16 白「人を見る目」
少し長めです。
僕は物心ついた頃から、何でもそつなく熟せた。
勿論専門家やその道のプロと同じ技量を手に入れるにはそれなりに苦労はあるが、それもやろうと思えば出来ただろう。
生まれはこの国で最も権力を持つ家――王族の三男で、二十年の周期を以て発現する原色も持って生まれた。
そんな僕を周りの人間は遠巻きにしてこう言うんだ、「全てを持って生まれた王子」「今までで最高の原色持ち」
どこにも僕という個人は存在せず、ただ肩書だけが僕の全てだった。
それから数年して、『僕』として生きる事を諦めかけた頃に婚約者が決まった。
相手は宰相の一族であり、紫の原色を持つヴァイオレット家だった。
彼ら侯爵家の家は代々政に優れた者を輩出する家系で、今代のクリヘム侯爵はその中でも特に目立った政治家だった。
そんな侯爵の娘については様々な噂を耳にする事もあったが、所詮は噂。きっと彼の御仁の令嬢であれば、それはそれは優れた智謀を持った才女なのだろう。
「ハァ……」
件の少女の屋敷に向かう馬車の中、専属の従者しかいない狭い室内で隠しもせずに大きな溜め息を吐く。
正直僕にとって婚約者の事などどうでもいい。
政略、原色の継承、家の尊厳。そんなどうでもいいものの為に行う、ひとつの儀式。
何の感情も抱かぬまま、僕はガタゴトと馬車に揺られ続けた。
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「お初にお目にかかります、アミラン・ヴァイオレットですわっ!」
屋敷に到着してから客間を経由し腰を下ろした応接室で、何度か会った事のあるクリヘムにつられてやって来たその少女、アミランが僕の前で少々不格好なカーテシーで挨拶をした。
それを何の感慨もなく見つめてから、今まで何度も何度も行ってきたように笑顔を顔に張り付けて挨拶を返す。
するとどうだろう、彼女はまるで花咲くと言わんばかりに、人間には不釣り合いと思える美貌を綻ばせて、キャッキャとはしゃぎ始めた。
「お噂はかねがね! 聞いていたよりもとっても素敵な方ですわ!」
ご令嬢としては少々はしたなく、しかし年相応の少女としては相応しい態度でその場で目を輝かせる。
暫く大人も交えて会話をした後、彼女が食い気味に二人で庭を散歩したいと提案してきた。
大人たちはそれを微笑ましいものでも見るように快く了承すると、僕たちに護衛を付けて送り出してくれた。
正直、僕としてもこのような人物と会うのは初めてで、ほんの僅かにだけ期待感がある。
純粋な目で僕を見るその瞳、あれこれと語り掛けて来る無邪気さ、前例のないと言える美貌。
そのどれもが僕の好奇心を引き立てる。
「それでは、ブラン陛下は剣術も得意なのですね!」
「うん、他にもいろいろと出来るよ。今度機会があれば披露しよう」
会話の流れで、得意な事をいろいろと聞かれた。
僕は少し気を良くしてあれこれと答えてみるが、その全てに大袈裟ともいえる反応を返してくれる。
ここまでで僕は、かなりアミランの事を受け入れ始めていた。
様々な噂を耳にした事はあるが、やはりそんなものは信用できないな。そう思う程に、僕はアミランに心を開き始めていたんだ。
「さすが、原色を受け継ぐ王族ですわね!」
……あぁ、そうか。
やはり彼女も、僕の家と力しか見ていなかったんだ。
「……えぇ、責任は果たさなければなりませんから」
だけど、そんな心の失望は決して人には見せない。
今まで通りに受け答えをし、今まで通りに笑顔を振りまく。
当然彼女はそんな僕の心の変化に気が付く事すらなく、あれやこれやと話を続ける。
それでも勿論構わない。僕は王族で白の原色者、彼女は侯爵家で紫の原色者。それを理由にして婚約する。ただ、それだけの関係性だ。
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あれから更に数年が経過した。
僕は学園に入学し、婚約者である彼女も同様だ。
あれから特に関係の発展は、当然ながら無い。皆無だ。
定期的なお茶会などで会う事はよくあるが、決して僕が心を開くことは無かった。
そんな中、少し変わった出来事が起こった。
彼女が突然気絶して、壇上から落ちたのだ。
その現場は当然僕も見ていたが、正直なんとも思わなかった。ただ茫然と見送るだけ。どうなろうと興味がなかったからだ。
とはいっても、世間体はやはり大事だ。
天才の王子かつ人格者としての仮面を作り続けた僕は、心の底から面倒だと思いながらも彼女の見舞いに行った。
学園では僕の心を心配する振りをして近付いてくる者達もかなりいたが、『今は彼女のことが心配なので後にして欲しい』と、婚約者の身を労わる言い訳で跳ね退けた。
王都にあるヴァイオレット家の別邸に着くと直ぐ、クリヘム閣下が出迎えてくれる。
そのまま客間まで通してもらい、現在の状況を簡潔にだが説明して貰った。
曰く原因は不明。現在は意識が戻っておらず、自室で休んでいる所らしい。
一通りの説明を聞いていると、丁度良く彼女が目覚めたと血相を変えたメイドが僕たちを呼びに来た。彼女は何度も見たことがある。アミランの側付きのリリアだ。
報告を受けた閣下は余程心配なのか、僕を置いて部屋を慌てて駆けて行き、それにゆっくりと後に続く。
暫く遅れて彼女の部屋に着くと、入室はせずまずは父親が先だろうと部屋の入り口で待つ。
中の様子を覗いてみると、何故か彼女が自分の父親を目の前にして恐怖に満ちた顔で後ずさるところだった。
何事かと部屋へと入り、脇から彼らの様子を窺う。
だがやはりその光景は先程見た通りで、ベッドの上の少女はまるで迷子になった幼子のように不安と恐怖をその顔に携えている。
「まだ快復しきっていないようですし、ここは一度安静にしてもらいましょう」
正直に言うとどうでもいいが、見ている分にあまり気分が良いものでもない。
現在の状況もなにも分からないが、今はそっとしておくことが一番いいと判断した。
そんな僕の言葉を聞いて、彼女が今日初めて僕の方を見た。
その時の顔は先程父親であるクリヘムの時よりも更に怯えを多く含んでおり、僕は内心の溜息と共にここを立ち去ることにした。
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あれから数日、僕は唯一の親友であるイドリィ――イドリスと自室にあるバルコニーでお茶を飲んでいた。
「つまり、彼女が襲われていたって事かい?」
「あぁ……俺が駆け付けた時には相当やられていた」
そんな彼から聞いた話は、アミランが校内で複数人から暴行を受けたという話だった。
普段イドリィは他人の話を滅多にしない。そんな彼が開口一番にこの話題を出してきたという事は、余程凄惨な事件だったという事だろう。
いや、そういえばイドリスも彼女とは面識があったな。数年前からは一度も会っていないらしいし、会ったという話も聞かないから忘れていた。何か思う所があるのかもしれない。
更に詳しく聞いたところによると、彼女はどうやら重度の男性恐怖症を患っているらしく、今回はそこを突かれて無力化されていたという事まで聞いた。
先日の彼女の自室での怯えようを思い出し、僕は他人事のように思いながらも、卑劣な行為自体には怒りを感じていた。
「それで報告はしたのかい? それ程の案件ならかなりの大事になると思うが」
「いや、本人の希望もあって届け出はしていない」
その事を聞いて、僕は眉を寄せていた。彼女についてあまり詳しくはないが、このような事態があればどんな形であれ報復すると思っていたからだ。
ともあれ、彼女が襲われたのは事実だ。前回の自室での一件もあるし、ここで放っておいては世間からの評価に関わるかもしれない。
彼女の身辺調査をすると共に、暫くは傍に付いている必要があるかもしれない。
目の前に親友が居るのにも関わらず、僕は溜め息を溢した。
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それから二日、彼女が登校するという情報を掴んだ。
襲われた翌日には流石に登校することが出来ず、まだ準備も中途半端だった僕は急いで用意を整えた。
前日に屋敷に手紙を送って、次の日には王族用の馬車で彼女を迎えに行き、まだ早い時間だったので客室で彼女の支度が終わるのを待つ。
こういう時、女性の身支度に時間が掛かるのは弁えているし、何より彼女があまり急ぐとも思えないので、緩く構えて待つ。
しかし予想に反して彼女は直ぐにやってきた。かなり急いだのか、本人は隠しているつもりでも額にじっとりと浮かんだ汗がそれを証明している。
予想外の彼女の行動に少し驚いていると、丁度飲み切った分の僕のお茶のお代わりと自分の分を手際よく用意させた。
この行為にも驚いた。今までは周りなど一切見えず、直ぐに目の前に来て自分の媚びを売る事に必死だった彼女とは思えない。
そのまま暫く無言でお茶を飲むが、何故か彼女から目が離せない。
今までとは明らかに違う。優雅にカップを口許に運ぶ仕草も、静かな時間を楽しむ余裕も、どちらも今までにはなかったものだ。
その違和感の正体を探るが、結局は分からない。今まで彼女には何の興味もなかったのだ、今更観察したところで分かるはずもない。
ある程度時間を潰し、いい頃合いになったので屋敷を発つ。
途中些細なトラブルはあったが、特に何事も無く無事に学園へと到着した。
僕は少し用事があるので、先に彼女を教室へと案内してすぐに移動する。
ほんの僅かな懸念はあったが、それを理由に放棄してもいい用事ではないので、後ろ髪を僅かに引かれる想いでその場を後にした。
用事から帰って来ると、何故か彼女は教室にある椅子を廊下に移動させて座っていた。
後になってイドリィに聞いたが、彼女の発作が発動して少し避難させていたらしい。
それを知らずに教室に戻る時に軽く揶揄ってみたが、彼女は面白いくらいに良い反応を見せてくれて、ついつい笑ってしまった。
その後も暫くニヤニヤしていたが、訳を聞いて少しだけ罪悪感が湧いて来た。彼女には後で謝るべきだろう。
そうしてやって来た昼休み。
彼女にとっては初めての事だろうと、座っている席に目を向けてみる。
「ぷっ、くふふ……!」
彼女は前を真っ直ぐに向いたまま放心しており、どうやらあまりに退屈過ぎて意識を飛ばしてしまったらしい。
その放心顔というか寝顔があまりにも間抜けに見えたもので思わず吹き出してしまった。
折角寝ているのだし放っておこうと、僕はいつもの定位置で昼食を取る為席を立った。
いつもの人物と近況報告を話し合いながら手早く昼食を取り終わると、日課にしている校内の散歩をしていく。
王族という立場もあり、校内でのトラブルなどを解決する事も義務のひとつなのでそれを行う為の散歩だ。
そうして一通り見て回り、突然中庭から大きな声が聞こえた気がして、窓から見下ろしてみると、そこには信じられない光景が飛び込んできた。
「な、なんてことだ……!」
そこには、ここからでは姿はハッキリとは見えないが、二人の少女が複数の令嬢から暴行されている様子が映っていた。
僕は怒りと驚愕の入り混じった感情のまま全力で駆けて行く。
近付くにつれて、段々と当事者たちの姿が鮮明に映っていく。
彼女たちは全員、僕たち原色の家系の婚約者の令嬢だった。
襲われている少女の片割れは囲まれていて見えないが、見えている少女には見覚えがある。先日校内で困っている所を助けた令嬢だ。
彼女はとても心優しい少女で、そんな彼女が連れている人物を袋叩きにしている事に、僕は強い怒りを覚える。
そうして彼女たちの直ぐ傍まで来ると、その被害者の顔が見えた。
無抵抗に、無垢な少女を守るように一方的な暴力を一身に受けていたのは、僕の婚約者のアミランだった。
「アミラン!? 君たち、そこで何をしている!」
「あら、丁度良いタイミングで現れますこと」
怒りのまま声を上げると、件の令嬢はまるで罪悪感などないように飄々としていた。
流れのままに倒れているアミランの近くまで顔を寄せると、その令嬢が何かを耳打ちしてから直ぐにどこかへと消えて行った。
「アミラン! 一体何があったんだい?」
「……なにも、ありませんでしたわ」
本心から心配の声を掛ける僕に、彼女は何も話してはくれなかった。
ただ状況から見て、この灰色の髪の少女を、きっとアミランは庇っていたのだ。文字通り体を張って。
僕は、自分が情けない。
今まで自分を見てくれる人が居ない? 誰もが肩書や上辺だけしか見ていない?
どの口が言うんだ。
本当に人の心を、中身を見ていなかったのは、誰よりも僕自身だった。
きっともう僕はこの時にアミランの人を惹きこむようなこの瞳の虜になったのだと思う。
彼女の心を見る――優しく高潔な魂に。
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