芽歌(めか)と長谷川栞(はせがわ しおり)
「軽い脱水症状ね。お家の方を呼んだから、それまで休んでいらして」
筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)、マッチョボディに濃いめの髭。けれど心は乙女な保健師、早乙女縁さおとめえにし先生は微笑んだ。
「……はい」
長谷川栞はせがわしおりさんは保健室のベッドの上で静かに頷いた。
保健室には百合の花が飾られていて、消毒薬のにおいに混じり甘い香りがする。
「すこし席をはずすわ、職員室に用事があるから」
「栞ちゃんは、あたしが看ています」
「おねがいね、蔵堀くらほりさん」
角刈りヘアを整えながら五月女先生は去っていった。
栞さんを保健室まで運んだのは、あたしと壇合だんごう先輩だ。
時刻は16時53分。部活の時間内は怪我や急病人の対策として保健師の早乙女先生が残っている。壇合先輩の冷静な判断は流石だと思う。
「……ごめんね蔵堀くらほりさん、迷惑かけて」
「なぁに謝ってるの、別にいいってことよ」
だって成績のためだもの、うひひ。
栞さんはPDSを「発症」してしまった。
異次元空間「ダンジョン」を周囲に作り出し、奥底に丸一日引きこもっていたことになる。
あたしは彼女の図書室ダンジョンを攻略、見事救出に成功したわけだから……命の恩人?みたいなもの。
ふっふっふ、これで山田先生に成績Upしてもらえ……ん?
内申点とテストの点数ってどっちが「成績」なんだっけ? 点数もあげてくれるのかな? んっ? んっ?
「僕も生徒会に報告しないといけないから、これで失礼する。ところで芽歌さん、彼女が再びダンジョンを生む危険はありませんか?」
あたしが悩んでいると壇合だんごう先輩が聞いてきた。
「ダンジョンはポンポン出せるもんじゃありません。ストレスとか悩みが溜まれば……わかりませんけど」
「なるほど。そういう仕組みなのですか。流石はダンジョンハンターの芽歌めかさんだ、説得力が違う」
妙に感心されてしまった。
なんだダンジョンハンターって、ちょっとかっこいいじゃん。
生真面目な先輩は微笑むと一礼、生徒会室へ去っていった。
「さて」
あたしは栞さんの話し相手になってあげなくちゃ。
彼女が生み出したのは『図書室の迷宮』とでも呼ぶべきものだった。
攻撃性は低め、トラップもダンジョンとしては単純な部類。
それはきっと、栞さんが心根の優しい子だから。
PDSを発症する子は、誰しも心に深い傷や闇を抱えている。
悩み、怒り、妬み、憎しみ、悲しみ……。
そうした負の感情から異次元迷宮「ダンジョン」を生み出す。
心証風景を映したような暗く深い洞窟のようなダンジョンもあれば、臓物のように蠢くダンジョンもあった。お菓子だらけ、食べ物だらけ、栞さんのようにその子の「趣味趣向」が反映されるのだけど……。
敵意をむき出し侵入者を攻撃するダンジョンだってある。
悪意をもって罠を張り、他人を引きずり込んで傷つけ喜ぶもの。けれどそれはもう犯罪者だ。
ネットで専門家だか学者先生がしたり顔で言っていた。
PDS発症者の作る「ダンジョン」は心の闇が生む牢獄だ、と。
違う。
なにそれ、違うよ。
だって、あたしは知っている。
PDSを克服したあたしは。
「栞ちゃん」
「ん?」
「大切な『宝物』を守りたかったんだよね」
「芽歌めか……さん」
長谷川栞はせがわ しおりさんは静かに息を飲んだ。
彼女がダンジョンを生成した理由。
それは、大切な心の中の『宝物』を守るためなんだ。
「倉堀くらほり……さん?」
「あ、ごめんぼーっとしてた。流石に疲れたよね」
ダンジョンを消すには生み出したマスターを「説得」するか、力づくでぶん殴って正気に戻すしかない。そしてダンジョンが消えると、ドロップアイテム『迷宮結晶』を残すことがある。
栞さんが残したのは白い表紙の文庫本だった。ページをめくると文字が渦を巻きながら浮かび蠢いている。
――図書館迷宮の結晶、か。
免疫獲得者ガイナス以外にとってはPDS感染を広げかねない。いわば危険な「呪物」に他ならない。役にも立たないけれどその辺に捨てるわけにもいかない。アイテムボックスよろしく通学用のリュックの中に仕舞い込む。まぁいつか売れるかもしれないし……。
「栞しおりさん、気分はどう?」
「……悪い夢をみていたみたい。でも不思議……。今は……気分が軽くなった」
「うんうん、ストレスを発散したってことだね」
あたしはベッド脇の丸椅子に腰かけている。
「蔵堀くらほり……さんが、迷宮から助けてくれた……んだよね?」
「芽歌めかでいいよ、クラスメイトじゃん。助けるのは……当然だよ」
ちょっと言い淀んでしまった。綺麗ごとを言っている。最初はめんどいとか関係ないとかいっちゃったし、内申点アップに目が眩んだなんてとても言えないし。
あたしはとてもズルイ人間だ。
クラスメイトだから助けるというよりも、同じPDSの発症者として助けたかった、あるいは放っておけなかった、とのほうが近い気がする。そう、正直に言えばいいのかな……。
「……ありがとう、芽歌めかさん」
整った鼻梁、ぱっちりとした目、どこか儚げな雰囲気。ベッドの枕に流れる艶やかな黒髪。
メガネをはずした彼女は案の定、なかなかの美少女だった。
男子でなくても好きになりそう。いやまて、むしろこの流れ……キスしてもいいやつじゃね? あわてるなあたし、まだ早い。
「し、栞ちゃんって呼んでいい?」
「いいよ」
よしいこう。
ベッドに両腕を乗せ身を乗り出す。すこし覆い被さるように顔を近づけ、耳に髪をかきあげる。まつげが長い、かわいいな。思わずまじまじと見つめてしまう。
ゴクリ。
「あ……あの?」
栞ちゃんは戸惑い目を泳がせた。
いかんいかん、そうじゃなくて。
「何に悩んでいたか、話してみない?」
「……! それは……その」
キスよりもまずお悩み相談が先。姿勢を戻し話題を変える。
「栞ちゃんは本が好きなんだよね。羨ましいなぁ。あたしなんて字読むの苦手なのにさ」
「苦手でも読める本もあるよ」
「マンガとか?」
「ライト文系とか、楽しいよ」
「こんど教えて」
「うん!」
ようやく微笑む栞さん。
部活終わりの挨拶をする声が聞こえてきた。そろそろみんな帰り支度をする時間。
栞ちゃんのお母さんが迎えにくるまで、もう少し話を聞いてあげたい。
「……クラスの人に本を馬鹿にされたの」
ぽつり、と天井を見上げながらつぶやいた。
「なにそれ、ひどい」
「表紙を見て何これ?つまんなそうな本って……笑われて。読めば……面白いのに」
栞ちゃんは残念そうに悲しい目をしている。
「どんな本読んでたの?」
「……ヘルマンヘッセの『車輪の下』」
「な、なるほど!?」
車輪の下じき? 事故現場か? あっ、警察24時的な。
「……どうして……」
「ん?」
「みんなで騒ぐ人が偉くて、静かに本を読んでいちゃダメなのかな……」
栞ちゃんは静かにつぶやいた。
もっともな相談だった。あたしもそう思う。
クラスは賑やかで元気で、活発な子が中心になる。
静かな子は教室の片隅に追いやられる。
それは小学校も中学校も同じだった。
高校になってから多少はマシになったけど、大声で楽しいアピールしながら騒ぐバカどもがのさばっている。
「誰が言ったか教えてよ」
あとでとっちめてやる。ダンジョンに突き落とすとか、いろいろ手はあるんだから。
「教えて」
「……言えない」
「どうして?」
「芽歌さんに迷惑……かける」
「あのさ」
彼女の枕の両側に手をついて、覆い被さる。おでこがぶつかるくらいの距離で瞳を見つめ、
「迷惑ならもうかけてる。図書館でダンジョンを生んだPDS発症者。それが今の栞ちゃんなんだから」
「……ダンジョン……PDS発症者、私が……」
彼女は今、ようやく事実に向き合っている。
「そこから助けたのはあたし」
「……そっか……」
栞ちゃんは頷きながら息を飲んだ。
意味を租借するように、自分がPDS発症者だということを自覚する。認めたくはないはず。だって周囲の視線が一変することを意味するから。
世間はPDS発症者に冷たい。
致死性の病原菌を保持しているみたいな扱いをされる。
あたしが身をもって経験してきたからわかる。
「あたしね、中学になる前にPDSを発症したんだ。町中を巻き込んで皆に迷惑かけて……。終わったあともダンジョン帰りの……怪物って呼ばれて避けられた」
「怪物……そんな」
残酷だけど、あたしが投げつけられてきた言葉だ。
テレビやネットでも「PDS発症者は怪物」「施設に全員隔離すべき」「迷惑系バケモノ」と揶揄されている。
家族で引っ越した先の中学でも噂はすぐに広まっていて……。あたしはみんなからハブられた。
教室ではずっと一人だった。
でも耐えた。
乗り越えてきた。
ずっと支えてくれたのは双子の弟――芽瑠。
あいつがいたから、そばにいてくれたから。
クラスでひとりぼっちは辛かったけど怖くなかった。
孤独と差別の闇の中、いつも助けてくれたのは弟の芽瑠だった。
だから。
今度は栞さんを一人にしない。
一緒に支えてあげられたらって思う。
二人ならきっと辛さも紛れると思うから。
「ごめんね、怪物だなんて言って」
「いいの、わかったよ芽歌さん」
しばしの沈黙がながれる。
今、栞ちゃんの戸惑いと苦しみをわかってあげられるのは、親でも先生でもない。あたしだけだ。
「芽歌さん、ありがとう。なんだか落ち着いた。私たち……同類なんだね」
「同類なんて、はじめて言われたかも」
「仲間ができたって感じ」
あたしが微笑むと彼女も花開くように微笑んだ。きれいなとび色の瞳があたしを見つめている。
目の前が開けた。
「仲間」
それは、とても嬉しい言葉だった。
助けるつもりが、逆に救われている?
「芽歌さん、こんな私だけど、友達になってくれますか」
「もちろんだよ」
これはキスをしていい流れキタ……!
嬉しくて、驚いて。飛び上がりたい気持ち。
あたしは頭がぐらぐらしてきた。
んー……と唇を近づける。
「……キスは……ちょっと」
「えっ? あっごめん、早かったよね!? まずは友達から、順番があるよね」
「芽歌さんって、面白い」
「そうかな、あはは……」
くそ、キスしそこねた。
友達との距離感、マジ難しい……。
「……よろしくね芽歌さん」
「こちらこそ、よろしく栞ちゃん!」
保健室が軽やかな笑いで満ちた。
そして。
栞ちゃんはやがて、躊躇いながらある一人のクラスメイトの名を口にした。
宮藤ほのか。
クラスの女子を牛耳る、派手で騒がしいクラスカーストのトップ。
いつも取り巻きの女子を二人ひきつれている。
PDS発祥の引き金を引いた。
あたしの栞ちゃんをバカにしたのは……あいつらか。
<つづく>
次回、新たなるダンジョンが出現する!
『女王のダンジョン』おたのしみに。
【ステータス】
蔵堀 芽歌
16歳(♀)
12歳でPDSを発症『奈落のデス・ダンンジョン事件』を引き起こした張本人。
その後、免疫獲得者ガイナスとなり、日本国内閣府直轄危機管理局の監視対象となる。
ガイナス識別コードGx027
発現異能ランクA。近接戦闘、中距離攻撃、全方位攻撃が可能とされる。
対ダンジョン制圧スキル、レベル36
◇所持アイテム
・『図書室の迷宮結晶』ランクCの迷宮結晶