屋上エスケイプと、弟の芽瑠(める)
空が広くて、青い。
7月を目前にした梅雨の晴れ間、淡い青色の空がどこまでもひろがっている。
おだやかな風が爽やかで心地いい。
あたしは宮藤ほのかを連れ、校舎の屋上へとバックレた。
「あーきもちいい」
「授業を抜け出したの初めて!」
「えっ意外」
「あーっ!? 芽歌っち、私の事バカだと思ってたー?」
「いっ、いやいや! そんなことおもってないよ!」
宮藤ほのかは見た目とは裏腹に、意外に真面目な生徒なのか。言われてみれば授業はいつも真面目に受けている印象だったかも……。
「でも、ここ気持ちイイね!」
「うん良かった」
宮藤ほのかは友達だと思っていた取り巻きABに裏切られ、メソメソ泣いていた。
でも屋上に来てすこし晴れやかな表情になった。
ここは学校の屋上。
秘密の隠れ家、パラダイス。
本当は勝手に入っちゃダメだけど、教頭先生がゴルフの練習のために鍵を開けているのは公然の秘密みたいなもの。
地方都市の郊外に立つ我が高校の周囲は、少し古めいた住宅街と、田んぼと畑に囲まれている。
緑は多め、遠くに霞んでみえるのは大型ショッピングセンター。
日本全国だいたい似たような、ありふれた風景らしい。
宮藤ほのかと逃げ込んだ学校の屋上は、誰もいなかった。
今は5時間目の授業中なのだから、当然と言えば当然だけど。
昼休みや放課後は結構生徒が来てるけど、流石にいまは誰もいない。
「秘密基地みたいだね」
「あ、だけど油断してると教頭先生がゴルフの練習に来る」
あたしの数ヵ月の経験だけど。
「マジ!? きゃはは」
宮藤ほのか笑い、風が髪を揺らす。涙で崩れたメイクは酷いありさまだけど……。
生徒が居ない屋上の日陰で、あたしたちはしばらく休んだ。
空を見上げて、景色を見て、風を感じるだけでよかった。
いまはまだ五時間めの授業中。それと本来はPDS発症者である宮藤ほのかは保健室行きだろうけど、本人はいたって元気。
友達の反乱、裏切りの精神的ショックもあるだろうけど、話していると顔つきは明るくなる。
無理をしてるんだろうけれど……。
「あっ、あれ何? 山の向こうの……!」
宮藤ほのかがフラフラと金網に近づいてゆく。
「そこから先はダメ」
「え? なんで」
「監視カメラに映る、ここは死角だぜ」
あたしは親指を立てた。
「おぉ!? そうなんだ」
実は屋上への入口から給水塔の陰までは監視カメラが届かないのだ。
宮藤ほのかが逃げるように戻ってきた。
「……なんかかっこいいね芽歌っち」
「女王様にそんなこと言われるなんて、光栄だよ」
からかってんのか陽キャめ。
壁を背に座り、彼女を薄目でにらむ。
「いやいや本当だって」
良く手入れされている長い髪は明るい金色で華やいだ雰囲気に似合っている。
薄いギャルメイクも教室の女王の名にふさわしい。
となりに宮藤ほのかが座る。ふわりといい匂いがした。ストレスからダンジョンを生成、緊張で汗をかいたはずなのに彼女はフレグランス。甘い香りがする。
暴れまわったあたしの汗は普通に臭い。
もしかして種族が違うのか?
エルフの女王と地下で暮らすドワーフぐらいの違いとか、っておい。
「へへっ」
自虐ツッコミに変な笑みを浮かべてしまう。
「芽歌っちって、クラスではいつも孤高ってか、自分を持ってる感じがするよ。誰にもなびかないし、そういうのハードコアっていうの? そうそう山田先生みたいな!」
「や、山田先生と一緒は嫌だぁ」
「キャハハ」
彼女は高いコミュ力と豊富なボキャブラリで「陰キャなのに同調圧力を無視する」あたしを何とかかんとか誉めようとしているのはわかった。
うーん、慣れない。
宮藤ほのかみたいなタイプは苦手だ。
まぶしくてキラキラして、強い太陽の光みたい。
あたしは……給水塔の影で涼むくらいがちょうどいいのに。
いやいや、それよりも。
あたしは宮藤ほのかにどうしても確かめておかなきゃないことがある。
長谷川栞。
彼女のことをバカにして心に傷を負わせたのか、どうなのか。
それを確かめて、傷つけたのなら謝ってもらわないと。
じゃないと心を許す気にはなれない。
「……あのさ、ひとつきいていい?」
「うん?」
「長谷川、栞さんの読んでた本、イジった記憶ある?」
確か事故現場の本。車輪の下敷き地獄マンなんとか。(注:ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』)
「えっ? 長谷川さんの……本?」
あぁ自覚がないパターンか。
陽キャあるある。
無意識、あるいは意識してオタク趣味を小馬鹿にするみたいな。
「読んでた本バカにしたとか」
「そんなこと、してないよ!? むしろBL関係の本を貸してほしくて……こっそり話しかけたくらいだもん」
「なっ?」
あたしは絶句した。
なんだBL本って。マジか。
「私さ……大きな声じゃいえないけど、実は綺麗なホモ好きなのよね」
「きれいな……ホモ」
まぁわかる。女子でそれを嫌いな子はいないだろう。
ただし二次元に限るがな。
「わかってくれる!? 芽歌っちならわかってくれるよね!?」
「わ、わかるよ!」
「よかった!」
がっと手を握られて、一瞬で主導権を奪われてしまった。
ちなみにあたしは百合モノが好き。
むしろ栞ちゃんと百合ユリしたいくらい。
「じゃぁ質問の答えは……」
「……もしかしてだけど……。私が長谷川さんと話したあと、相原さんと備前さんが彼女に近づいて何か話しかけてたかも……」
取り巻きAB。
彼女らの名前を出した途端、表情が曇る。
思い出したくもないよね、そりゃぁ。
でもピンときた。
『何つまんねぇ本読んでんの?』
『宮藤はさお前をバカにしてるんだ、ほら。あそこで笑ってるっしょ?』
とかなんとか。
栞ちゃんに吹き込んだのかもしれない。あの二人ならやりかねない。
宮藤ほのかが嘘をついている可能性は?
……わからん。
けれど、BL好きを公言する彼女が悪い人間のはずがあろうか?
いや、ないな。
あたしの謎ロジックで信頼することにした。
「信じるよ。BL好きに悪人はいない」
「えっそういうもの?」
宮藤ほのかがくすくすと肩を揺らす。
念のため聞いておこう。
「一応きいておくけど宮藤ほのかは何派?」
「何派……?」
「二次元派だからねあたし」
アニメとコミックでのBLなら好き。リアルなら百合だ。
「あー! そういう意味では私、三次元派かも。佐々木くんと吉田くんのリアル絡みを想像して……えへへ」
「ぐはー!? そっちかよ」
あたしは頭を抱えた。
リアルは無理なんだよな、しかもあいつらクラスメイトじゃん。
スポーツマン同士、ガチムチで。
あたしが好きなのはそういうのじゃないんだよ。もっと耽美で主従関係とかネットリしたのが好き……って。いまはそれはどうもでいい。
「ごめん、趣味違ってた?」
「い、いい。趣味はちがって全然オッケー。多様性の時代じゃん? ポリコレとうるさいし」
多少方向性は違うけど、宮藤ほのかも意外と普通なんだなぁ。
ギャルだからって食わず嫌いは良くない。
ちょっと安心した。
心を閉ざしているのは、むしろあたしのほうだ。
「芽歌っちさ、私のこと宮藤ほのかじゃなくて、ほのかって呼んでよ」
「えっ……」
攻めてくるな、ううっ。
そんなの恥ずかしいじゃんか!
「ほら『地獄を案内』してくれるんでしょ?」
近い近い。美人顔を寄せてくるな。
あぁもう。
「ほ……ほのか」
きゃぁ、呼んじゃったよ恥ずかしい。
ぼふっと顔が赤くなったのがわかる。
「お、照れてる!? かわいい! メカっち」
「あぁああ。もう」
流石スクールカーストのトップ、宮藤ほのか。
こいつはいつも人の心をこうして弄んでいるのか。
恐るべし、ひとたらしだ。
と、誰かが屋上へ来る気配がした。
時刻は午後1時40分。五時間目の授業終了の十分前だ。
ということは先生か? ほのかの手を引いて給水塔の裏側に逃げ隠れる。
「誰か来る、隠れて」
「芽歌っち!?」
屋上への鉄扉を押し開けて、そこに現れたのは一人の男子生徒だった。
「……すんすん。いい匂いがする」
ヤベぇやつだ。
宮藤のほかフレグランスを嗅いでいるのか!?
って、
「芽瑠!?」
あたしは声を出してしまった。
「あっ……芽歌? なんか良い匂いしたから」
「な、何いってんだおまえ」
それはあたしの弟、芽瑠だった。
双子の弟。
顔はあたしを男子っぽくした感じ。
細身であたしより1センチだけ背が高い。中学で追い越された。くそっ。
「なんで芽歌がいんの? バックレた?」
「そんな感じだよ。と……友達と人生について語り合ってたとこ」
友達って言っちゃった。
ちらっと宮藤ほのかのほうをみると、あたしと芽瑠を交互にみて「おぉ!?」という顔をしている。
「芽歌っちとそっくり?」
宮藤ほのかも給水塔の裏から姿をみせた。
「これ、あたしの弟、芽瑠」
「……どうも」
学年いち美人で実質的スクールカースト。
宮藤ほのかを前に、芽瑠の反応は薄い。
男子なんだからもうすこし「うぉお!?」とかテンション上げろよ。
「すごい! 芽歌っちの弟なんだ!? なんか噂はきいてたけど、1年A組だよね!?」
「……1A」
中学生化の男子か、ちゃんと答えろ。
姉として見ていてイライラする。
「すごい! 双子の姉弟ってはじめて見たよぉ!」
宮藤ほのかが喜んでいる。
「そんな珍しいか」
珍獣扱いすな。
「それに1年A組って特別進学クラスでしょ? 成績の良い子が集まってるんだよね! てことは」
あたしを見るほのか。
「ちっ、コイツ成績だけはいいんだよ。家ではあたしとゲームばっかしてるくせに」
「……そのあと勉強してる。芽歌にも宿題教えてるじゃん」
「いらねーこと言うなし」
成績優秀がなんだ、進学クラスがなんだ。
あたしは「推薦チート」で大学進学の道を切り開くと決めたんだからな。
「なんかイイね! ふたりのやりとり、なんか尊い!」
「尊いかな!?」
「私ひとりっ子だから、そういうの憧れちゃう……」
くそ、憧れの目を向けるな。そういうの苦手なんだけど。
「で? なんで芽瑠は屋上に来たん?」
「……小テスト早く終わったら教室を出ていいって言われた。C組みにいったら芽歌がいないから……トイレか屋上かなって」
教室を覗くなって言ってただろ。
「えーっ? お姉ちゃんを探しに来たの!? 可愛い」
ほのかが目を丸くして興奮、勝手に盛り上がっている。
「気配を感じたし」
「怖ぇこと言うな」
けど実際コイツは不思議なところがある。
芽瑠は子供の頃、祭り会場で迷子になったあたしを、事も無げに見つけてくれた。
4年前の『デス・ダンジョン事件』でも深い深淵の迷宮から見つけ出してくれたりした。
「……6時間目始まるよ」
「わかってるってば」
「ねぇねぇ、なんかさっきから彼……私を全然見てないんだけど」
宮藤ほのかが嫉妬したみたいな声であたしに耳打ちした。
男子なら興味をもって当然、ということか?
初めての経験に戸惑っているらしい。
くそ、言いたくはないが……。
芽瑠は重度のシスコンなのだ。
「……芽歌以外、興味ないし」
「えええっ!? マジ!? 凄い!」
ほのかが歓喜の悲鳴を上げた。
「……マジ」
「バカ、すこしは否定しろ」
芽瑠の頭を小突く。こっ恥ずかしい。
「なんか私、いますごく尊いものを見せられてる?」
ほのかが上気した顔で、ため息混じりにうっとり。
違うから、そういうのじゃない。あぁ、調子が狂う。
そこで五時間目終業のチャイムが鳴った。
「教室もどろっか、ほのか」
「うん、メカっち!」
しかたない6時間目はしっかり出よう。
教室に恐々と戻ってみると、宮藤ほのかの復帰は簡単だった。
クラスメイトたちの多くは宮藤ほのかを笑顔で受け入れた。
ちなみにあたしは影のように、誰にも何も言われずに席に戻れた。
教室はいつもどおりにおもえたけれど、すこしだけ風景が変わっていた。
取り巻きAとBが早退していた。
「相原さんと備前さん? あの二人……急に帰ったみたいだよ?」
「なんかうわさだと、大きな病院で検査を受けるため何処かへつれていかれたらしいの」
新聞部の増戸さんがメガネを光らせながら教えてくれた。
「そ、そうなんだ……?」
<つづく>