36
見晴らしの良い高台に、どこか砦のような印象を残す大きな邸が聳え立っている。
魔具による照明だけでなく、松明も掲げられ、夜の帳の中で一際目立っていた。
そこからそれなりに離れた茂みの中、フード付きの黒いマントを纏った3つの人影が見える。
「あそこが宰相ザムデンの領地の館か?」
「…… さあ、私は存じません」
「チッ…使えない使用人だ」
「…… 」
「仕方ない…俺が行くのが一番手っ取り早そうだ。
全く……港に入る事も出来ないなんて聞いてないぞ……何かあったらここの宰相を頼れって言われてるから、これで何とかなるだろう」
3人のうち1人が立ち上がり、煌々と照らし出される大きな建物へ足を向けた。
ゆっくりと歩いて行く背中を見送る2つの人影の片方は、そっと視線を外して嘆息する。
「…… どうします? アンタ1人くらいなら連れてってあげますけど?」
「え?」
「…… お嬢さんは何にも聞かされずに来たんでしょう?
なにしろ王女サマを探しに行こうとしてたくらいですし」
「…クッキー…貴方…」
そう、彼らは上陸許可証を待たずに不法上陸したオザグスダム王子と侍女、そして王女の付き添いの伯爵令嬢だ。
どうやら口ぶりから察するに、伯爵令嬢だけはユミリナ置き去り計画を知らなかったようだ。恐らく彼女が眠るか離れるかしていた間に、王女を捨ててきたのだろう。
「アンタも脅された口なんじゃないんです?」
「わ…わた、しは…」
渋っていたシシリー・ヌサロフ伯爵令嬢だが、暫くして口を開いた。
「わたし…お姉様と違って婚約者も見つからなくて、このままじゃ家に置いておけないって……だから仕事をやると言われたの。
全く勉強の出来ない王女の代わりに、そこを担って役に立って来いって…」
「あぁ、なるほどね。
確かにあの王女サマはマナーすら学ばせて貰ってないですからね」
シシリーはこくりと頷いた。
彼女達の生国オザグスダムは、リッテルセンよりも男尊女卑が酷い。
女性と言うだけで物扱いなんて普通の事。
家長は当然だし、後継である男子が相手であっても、どんな無茶振りでも従わなければならない。
貴族の娘として政略の駒にも使えない場合、家が没落した等の理由がなくとも娼館に売られるなんて日常茶飯事過ぎて、感覚が麻痺する程だ。
「アタシが受けた命令は王女と王子を、リッテルセンに置いてくる事だけで、アンタの事は命じられてないんですよね。
だから戻りたかったら一緒に連れてってあげますよ。
まぁ、ここに居たってアンタ1人じゃ生きていけるとも思えませんけど、どうします?」
「ッ! そ、それって……」
「あぁ、王女が可哀想とか、そんな平々凡々な感想は求めちゃいないんで、口出ししないでもらえると助かります。
あの国じゃ普通の事ですよ。
とりあえず命令に従ってりゃ生きていく事は出来ますから……あそこでも、ね…。
ただまぁ…今回はちょっとばっかし雲行きが怪しいんで、早々に退散したいんですよ」
シシリーは何とも言いようのない表情のまま、下唇を噛みしめる。
言葉の端々から、今回の事は計画的だった事に気付いたのかもしれない。
「…クッキーは王子王女付きの侍女じゃなかったの?」
「は? 王宮内のモノ…それが生きてる人間であっても、あそこじゃその所有権があるのは王だけですよ。
王の命令は絶対。叩き込まれませんでしたか?」
「…いえ、貴方の言うとおりね。
だけど……だけど貴方と違って私は命じられた事を遂行出来ていないわ……そんな私が戻っても…」
「アンタ1人くらいなら、長に言えば働き口くらい何とでもなると思いますけどね。それとも平民に落ちぶれたくはないですか?」
シシリーは何度も何度も首を横に振った。
「平民になるのなんて平気よ。
だって、どうせ家でもこき使われてたし……だから料理も掃除も……馬の世話だって出来るわ。
………だけど…だけど、娼館に売られるのは嫌…」
「なら合格ですよ。
で…どうします?」
「……一緒に連れてって」
「んじゃ王子のせいでこの場が慌ただしくなる前に行きますよ」
「………」
決意はしたものの、やはり自国の王子王女を見捨てるのは気が引けるのか、シシリーの足が動かない。
「はぁ……オザグスダムの王子王女なんて、ただのモノですよ。
起爆剤になれば御の字って奴です。
そう言う役目を担わせられるから、あそこの王も中央も、ぼんくら王子王女を飼い続けてるんですよ…その現状はアタシら程度じゃ変えようがありません。
可哀想だと思えば、自分が傷つくだけだからやめた方がイイですよ。
とりあえず夜陰に乗じないと、こっちも危うくなります。
行きますよ」
シシリーは王子は兎も角、ユミリナへは憐憫の情があったが、今はそれに目を瞑る。
正直リッテルセン王国へ来るときに使った船は使えないだろう。
となれば陸路となるが、ソーテッソ山脈越えなんて途方もなさ過ぎて想像も出来ない。しかしこのままここに居ても不法上陸者として捕縛されるだけだ。
どう考えても足手纏いにしかならないシシリーを、何故クッキーが連れて行こうとしているのか、その理由はわからないが、今は生きる為にそれに縋りつく。
立ち上がって見下ろしてくるクッキーに頷きで返事をして、シシリーはマントについたフードを深く被り直した。
「何者だ」
魔具と松明の灯りに照らし出された兵士が、長い槍を突きつけてくる。
「ま、待て! 待ってくれ! そのザムデン宰相に会いたい!」
兵士達からすれば、黒いマントを羽織った不審者でしかなく、その不審者の言葉に更に槍を構え直した。
「…何者だ」
わらわらと緊張した面持ちの兵士達が集まってくる中、流石に不味いと感じたらしい。
「お、俺はユトーリッ! オザグスダムの王子だぞ!!
港に行ったんだが、何故か拘束されそうになったからこっちにわざわざ来てやったんだ。
さっさと通せよ!」
兵士達の緊張とざわめきが、沈静化するどころか高まった事を感じて、ユトーリは慌てた。
「おい、誰か報告して来てくれ」
槍を構えたままの兵士の一人が声高に叫ぶ。
彼等の後方がざわついたから、報告に走った者が居るのだろう。
それを見ていたユトーリも『これで一安心だ』等と、何故か槍を構えられているにも拘らずホッと安堵の吐息を零していた。
暫くして兵士が1人駆け込んでくると、槍を構えていた兵士達が少し動いて道を作った。
その間を通って近づいてくる男性の姿か見える。
就寝前だったのかシャツ姿の軽装ではあるものの、所作から貴族である事がわかる。
しかしユトーリが思い描いていた人物ではなかった。
ユトーリ自身、リッテルセンの宰相と会った事はなく、白髪の老人だと聞かされただけだったが、近づいてくる男性はダークブラウンの髪を後ろで一括りにしており、それだけでも宰相ではないとわかる。
「だ……誰だ…。
俺はオザグスダムの王子だぞ…宰相を出せ」
男性はこの場に不似合いな程、にっこりと微笑んだ。
「その名、お間違いないですか?
証明出来る何かはお持ちですか?」
他国とは言え王族に対し、不遜な物言いをする男性に怒りが込み上げるが、ここでごねても仕方ないので自分を見下ろす。
「あ……そうだった…紋章入りの装身具はクッキーに預けたままだった…くそッ…あ、そう、これならどうだ!」
ユトーリは前髪を片手であげる。
その額には確かにオザグスダムの紋章が彫り込まれていた。
「なるほど……彫物程度では偽装も出来ますから、この場で貴方をオザグスダムの王子殿下と判じる事は出来ませんが……。
どちらにしろ……」
男性は笑みを深め、嫌味にも思える程恭しく一礼する。
「申し遅れました。
私…リッテルセン王国外交官でマクナス・ウズォーダンと申します。
貴方が王子殿下であってもなくても、どちらにせよ……拘束しろ」
淡々と紡がれた言葉に、兵士達が一斉に動き、ユトーリはあっさり取り押さえられた。
「き、貴様ッ!! どう言うつもりだッ!?」
「貴方が王子殿下であった場合は、不法上陸をした者として。
王子殿下でなかった場合は、身分詐称をした者として……どちらにせよ捕縛する事になるんですよ」
「ッな……」
もう興味はないとばかりに身を翻したマクナスは、近くに居た兵士の一人に指示を出してから館の中に戻って行く。
取り押さえられたユトーリは、それを呆然と見送る事しか出来なかった。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
リアル時間合間の不定期且つ、まったり投稿になりますが、何卒宜しくお願いいたします。
そしてブックマーク、評価、感想等々、本当にありがとうございます!
とてもとても嬉しいです。
もし宜しければブックマーク、評価、いいねや感想等、頂けましたら幸いです。とっても励みになります!
誤字報告も感謝しかありません。
よろしければ短編版等も……もう誤字脱字が酷くて、本当に申し訳ございません。報告本当にありがとうございます。それ以外にも見つければちまちま修正加筆したりしてますが、その辺りは生暖かく許してやって頂ければ幸いです<(_ _)>




