お茶会②
「じゃあまずは改めて自己紹介をしましょうか」
そう言うと、ニコッと笑ったユエルは膝に置いていた片手を上げ、上に伸ばした人差し指でクルンと一周させ宙に円を描いた。
「!?」
次の瞬間、俺は確かな変化を感じ取り驚きを露わにした。
俺の自由を奪っていたアノ感覚、体内の筋繊維一本一本を支配されていたアノ感覚が突如として消え去っていたのだ。
「改めまして、私、ユエル・ロレンスと申します。貴方様から見て一番左に座るのが、三女のクリス。そして私の右隣、中央に座っているのが次女のラルです。姉妹共々これから色々とお世話になるかと存じますが、何卒よろしくお願い致します」
驚く俺を尻目に、上げた手を元の膝の位置へと再び置いたユエルは、柔らかい笑みと共に改まって自己紹介を始めた。
「二人とも、改めて御挨拶を」
淑やかな物言いと気品を感じる声、そして…その中に潜む確かな威厳が静かなダイニングに響いていた二つの音を止めた。
一つは本のページが捲られる紙の音。ロレンス家の次女、ラルさんが静かに本を読む音だ。玄関の時と同じく、何時の間にか何処からか取り出した本を、まるで彼女1人だけが別な空間にいるのではないかと錯覚するくらい静かに本を読んでいた。
もう一つはティーカップと受け皿が擦れる音。ロレンス家の三女、クリスさんが美味しそうに紅茶を飲む音だ。彼女は母さんの淹れた紅茶が余程気に入ったのか、既に数度おかわりをし、席を移動する時も大切そうにカップとソーサーを持って席を移っていた。
「よろしくお願い致します」
「…よろしく…お願いします」
今まで我関せずとマイペースに振舞っていた二人だが、この瞬間、本を閉じ、カップを置き、二人は改めて俺に丁寧に挨拶をした。
そして挨拶を終えると、二人は何事も無かったかのように、本を読み始め、紅茶を飲み始め、再び自分のペースへと戻って行った。
「…なんなんですか、なんなんですかあなた達は…?」
「あら?質問の前にすべきことがないのかしら?それとも、それが貴方の答え――なのかしら?」
細めた目から顔を覗かせる真紅の双眼、優しい声音から伝わる凍える程の冷たさ、笑顔を一切崩していないのに全く笑っていないその顔は、俺の全身に悪寒を走らせ…そして恐怖に震わせた。
「た…たいへん、失礼しました。お…わたしは五条 信です。こちらこそ、よろしくお願いします…」
「うっふふ、御丁寧な御挨拶、心より感謝申し上げますわ」
反射的に頭を垂れ、悪寒と震えに耐えながらのぎこちない挨拶。凡そ丁寧とは言い難く、御挨拶と言えるほど立派なものではない俺の回答に、ユエルは満足したように優しく微笑んだ。……まるで先程の笑みが見間違いだと我が目を疑いたくなる程に、優しく温かく微笑んだ。
「あぁそうそう、私達が何者かって質問だったわね。私達は魔女なの、よろしくね」
「ま…じょ…?」
「魔女よ。魔法使い。知らないかしら?絵本とかに出てくる、カボチャの馬車を出したり毒りんごを渡したりする」
氷河の如く冷たい笑みから一転、太陽のように温かい笑みを浮かべるユエルの口から出て来た言葉、まるで御伽話のような信じられない内容は、未だ寒暖差に慣れない俺の思考を置いてけぼりにするには十分過ぎた。
「…それを信じろと?」
「あら?信じるも信じないも貴方の自由よ?だって貴方がどうしようとも私達には関係ないもの。ただ…貴方自身が、私の言葉を信じるに値する体験をしていると、私は思うのだけれど?」
クスクスと楽しげにユエルが笑う。
人差し指の手の甲を上唇に当て、淑女のように上品に、貴族のように高貴に、気品漂う嘲笑を俺に浴びせる。
彼女が一体何に対して笑っているのか?そんな事は考える必要もない程に明らかだった。
昨夜の公園――突如として俺の前に現れた巨大な化物、そして…そんな化物を一瞬で仕留めたもう一人の女。夜空に浮かび、妖しい笑みを浮かべて俺を見下ろした女。
その女が今日再び俺の前に現れ、俺の身体の自由を奪い自分の手足のように操り、時間を止められた親父と母さんを俺に見せつけた。
到底人間には不可能な所業、この眼で目の当たりにした紛れもない非現実、今更目の前に座る女の言葉を疑うなど、不毛であり嘲笑の対象となって当然だった。
「…なんで俺なんですか?」
そんな未だに思考が追い付かない自分の口から出た次の言葉は、昨日のアノ夜からずっとずっと知りたかった答えへの問いだった。
「ふふっ、どうして自分が?自分が一体何を?ってことかしら?随分と捻りが無いつまらない訊き方だけど、まぁ良いわ。約束だものね」
それを聞いたユエルは俺と俺の言葉をクスクスと笑い、薄気味悪い笑みを浮かべて言葉を続けた。
「そうねぇ……貴方が五条信だから、というのが答えかしら」
「…は?」
「だって五条信にこうやって近付いたのは私達の都合だもの。だから貴方に心当たりが無いのは当然、貴方――――何もしてないもの」
待ち望んだ答え。喉から手が出るほど欲しかった答え。心当たりのない身に覚えのない、このイカレた状況に対する答え。だが……俺は彼女の言葉が理解出来なかった。
彼女の口から語られた答えの意義を、定義を、理解出来なかった。
だから「何か隠された意味があるのではないか?」「もしかして何もしていない事が問題だったのか?」「そもそも何もしていないの定義とは?」頭の中で様々な考えが光の速さで駆け巡った。
まるで味のしない飴の味を口の中で確認するように、頭の中で何度も何度も彼女の言葉を繰り返した。
「尤も、私達の都合について貴方に話すつもりはないわ。でも強いて言うなら…そうね、運かしら?巡り合わせが悪かったのよ、貴方」
だが続けざまに放たれた彼女の言葉が一瞬で俺の頭に現実を理解させた。
その言葉は金属製のハンマーのように硬く重く、俺の脳内が大きく揺れるくらいの勢いで頭を殴りつけた。そして…その衝撃は、激痛の如く一瞬の間を置いて俺の全身を瞬時に駆け巡った。
「納得出来ないって顔ねぇ」
「当たり前だ…!」
余りに理不尽な現実を目の前に、腹の底から沸々と湧き上がる怒り。
本来であれば、得体の知れない人物の前で見せるべきではない負の感情。
だが、今日ここに至るまでに限界を超える程の恐怖と絶望を味わった俺に合理的な判断など出来る訳がなかった。
既に半ば自暴自棄になっていた俺は、腹の底から湧き上がる負の感情を全く隠すことなく、唯一自由である両目に宿していた。
「そうよねぇ~そういう反応になるわよねぇ~でもね」
そんな俺を見て女は笑った。
「そんなこと私達には関係ないの。貴方が納得出来なかろうが、貴方が怒りに打ち震えようが、貴方に拒否権なんて初めからないのだから」
満月の様に美しく慎ましかった口元を三日月の如く鋭利に吊り上げ、本物のルビー宛らの綺麗な真紅の目を妖しく細めて笑った。
「まぁそれでも私達に反抗するなら―――貴方の大切なモノが二つ、この世から消えて無くなることになるわよ?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の背筋は凍りついた。
大切なモノが二つ消えて無くなる…その言葉を聞いて俺の脳裏に浮かんだのは、今俺の隣で止められた時間の中に閉じ込められている―――親父と母さん。二人の姿だったからだ。
「…じゃあ…なんで」
「ん?」
「…なんで、わざわざ俺の記憶を消したんですか…?」




