってしまうんですもの。この際よ、煩悩をぶつけて構わないわ」
煩悩って……と、知らず遠い目になったエリューシアを誰が責められるだろうか。
「「はいッ!」」
そこへ休憩にと、ネイサンとアッシュがお茶を運んできた。
「少し休憩なさっては如何ですか?」
にこやかに言うネイサンの隣で、アッシュも頷いている。
ヘルガが窺うようにアイシアへと顔を向けるが、アイシアはゆるりと首を横に振った。
「いいえ、休憩なんて挟んだらエルルは逃亡してしまうわ。
そうね……ネイサン、アッシュ、貴方達も参戦なさい」
「はい?」
「参戦とおっしゃられますと…?」
「エルルのフルオーダードレスのデザインを選んでいるのです。
貴方達にも発言、選択を許可しますわ」
「「それは……是非!!」」
だから、どうして男子2名までが嬉々として選び始めるのだ? と、エリューシアは小一時間以上問い詰めたくなった。
……………
…………………
…………………………………
気付けば、ネイサン、アッシュだけでなくメイドのサネーラ、ドリス、マニシア、騎士であるセヴァンやモンテール達まで集っていた。
その結果決まったデザイン画を大事そうに胸に抱いて、運び込んだ布地他共々夫人が去って行った後には、ぐったりと疲れ切ったエリューシアと、何故か満足そうな面々が残された。
「やったわ! やっとエリューシアお嬢様を飾れるのね!」
「髪型はどうしましょう、エリューシア様の髪質だと結い上げるのも難しいわ」
「宝飾品は何時届くのかしら」
何故そんなに元気なのかと、エリューシアは身体を預けたソファから、若干呆れたような視線を送る。
そこへアッシュがやってきて、手を貸してくれたので、渋々上体を起こしたが、続く言葉が聞こえて何も言えなくなった。
「やっとよ……あの日以来、エリューシアお嬢様を飾れる事はなくなってしまったんだもの…」
「えぇ、あの時は本当に天使か何かかと思ったわ!」
「貴方ったら拉致したそうにしてたもんね」
「やだ、聞かれてたの!?」
「でも……」
「えぇ、本当に……これほど嬉しい機会に恵まれるなんて」
「こっちに居残りで良かったわ!」
あの襲撃の日、無事帰邸する事は叶ったが、その後の魔力枯渇でエリューシアは意識不明となり、そのまま辺境領へと避難する事になった。
そして辺境領から直接ここへ来てやっと再会となったが、お茶会等にも参加しないエリューシアは着飾る必要がなかった。
先だってメフレリエ邸に赴いた時には、辛うじてオルガに手伝っては貰ったが、訪問に際して失礼にならない、本当に最低限、体裁を整えただけの装いだった。
それ以前にさっさと馬車に乗り込んでしまった為、オルガとアッシュ、サネーラ以外は殆ど見る事もなかったはずだ。
エリューシア自身は着飾る事にあまり興味はなく、どちらかと言うと面倒に感じているので、気にした事もなかったが、涙ぐんで話す使用人達の様子に、ずっとその事を気にしていたのかと知って、言葉が出なくなってしまったのだ。
見ればアイシアも神妙な表情で唇を噛みしめている。
怒涛のドレス選びだったが、終わって見ればしんみりとしたものになっていた。
部屋は綺麗に片付き、使用人達もそれぞれの仕事に戻ったので、エリューシア達も自室に戻ろうとしたのだが、そこでアイシアが声を上げた。
「ぁ、いけない…」
「お姉様?」
エリューシアも足を止めて振り返る。
アイシアが窓から外を見つめているので、つられるようにエリューシアも外を見る。
空の色は赤みを帯びて、もう夕刻である事がわかった。
「どうしたのです?」
「えっと……明日、出かける予定なんだけど、お土産を準備してなかった事を思い出して」
「お出かけ…ですか?」
コテリと首を傾けて訊ねれば、アイシアがとても嬉しそうに微笑んで頷いた。
「えぇ、お友達のカーナ様の御邸に行くの」
カーナと言うのは通常棟の同学年の生徒の一人で、キップル伯爵家の御令嬢だ。
彼女には同学年に妹のミニーナがおり、そのミニーナがメルリナの友人だった縁で知り合った。
一時期カーナがフィータの取り巻きとなってしまい、それを妹であるミニーナがメルリナに相談した事が切っ掛けであった。
今は取り巻きから外れ、穏やかに過ごしているようだが、エリューシアは警戒を外す気になれないでいる。
勿論アイシアに友達が出来る事は喜ばしい。
しかしフィータ・モバロの正体が未だ不明なので、どうしても安心出来ないのだ。しかし、こんなに嬉しそうなアイシアに水を差す事も躊躇われる…。
学院に入学して以降、アイシアの周囲に居たのはエリューシア達身内と、辛うじて温室メンバーくらいのものだ。
クラスメイトも女子生徒は身内だけになってしまったし、通常棟の生徒とはそれほど交流はない。
つまり交友関係は広がっていないのだ。
そこへやっと現れた友達。ダメ出しをするのは心苦しい。
「そうなんですね…。
ちゃんとヘルガやニルスは連れてってくださいね?」
「えぇ、それは勿論よ」
「お土産ならカサミアに相談すれば、何かしら準備してくれると思います」
「あぁ♪ そうね!」
アイシアが嬉しそうな表情のまま、コクリと頷いた。
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