5
「きゃっ・・・」
何とか悲鳴を押し殺すだけで精一杯だ。
ギリギリ理性を保ちながら、カレン達は空を歩いた。
どのくらい浮かんだことだろう。
下は見ない、下は見ないと自分に言い聞かせながら、足を動かす。
その時、瞼から、下の景色が目に入ってしまった気がして目をつぶる。
が、なんとなくそれが目的のものだった気がして恐る恐る瞼を開く。
周りには、昨日眩しいほどに輝いていた屋台の姿は無かったが、確かにあの曲がり角だ。
「あそこ!」
そのまま降下を始めたので、カレンは再度瞼を固く閉じた。
足が地面につくと、冷たくてそれでいてふんわりした感触が感じられた。
雪が積もっている。
驚いて目を開けると、地面の白に反射した早朝の光がカレンの目を刺した。
降りてついた、二人の足跡以外に銀世界を邪魔するものはいない。
まるであの、牙が連なる場所の雪が拡大してしまったかのようだ。
「カレン?」
声を掛けられ我に返る。
歩く度、果ての無い、無の世界を意味もなく進んでいくようで、少し怖かった。
道の行き止まり、つまり目的地に着くと、彼がここでいいんだよねと再度確認した。
だが、カレンは彼にう答える前に、目の前の景色に絶句していた。
そこはただの空き地だった。
確かに、雪が少し降ったせいで似ていると言えなくも無い。
しかし圧倒的に、神秘さと、異なるものを感じさせる何かが足りない。
「間違えた?」
彼の問いに首を横に振って答えた。
この場所なのに、何故違うの?
その疑問に、カレンの記憶のどこかが答えた。
あの連なる、削られた牙。
しんしんと絶え間なく降り積もる銀の雪。
・・・そしてルヴィー神。
彼がルヴィー神ではないと分かった時から、この場所も何かの偶然でそう見えたのだと思っていたのに。
「私もあんまり本気で信じてるわけじゃないんだけど・・・ここにルヴィー神を封じ込めた魔方陣が、昨日はあったみたい。おかげで最初は、あなたがルヴィー神だと思ったくらい」
「僕が・・・ルヴィー神?」
ぽかんと言う彼へ、恥ずかしさのために渋々うなずいた。
すると彼は、吹き出して笑い始めた。
「僕がルヴィー神だったら、苦労しないで剣を奪い返せただろうにな・・・くっ」
まだ笑いが収まらないらしい彼はほっておいて、今は空き地となってしまったこの場所に一歩踏み出した。
彼が笑いを止め、カレンの腕を掴む。
「おい、もしそれが本当だとしたらむやみに近づかないほうがいい。何が起こるか分からないから」
先程とは打って変わって真剣な彼に、大丈夫と笑いかける。
「平気だよ、昨日の面影なんてぜんぜん残ってないもの」
そういう問題じゃないと思うんだけど、と言いたそうな彼の手をほどく。
そうして進むカレンを呆れたように背後でため息がした。
しばしの沈黙ののち、彼がその静寂を破った。
「君の大事な石のことなんだけどさ・・・やっぱり思い出せない。でも僕のせいだとは思う。本当にごめん」
それから、彼はうつむいた。
思い出せないことを後悔しているのだと思ったが、そうではないらしい。
彼はどこか緊張した面持ちでいた。
「でもね、本当はなんとなく分かってるんだ。・・・」
カレンはうつむいたままの彼を見つめる。
「どういうことなの?」
彼の緊張した表情がはっきりしたものへとなった。
「ちょっと、僕の身の上話にもなっちゃうんだけどさ・・・君の石を僕が食べちゃったのは」
彼が顔を上げ、まっすぐにこちらを向く。
「僕が呪われているせいなんだ」
カレンはぎょっとして、目を見開く。
呪いにかかった人を頻繁に見たことがあるわけではない。
だが、呪いのせいで見た目が変わるものも多いという。
『呪い』というのはひどい場合は死よりも辛いものもあるというのにヴァリエは平気なのだろうか。
「僕はある人に呪いをかけられてから、魔力を抑える・・・とりすぎれば魔力そのものを無くしてしまうその石を無意識に求め始めた。呪いのせいなんだろう」
魔力とはそのまま『生』のエネルギーだ。無くせばどうなるかなんて誰でも分かる。
カレンは恐ろしい事実に身を震わせた。
「神光石を無意識に求める。それが僕の命を終わらせる呪い。僕の魔力を全て無くし、死へと導く呪い・・・呪いの獣と共に」
呪いの獣って?
そう聞くことを彼が暗い表情の中で拒んでいた。
比喩の何かなのかもしれないと思い、カレンは言葉を飲み込んだ。
彼の意に背いてまで聞くことでも無い。
「ごめん・・・こんなこと言ったら怒れないよね」
「ううん」
カレンは張り裂けそうな心情を押さえ込み、首を横に振る。
「怒るわけないよ!怒るなら、その呪いをかけた人に怒るよ。死の呪いなんて・・・」
彼が微笑みを浮かべた。
「そんなに深刻に考えなくていいんだ。希少な神光石を魔力が無くなるほど集められるかは分からないし」
「そう…なの?」
「ただ…あの魔女は何故そんな不確実な呪いをかけたのかは分からないけど」
「ごめん…なんて?」
ヴァリエが小声で何か言ったようだが、あまりはっきり聞こえなかった。
「なんでもない。それに、この剣が僕の心の支えになってるからね」
彼はクラリベから取り返したという、腰の剣を見つめた。
『銀龍の牙』だと、彼は言った。
カレンはその名が、さやに鱗のような模様が刻まれ、はめ込まれた透明な石が竜の目のように輝いているその剣にはぴったりだと思った。
「その剣、なんだかすごいね」
彼に、そのままの感想を言うと、彼の笑みが輝いた。
「そうだろ?親父が作ったんだよ。魔力を増大する能力があるんだ」
どこか無邪気な子供のような表情で剣を見つめる彼は、カレンの見た中で一番幸せそうに見えた。
「お父さんは鍛冶職人だったの?」
「ああ、世界一偉大で、尊敬に値する人だ」
大げさな言い方におかしくなったけど、そんなに自分の親を思う彼はすごいと思う。
そんな彼が、親からもらった剣を大事にすることは当然のことだ。
そうか、とカレンは思った。
カレンにとっての神光石と、彼にとっての銀龍の牙は同じものなのだ。
大切な人にもらった、大切なものだから。
だから、カレンから神光石を奪ってしまった自分が許せないのだろう。
命が縮まる方が辛いはずなのに。
申し訳なさそうに、けれどどうすることもできずにカレンの石を奪ってしまった悔しさを胸に抱いた彼の顔が思い浮かんだ。
「カレンのお母さんがカレンに神光石をあげたのは、カレンの魔力を安定させるためなんだろうね」
絶妙なタイミングで彼が言うので、変な冷や汗をかいた気がする。
驚きを抑えて言う。
「どうして、そう思うの?」
カレンにはそう言われる意味が分からなかった。
ただ、母が祈りを込めた石をを娘の幸せの為にくれた。
それだけでは無かったのか。
確かにカレンは、昔から魔力を操るのが苦手で、いつも失敗ばかりしていた。
それが、魔法が嫌いになってしまった原因でもあるけど・・・。
「君、何も知らないの?」
彼は驚いたように、目を見開いて言った。
「自分で気づけず、教えてもらえなかったんだね。まあ、それは君の為でもあったんだろうけど」
「どういう・・・こと?」
カレンが震える声でそう聞いた。
彼は、何か恐ろしい事実を思っている気がした。
「僕は君を傷つけまいとしていた、君の家族の努力を裏切ることになるのかもしれないけれど・・・」
彼は躊躇っているようだった。
「君、魔力がとても強いんだよ。たぶん生まれつきなのかも」