1部 <冥婚編> 始まり
俺はその日社長の甥でもある井沢先輩に、大きな発注ミスの失敗をお前がした事にしてくれと頼まれて仕方なく了承した。
いつも世話になっていたし、何より次の社長だそうだから、社内的にいろいろとあるのだろう。
だが、帰宅時間が別の仕事で遅れて、たまたま井沢先輩が高木先輩と話すのを会社で聞いてしまった。
「あいつが居て助かったよ。おかげで全部被ってもらう事になった」
笑いながら話す、井沢先輩のその言葉に眩暈がした。
「どうせ、あいつは結婚してないし、首になっても問題無いしな」
高木先輩も笑った。
「まあ、あの不細工と陰気な性格じゃ結婚できないだろ。でも、後輩に目をかけといて良かったわ」
「しかし、まあ三年目だとは言え、大きな誤発注をした事にして全部あいつに被せるのは無理が無いですか? 」
横から井沢先輩の一年下の河村先輩が突っ込んだ。
「ああ、その辺は上手く誤魔化したよ」
「いや、社長の甥の井沢先輩だから、結局、向こうも巨額発注でも確認せずに受けたんでしょ」
「その辺は俺が次の社長だしな。向こうも分かってるから細かい事は言わないさ」
井沢先輩が再度笑った。
俺が世話になっていたのは、そういう意味だったのかと目の前が暗くなった。
それから、退社して、ただ無意味に車を走らせた。
俺がいる市は人口は10万人以上いるが昔の古い社会がまだ息づいている。
少し奥に入ると瓦屋根の古い街並みに変わる。
いろいろと古い風習が残っていて、まだ旧家とかがいろいろと隠然と力を持っていたりして、両親も早く亡くなった俺はそういう家族や一族みたいなのにあこがれていて、ここで就職した。
でも、それは全部間違いだったのかもしれない。
不細工と言われれば不細工だが、それ以前に両親がいないってだけで、この街では相手から敬遠された。
これで、会社を首になったら、新しい所に行くべきなのか?
そう、迷いながら霧が出て来た山道を車で走った。
そうしたら、突然、車が止まった。
エンストみたいだ。
バッテリーは残ってるはずなんだが。
そう思って、エンジンをかけなおすがエンジンがかからない。
そしたら、目の前の霧が急に晴れて巨大な古い屋敷が現れた。
「ここは……」
確か、地元で隠然たる力を持っているとか言う土御門家の屋敷だ。
宗教団体みたいになってると聞いたが……。
そうしたら、門前に綺麗な着物を着た中年の女性が立った。
ぴっと着物を着こなしていて、気品がある。
「加茂様ですか? 」
そう、その女性は聞いてきた。
「はあ、加茂義則ですが……」
「御屋形様が中でお待ちです」
「いや、何かの間違いでは? 」
「いえ、三鈴様が貴方をお呼びになられたのです」
そう着物の女性は話した。
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俺が屋敷の中を着物の女性とともに歩く。
着物の女性は自らを女中頭の水尾と紹介した。
三鈴様って誰だろう?
そう、訝し気に思っているうちに屋敷の奥の間に着いた。
「加茂様がいらっしゃいました」
水尾さんが静かに正座して、襖を開いた。
そこに、紋付袴を着た五十歳くらいの夫婦が座布団の上に正座してこちらを見て居た。
俺を見ると嬉しそうにお二人とも頭を下げて来た。
慌てて、俺も頭を下げた。
「この度は申し訳ない。私はこの屋敷の主の土御門治秋と申します。まずはお座りください」
ここの主らしい土御門さんに部屋の上座の方に座る様に勧められた。
仕方ないので座るが、どうも居心地が悪い。
座布団に座っただけで、良くある量販店のものと雲泥の差であるのが分かる。
特に、襖ですら狩野派のような襖絵が書いてあり、調度も渋すぎて、一体どのくらいするのか理解できない。
「実は貴方の事を私達の娘である三鈴が見染めましてな」
主の土御門さんの突然の話に唖然とした。
「ええと、私には三鈴さんとお会いした覚えが無いのですが……」
「はい、一方的な娘の恋慕と言う奴です」
「なぜですか? 」
「いえ、娘は純朴で正直なところが良いと言いましてな」
そう言われて少し嬉しかった。
何しろ、信頼していた先輩にすら騙されていたし。
そう言う部分を褒められると思わなかった。
「非常に心苦しいのですが、私の娘と結婚して欲しいのです」
「ええ? 」
いきなりすぎて、流石に引いた。
「いや、本当に申し訳ないのですが、我が家は17歳まで神様のお代をして只人になる様になっているのですが、娘は17歳までに亡くなってしまいました。当家ではその場合に娘が怨霊にならないようにちゃんと夫を選び冥婚をさせるように先祖代々決まっているのです」
申し訳なさそうに主の土御門さんに言われた。
「冥……婚ですか……」
俺が流石に驚いた。
都市伝説で聞いた事がある。
土御門家は古くからの伝統ある神道の宗家でもあり、それは千年以上の間、一族から巫女を立てて神を祭り、神の言葉やその力で災いを退けたり福を与えるような仕事をしていると言う。
そういう仕事をしているせいか巫女になった娘は17歳までに亡くなってしまう事が結構あり、それには必ず冥婚をさせる事で慰霊をすると。
主の土御門さんと恐らく奥さんであろう隣の同い年くらいの女性が必死に頭を下げている。
「ぜひ、姉の為にお願いします」
そう奥の襖が開いて14歳くらいの凄い美少女が着物姿で頭を下げて来た。
「貴方は? 」
「妹の鈴与と申します」
その少女はそう答えた。
「今のお代は妹の鈴与がやっておるのです」
そう主の土御門さんに言われた。
皆が必死な目で俺を見ていた。
「……良いですよ」
俺はあっさりと答えた。
先輩たちに馬鹿にされるほどだし、結婚など無理だろうし。
こんな俺でも、人様の助けになるならとそう思った。
「良かった。これでお姉ちゃんも結婚できた」
鈴与さんがそう笑うと奥の大きな神殿みたいな神前から三宝が飛んできて、鈴与さんの頭にポコポコと当たった。
どう見てもポルターガイストだった。
「もう、お姉ちゃん、せっかくの祝い事なのに怒らないでよっ! 」
鈴与さんが冗談っぽく笑った。
「すいません。娘が恥ずかしがってちゃんと挨拶もせず」
主の土御門さんが笑った。
「ほらほら、せっかくの旦那様なんだから恥ずかしがらないで出て来なさいよ」
土御門さんの奥さんも笑った。
そしたら、ほっそりとした白い手だけが襖を持つように出て来て、そしてもじもじした後に消えた。
「あの……亡くなられているんですよね……」
俺が瞳孔が開いてるのを自覚しながら聞いた。
「ああ、我が土御門家では特に神様を下ろすものをお代と称しますが、お代でも三鈴くらい強力になると幽霊として実在できるのです」
主の土御門さんが微笑んだ。
「ええ? 」
俺が流石に唖然とした。
「あ、あの、ひょっとして。冥婚の方は? 」
土御門家の奥さんの方が少し青くなった。
断られると思ったのだろう。
「待って待って! お姉ちゃんは凄い美人なんだから! 」
慌てて、写真立てを持って鈴与さんが俺に見せた。
そこには本当に信じがたいほどの美少女が映っていた。
「本当だ……綺麗だ……」
俺がそう呟いた途端、部屋の襖が外れると一斉に空を舞って、タタタタタタと言う足音が奥の方へ走っていく。
「もう、照れ屋なんだから」
鈴与さんが苦笑した。
見てて、俺には何が起こってるのか良く分からない。
ポルターガイストは間違いないのだが。
何故か鈴与さんは朗らかに笑っていた。
勿論、主の土御門さんもだ。
「あ、あの娘との冥婚は? 」
土御門さんの奥さんはそうはいかなかったらしくて、泣きそうな顔で俺を見た。
「いや、しますよ。こんな綺麗な人なら嬉しいくらいだ」
俺がそう笑った。
まあ、出来たら生きてるうちに会いたかったが……。
そしたら、屋敷の奥の方で激しい炸裂音みたいなのがしている。
「お姉ちゃん、照れてるよ」
「ラップ音ですな」
鈴与さんと主の土御門さんが笑った。
土御門さんの奥さんも娘の冥婚が決まった事を涙を流して喜んでいた。
その後、俺は正式な結婚式は先になるが、ともかく冥婚の婚姻届けをと言う事で半紙に描かれた不思議なお経のような符のようなものに名前を書かされた。
「結婚は準備がありますので後日になりますが、娘の事ですので、もう妻としてそちらに行くかもしれませんが、宜しくお願いいたします」
その日はそういうふうに主の土御門さんに言われて帰った。
車は本当に三鈴さんが止めたようで、帰る時はすぐにエンジンがかかった。
その夜は家に帰るといろんな事があり過ぎたので軽骨鉄筋の二階のアパートの俺の部屋に戻ると、疲れてそのまま布団に倒れ込んで寝てしまった。
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朝、みそ汁の匂いで目が覚めた。
ふと、枕もとを見ると丁寧にワイシャツやスボンがアイロンをかけてたたんであった。
慌てて、部屋の隣のリビングに行くと、炊き立てのご飯に豆腐の味噌汁と焼いたアジとチーズとか海苔を巻き込んだ卵巻きやサラダとぬか漬けなどずっと独り身の俺からしたら、見たことも無いほど立派な朝食が用意してあった。
「三鈴さんっ! いらっしゃるんですか? 」
俺が部屋に向かって叫ぶと返事が無い。
おかしいな。
「もう帰られたんだろうか? 」
俺がそう呟きながら味噌汁を一杯すすった。
「旨いっ! 無茶苦茶美味しい! なんて料理が上手なんだっ! 」
俺が驚くと、激しいラップ音がして、タタタタタタタと俺の住む二階建ての軽骨鉄筋の階段を降りる音がした。
慌てて、俺が部屋のドアを開けると誰もいなかった。
「姿を現してくれても良いのに……」
そう俺はため息をついた。
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その日、ビルの五階にある会社に首になる覚悟で出勤すると、社長が訝し気な顔で待っていた。
横には甥である井沢先輩もいた。
「この馬鹿な発注はお前がやったんだな」
念を押すように社長が俺をじろりと見た。
井沢先輩が目で俺に合図をしたんで、仕方が無かった。
「はい、そうです」
俺がそう頭を下げた。
そこには高木先輩や河村先輩もいたが何も言ってくれなかった。
「次から気をつけろ。向こうが発注を変更してくれたから」
そう社長が言うと井沢先輩をじろりと見てため息をついた。
「いや、俺じゃないですよ。それとすでに商品は届いていると言われてたのに、どうやって向こうは変更してくれたんですか? おかしいじゃないですか。俺が聞いた時は無理だって言ったのに」
井沢先輩が余計なことまで言った。
「ほう、確認してたのか」
社長がそう井沢先輩に聞いた。
「一応、私が面倒見てた後輩ですし」
得意そうに井沢先輩が答える。
その時に、横にいた高木先輩の首がぎぎっと180度回った。
「お前が発注したんだろうが……」
高木先輩が白目を剥いて呟いた。
「恩に着せて自分の失敗を後輩に押し付けるか? 」
今度は河村先輩まで首がぎぎっと180度回って呟いた。
その瞬間、そこにいた全ての社員が真っ青になった。
「いや、俺じゃないっ! 」
井沢先輩が叫ぶ。
「嘘をつけ」
「嘘もいい加減にしろ」
首が回ったまま高木先輩と河村先輩がそう呟く。
「ふざけんな! 俺はやっていないっ! 」
井沢先輩が叫ぶ。
そしたら突然、井沢先輩が物凄い力で窓に引きずられていく。
「ちょっと? 何で? 」
井沢先輩が引きずられながら悲鳴を上げた。
どう見ても三鈴さんだ。
流石に五階の窓から落とされたら井沢先輩も死んでしまう。
「いや、駄目だ! 三鈴さんっ! そんな事しちゃあ! 」
俺が叫んだ。
「三鈴様っ! 私の方でちゃんとしますのでお許しくださいっ! 」
突然に社長が土下座して叫んだ。
「え? 」
俺が唖然とした。
そうしたら、窓から落とされるところだった井沢先輩は止まった。
「社長……どうして三鈴さんの事を……」
「この地方の会社で土御門家の影響を受けてない会社は無いよ。日本屈指の大企業や大政治家ですら影響を受けてる。昨日、土御門の宗家から君の事で電話を貰ったが本当だったんだな」
社長が驚いた顔で俺を見た。
「はあ」
とりあえず、俺が返事をした。
まだ、唖然としていた。
「三鈴様と冥婚するとはな……」
社長が立ち上がるとため息をつきながら呟いた。
それがどれほどの意味のある言葉か知らないが、一瞬にして会社の全ての人の顔が俺に対する畏れに変わった。
どうやら、敬意を払われながらも恐れられる土御門家と言う都市伝説は本当だったらしい。
井沢先輩は言葉も出せないくらい真っ青になっていた。
「三鈴様が発注も問題無いように止めてくれたらしい。お礼を言っておきなさいよ」
そう社長は俺に言うと、井沢先輩の襟首を持ってズルズルと社長室に引きずって行った。
そうだったのか。
三鈴さんが助けてくれたのか。
「三鈴さんありがとう」
俺がそう笑ってお礼をすると、凄まじいラップ音とビルが揺れた。
皆が悲鳴を上げる中、ビルの非常階段を駆け下りるタタタタと言う足音がしたのだった。
勿論、慌てて俺が追っかけたけど、誰もいなかった。
どうやら、本当に三鈴さんは恥ずかしがり屋さんらしい。
こうして、姿を現してくれない三鈴さんと俺との結婚生活が始まった。