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水平線に沈んでいく陽光の名残が、徐々に青みを増していく。
忙しそうに行き交う人々の喧騒に混じって波音が微かに耳に届く通りを、足まですっぽりと覆うローブに身を包み、フードも目深に被った小柄な人影が合間を縫うように進んでいた。
少しずつ大きくなる波音に、ふと来た道を振り返る。
陸に上がって一時の享楽を求める水夫達の姿が見えるばかりだ。
足を止めたまま、小柄な人物は懐から羊皮紙の束を取り出す。
「この辺……のはず」
呟いた人物は、目の前に聳え立つように停泊している大型船を見上げた。その拍子にフードが後ろへずり落ちる。
途端に淡い金茶の巻き髪が海風に煽られた。
急いでフードを被り直した人物は、カリアンティ・ゼムイスト。魔法大国チュベクに留学中のはずだが、現在立っている場所はザムデン領にある港である。
カリアンティは学院生として3年に上がる前に、母親の縁のおかげでチュベクに留学する事が出来た。
それと言うのも、何れ平民となる自分は結婚に向かない性格だし、折角縁が持てたからラステリノーアに雇ってもらえればと考えていると、父母に包み隠さず話したのだ。
結果、父母は否定するどころか応援してくれただけでなく、色々とアドバイスもしてくれたし、伝手を辿って魔法大国への留学と言う道まで作ってくれた。
姉だけは『一族で一番才能のあるカティが家を継がないなんてありえない』と最後まで反対していたが、多勢に無勢である。
アイシア達が卒業する頃合いで帰国し、晴れて雇ってもらう計画だったのだが……。
手に持った羊皮紙の束を見て、思わず溜息が落ちる。
送り主は母ドナッティ・ゼムイスト。
カリアンティの留学に力を貸してくれた、宰相夫人ことソミリナの手伝いをするようにと言う内容だったのだが…。
「我が母親ながら、何を考えてるのかわかりませんわね。
たかが侯爵家の娘に、他国とは言え王子王女と対峙しろとか…正気の沙汰とは思えませんわ」
ついイライラが募って、盛大な独り言を声に出してしまった。
カリアンティはチュベクの魔法学校に留学したが、拍子抜けする程あっさりと卒業のお墨付きを頂戴出来てしまった。
多分だが…国外からの留学生でも無理なくついてこられるようにと、レベルを下げているのだろう。カリアンティは幼い頃から魔法の天才と名高く、エリューシア達一部の規格外を除けば、一線級の実力の持ち主なのだからおかしな話ではない。
しかしながら、元とは言え自国の公爵家の者の紹介で留学してきた少女を、特に得るモノもないまま帰す訳にも行かず、学校側は魔法師団の体験入隊を提案してくれた。
元々令嬢業が苦手(と本人は思っているし、言い張っている)なカリアンティとしては、それは何とも魅力的な提案だった。
嬉々として提案に乗り、魔法大国が誇る魔法師団でも臆することなく実力を示し、とうとう緩衝地帯に面する前線へ関わる事も出来た。
それが幸か不幸か…緩衝地帯を挟んで向こう側のオザグスダム王国の話も色々と耳に入るのである。
広く噂される事に加えて、それはもう色々と…。
噂の流れない第3妃は、王の寵愛が高じた結果毒殺されて、遺体は魔法処理を施して、王の私室に飾られているとか……。
その第3妃の娘は、次は自分ではないかと怯え、とうとう発狂したとか……。
他にも……第5妃の双子の兄妹は畜生腹と蔑まれた挙句、教養も何もない獣のように育てられたとか……。
実しやかに囁かれる噂だが、当然嘘も多く信憑性に欠ける。しかし第5妃の子供達に関しては、取り急ぎで調べただけだが、どうにも嘘と言い切れない節があった。
気が重くなるなと言う方が無理だろう。
見上げた船から視線を外し、周囲を見回す。
少し離れた所に、探していた集団が見えたので、カリアンティはそちらへ足早に近づいた。
「お待たせして申し訳ありませんでしたわ」
近づいて声をかければ、一見して貴族と分かる男性が振り返り、姿勢を正した。
「御足労おかけし、申し訳ありません」
姿勢を正した男性はゼムイスト一門の中でも変わり者として有名な、魔法に携わるのではなく外交に携わる道を選んだ分家筋の男性で、名をマクナスと言う。
他国の王子王女と対するのに、流石に令嬢一人では不味いとわかっていたようで、こうして護衛を兼ねた貴族官僚及び騎士の一団と、元より合流する手はずだったのだ。
「それで上陸許可は出てしまったのかしら?」
「はい、もう来てしまったのならと…宰相閣下も。これがその上陸許可証です」
「はぁ…頭が痛いわね。
どうせ途中で何か事件を起こして、それを口実に賠償なり戦争なりを吹っ掛けようって魂胆でしょう?
私のような小娘でもわかる事ですのに……中央には危機感がないのかしら」
「面目ございません」
「貴方が謝る事ないわ。
とりあえずその許可証を持って対面しましょう。それから私達の方で身柄を確保。
その後の指示って、そちらは聞いてるのかしら?」
「いえ、兎に角合流後は速やかに身柄を確保するようにとだけ…」
「全く……現場に放り投げっ放しじゃないの…まぁ良いわ。
話は貴方がしてくださるのよね?」
「はい。お嬢様には相手方が抵抗してきた場合、魔法で穏便に抑え込んで頂ければ」
「了解ですわ。まぁ貴方達だけだと怪我とか負わせかねませんし。
ですが、いくら宮廷魔法士や塔を動かせないからと言って、私のような小娘をこき使う等……ま、言っても始まりませんわね。
それでどの船ですの?」
「こちらです」
貿易港ともなっているここには多くの大型船が停泊している。
カリアンティには区別は難しいが、外交に携わる者には造作でもないようだ。
先導されるままに進んでいたが、突然前を歩くマクナスが立ち止まった。
「ッ! なんですの? 急に」
マクナスの背中にぶつかりそうになったカリアンティが、驚いたように声をかけるが、マクナスは固まったまま動かない。
仕方なくマクナスの視線を辿って、行きついた先を見つめる。
桟橋で水夫だろうか、酒を片手に何人もが楽し気に騒いでいた。彼らの背後に見える船には警戒用の灯りが甲板に見えるだけで、それ以外は暗く静まり返っている。
仮にも王族の居る船の前で、水夫達がこんな騒ぐものだろうか……。
不思議に思い、マクナスに訊ねようとしたが、それより早く振り返った彼が口を開いた。
「これは……不味いかもしれません。
お嬢様はこちらでお待ちください…」
そう言うや否や、マクナスは数名の騎士を連れて、桟橋でどんちゃん騒ぎをしている水夫達に近づいて行った。
彼らとマクナスが話している様子を、離れた場所から眺めていたが、暫くしてどんちゃん騒ぎは鳴りを潜め、顔色を悪くしたマクナスが戻ってきた。
「お嬢様、問題発生です。
どうやら上陸許可を待たずに、王子王女一行が上陸をしてしまったようです」
「あ”?」
カリアンティが思わず零した品のない声は、全員の心境を代弁していたので、誰も咎めたりしない。
「船内に留め置かれるのも我慢の限界だったらしく……」
「だからって勝手に上陸って……はぁ、我慢の出来ない獣って噂は本当だったと言う事……。
とりあえずこうしてはいられませんわ、港にある宿を片っ端から「いえ!」……」
上陸しただけなら宿をとってるだろうと、それを調べるべく動こうとした言葉を、マクナスに止められる。
「……それが…船から降りた後、水夫達に馬車の確保を命じたようです。そしてその確保した馬車で王都へ向かったとの事で……」
想定外の事態に、カリアンティも思わず口がへの字に曲がる。
「上陸許可証を持ってきたと話したら、水夫達が真っ青になってしまって…」
「………つまり、上陸許可がまだ出てないのに上陸したって事ですわね? しかも自国の水夫達にも言わずになんて……獣の方がまだマシですわ。少なくとも主人の言葉には逆らいませんでしょうから。
さて、どうするのが良いでしょうね? ここから真っすぐ王都を目指すならゼムイスト領を通る可能性はどのくらいです?」
視線も向けないまま、呟くように問うカリアンティに、マクナスはすぐさま返答する。
「最短で目指す場合、ほぼゼムイスト領を通る事になると思いますが……隣領を通る可能性もなくはないかと」
「確かにそうですわね。
我儘無鉄砲、獣王子王女が地図等用意してるとも思えませんし、迷走する可能性はありますわね。
兎に角ゼムイスト領邸へ急ぎ連絡を。
私達もそちらへ向かいましょう。
チッ……全く……これではタダ働きになってしまいますわ。
折角、緩衝地帯の小競り合いに次は参加できそうでしたのに……それを蹴って戻らされましたのよ? あぁ、思い返しただけで腹立たしいですわ!
こうなった以上礼金と言う名目では難しいかもしれませんわね……そうだわ、迷惑料と言う事でお母様から、がっぽりふんだくる事にしましょう」
本家御令嬢であるカリアンティの舌打ちが聞こえ、ハハっと力なく笑う事しか出来ないマクナスであった。
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