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「今日は神様の為のお祭りなんだっけ」
しかし、道を行き来する人々は神様の為というよりは自分達の為に楽しんでいるように思える。
理由はどうであれ、お祭りは楽しいものだ。夢中になる気持ちは分からないでもない。
だけど、半ば忘れられたような神様が可哀想に思える。
「ルヴィー神は祝われないんだっけ。でもルヴィー神はお姫様と再会出来・・・あれ?」
この言い伝えが本当ならば、ルヴィー神はお姫様と再会しなければならない。
だが、その言い伝えでもあるように「遠い昔のこと」なのだ。
それならば、もう姫は・・・。
「生きてはいない?」
では、ルヴィー神はお姫様の霊と再会しているのか。
昔のことだから、神に寿命があるのならもしかして、ルヴィー神も死んでいるのかもしれないけど。
ザクッ。
その時背後で足音がした。心臓の鼓動がいつもよりも速くなる。
少し変わった足音のようだ、普通の地面ではこうは鳴らない。
今日は雪なんて降っていなかったはずなのに。
カレンは神話の一部を思いだした。
ルヴィー神を大地の奥底に縛りつけた魔方陣は純白の雪が白く染め上げ、削られた巨大な獣の歯がぐるりと円を描いて鎮座していると。
削られた巨大な獣の歯。
今、カレンが座っているこの石は並んでいなかっただろうか?
ごくり、と唾液を飲み込む。が、口の中がひどく乾いていて意味がなかった。
後ろのその人は・・・。
いや、まさかと首を横に振る。
もし、違うならこんな風にしていても意味はないはずだ。
勇気を振り絞って、後ろを向く。早くこの時間から開放されることを願って。
だが、そこに神はいた。
目が合った瞬間、頭の中が真っ白になった。
そこに立つのは青年だった。
見事な銀色の髪を持つその人はすごく綺麗で、カレンは初めて自分の石と同じくらい神々しいな存在を見た。
雪の景色の中で溶けてしまいそうな白さの青年に唯一色があると言えるもの。
それは目だ。
青緑色のその目はけして濃い色ではないのに、そこにある神秘さが引きつけてやまない力を持っている。
彼は、それこそ額縁から抜け出てきたような美しさだった。
美しいのに、いや、神秘的な美しさを持つが故か。
彼には表情がなかった。
それがますます人間味を感じさせない。
再度、くぐもった音が無機質な空間に響き、カレンは我に返る。
彼のその青緑色の瞳は間違いなくこちらへ向けられ、しだいに瞳は近づいてきていた。
彼の耳のイヤリングが心地よい澄んだ音を立てる。
カレンは、かろうじてほんの少し後ずさり出来たものの、それ以上は動くことが出来なかった。
カレン努力も虚しく、彼はとうとう目の前へやって来てしまった。
威圧感が凄まじい。
彼はカレンを見ている。それは分かる。
だが、上を見ようにも体が固まってしまっていた。
もう、何やってるの。上を見なさいよ。
そう自分に言い聞かせ、軋んだような音のする首をぎこちなく彼へと向けた。
カレンを青緑色の瞳が見下ろしている。
吸い込まれそうな感覚。しかし、緊張が先程よりも軽い。
それは彼がカレンを直視していないからだ。
代わりに彼は視線をやや下へ向いていた。
そこにはカレンの大切なあの石のネックレスがあった。
白い手がそれを目指してゆっくりと伸び、包み込む。
だが、カレンは抵抗できるほど状況が理解できていなかった。
恐ろしいほどの美しさをもったその顔がその石へと口づけ・・・。
緊張が包み込む、刹那とも永遠とも思える時間が過ぎ去った。
そう思えたのは、その恐ろしく美しい顔が離れていったからだ。
緊張が弱まり、ほっと息をついたカレンの目に映ったのは・・・。
白い手がカレンにはすぐに受け入れられない現実を残酷にさらしていた。
白と銀の色彩。
場合によっては美しいものだったが、そこにはあるものが欠落していた。
「私の・・・石は・・・?」
銀のパーツにはめ込まれているはずの、光そのものと言えるあの石は、初めから存在しなかったかのようにそこから消えていた。
「まてーっ!貴様!」
急に、その場には不釣合いなその声が白い空間の緊張を切り裂くように飛び込んだ。
その声の持ち主は、声と同じように飛び込むように現れた。
どこかの警備兵か何からしい。
ぼんやりとそちらを向くと、警備兵は彼を睨んでいた。
どうやら「貴様」というのはこのルヴィー神?のことらしい。
彼の方に視線を戻す。
だが彼は、先程とは人が変わったかのように動揺という感情がそこにあって、
「ここ、どこ?」
と驚くほど人間くさくつぶやいた。
カレンは驚いて目をみはる。
が、そんな様子を無視するかのように警備兵は叫んだ。
「おい!『銀龍の牙』を返すんだ!」
叫ばれた彼が、思い出したように下を向く。
そこには、繊細な銀の鱗のような鞘に入った剣が、彼の腰にあった。
「ああ、僕・・・取り返すのに成功したんだっけ」
突然、彼がこちらをふり向いた。
びくりとカレンのまぶたが震える。
自分で振り向いたというのに、彼は驚いて目を見開いた。
そしてカレンの首の鎖を掴む、自分の右手に気がつくとごめん、と火傷したように離した。
「その娘はお前の仲間か?」
ギロリと警備兵がカレンを睨む。
ちがいます、と心の中で必死に否定する。
「なんかよく分からないけど巻き込んじゃった?」
彼はふいに、カレンの手を握った。
その繋いだ手を、そのまま上にあげると彼は言った。
「飛ぶけど、いい?」
飛ぶって・・・え・・・?
魔法を使うようだ、と気がつくと、カレンの体はとたんに緊張に包まれる。
これはやばいと、慌てて声を出す。
「ちょ、ちょっとまっ」
が、その言葉は感じていた緊張すらも凌駕する、ぞっとする浮遊感に打ち消された。
「いやあーーっ!!」
それまでぼんやりとしていた現実感が、解き放たれた悲鳴によって鮮明すぎるほど、鮮明になった。
先程までカレン達がいた場所に警備兵の応援が到着したようだ。
同じ格好をした者達が集まってきた。
だが、そんな光景すらも今のカレンにとっては毒に等しい。
ぎゅっと目をつぶって耐えると、彼のほうを向く。
「何がどうなってるのよ、説明しなさい!」
あははは、と遠慮なく彼は笑う。
近くであるために、その笑い声は耳に刺さるようで堪える。
「何がおかしいの」
聞いてることを答えなさいよと念を込めて、彼を睨みつけた。
「ごめん、ごめん。ちょっと楽しくて」
状況にそぐわぬことをさらりと言う彼に目を見張る。
楽しくて?一体どこにそんな要素があるのだろうか。
眉根を寄せて彼に言う。
「私が聞きたいのは」
彼はカレンを手をあげて制した。
「分かってるって。『何がどうなってるか』・・・だろ?」
彼はカレンを制していた手を、ある路地へと向けた。
「まずは、あそこに隠れよう。君もあいつらに捕まるのは嫌だろう?」
しぶしぶといった様子で、カレンは頷いた。
ふわりと地面に着地すると、彼は繋いだ手を引いて、カレンを壁際に寄せた。
直後、たくさんの足音が通りすぎていった。
足音が全て通り過ぎたのを確認すると、大きく息を吐き出した。
「もういいでしょ?教えて、なんで追われてるの」
彼は肩をすくめて見せた。
「僕がこの剣を取り返したら、あいつらが追いかけてきたんだ」
じーっとカレンは怪しいものを見る目つきで、彼を見つめた。
すると、彼は狼狽して言った。
「本当だって。クラルベっていうやつに、僕の『銀龍の牙』を取られたんだから」
クラルベ。
その単語にカレンの頭は真っ白になる。
クラルベ・ド・イステワード。
その名はこのあたりの領主のことを指す。
そして、同時に『残酷伯爵』の異名を持つ大貴族のことである。
「あ、あなたって馬鹿」
「ん、なんか言った?」
「・・・何も」
やっぱり、この人は神様じゃないわね。
神様に見えたのは偶然が重なっただけ・・・。
「そういえば君、名前なんていうの?」
「・・・カレン・ルチュワード」
答えた後にはっとした。
もし彼が嘘をついているなら、領主の、しかもあのクラルベのところから盗みを働いてきたことになる。
そんな人物に名前を簡単に教えてしまって大丈夫だっただろうか。
そんなカレンの心情を知ってか知らずか、彼は微笑んで言った。
「そうか、じゃあカレン。僕はヴァリエ。よろしくね」
「よろしくできないかも…貴方が嘘をついていなくても、そうでなくても領主様に追われてる人だし」
「まぁ、そうだよね…信じろって方が無理か。巻き込んでごめんね」
じゃあ、と背中を向けるヴァリエ。
歩きだした彼が路地裏から、人混みに紛れようと、祭りの喧騒の中へ向かおうとした。
これから彼はどうするのだろう、なんとか逃げ切れるだろうか。
幸い今日は祭りだし、上手く逃げられるだろうか…
でもひょっとしたら捕まってしまうかもしれない。
「まって」
そこまで考えた時点で、カレンの手は勝手にヴァリエのシャツを掴んでいた。
ヴァリエの顔を見ると、目を丸くしてこちらをみている。
そりゃそうだよね、私も自分で何をしてるか分からないんだから。
「わた、し…のいえで! 隠れたりしてもいいんじゃない?」
誤魔化すように言った一言に、自分でショックをうける。
見つかったらどうするの。
「助けて…くれるの?」
「え、ええ…」
ここまできたらヤケだ。いざとなったら脅されたでもなんでもい言えばいいのだ。
「ありがとう、じゃあ有り難く助けて貰らおうかな。旅の途中で疲れていたところだし」
夜なのに、太陽みたいに笑うヴァリエの顔を見たら、今度こそ何も言えなくなった。