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呪いの獣。
いつか、ヴァリエは言っていた言葉をカレンは思い出した。
その獣は、白と銀の色彩で、
昔絵本で見た竜に似ていたが、鱗ではなく、白く輝く毛に覆われていることが、決定的に違っていた。
翼がある所は、鳥にも似ていたが嘴がなく、猫のようなしなやかさもあった。
鋭い鉤爪と背の棘は、やや透けていて銀色の氷のようだ。
今まで見たどんな生き物よりも、恐ろしく、美しかった。
「ヴァリエ…?」
唯一ヴァリエの特徴を残す青緑色の目はカレンを映したが、虚ろだ。
涙が瞬きで消えるように、はじいて落ちた。
「ルヴィー」
セレナが、白の獣に触れる。
「やっと会えたわね。貴方に会うまでに500年はかかったわ」
白の獣はセレナに視線をやる。
「さぁ、行きましょう」
その言葉に、白の獣は翼を広げる。
ヴァリエが行ってしまう!
そう思った時、感じたのは強烈な感情だった。
胸が引き裂かれるんじゃないかと思う。
ヴァリエの長い睫毛に雪が触れた瞬間の美しさ。
肩が触れ合った時のほのかなぬくもり。
名前を呼ばれて振り返った時の少し得意げな笑顔。
カレンを守ってくれて、いつの間にか一緒にいることが当たり前になっていた。
一緒にいる内に、今度は私が力になりたいと思うようになった。
そうか…初めて会ったあの時から…私は。
「ヴァリエ!! 私は、貴方の事が好きなの!」
「…だから、行かないで」
白の獣は…ヴァリエは、その時カレンを青緑色の瞳で振り返った。
その見開かれた瞳をみて、カレンは涙が溢れてしまった。
だって、いつものヴァリエの輝きだったから。
「セレナ…僕は君とは行けない」
「何を言って…」
あんなに恐ろしく感じていた雪の魔女が、ひどく小さく感じた。
「僕は、君が好きだったルヴィー神ではないんだ。例え、魂が同じでもね」
「同じだわ、私にとっては」
「違うんだ、セレナにも気づいて欲しかった。」
ヴァリエの声は、酷く悲しそうに感じた。
「でもね、セレナ。例え、呪われたとしても。僕は、セレナと、師匠と弟子として過ごした時間は今でも大切だよ」
その時間は、カレンには決して叶わない。
少し、ちくりと胸が痛くなった。
「…お前の」
セレナは、凍てつくような声を絞り出す。
「お前の、父親を殺したのは、私よ」
その声にぴくり、と白銀の翼が動く。
「お前を手に入れるのに、邪魔だったから。本当は気づいていたのでしょう?」
ヴァリエが大切にそうに語っていた父との思い出の話をカレンも聞いた。
まさか、そんな。
「恨めばいいわ、私を!」
セレナが叫ぶ。
その口元は、歪んだ笑みを浮かべていた。
愛は憎悪に。
そうして、また私に囚われるといいと言うように。
今のヴァリエは白銀の獣。
セレナをもし殺そうと思えば、その牙で爪で、叶ってしまう。
「ヴァリエ、殺さないで!」
「カレン」
ヴァリエは青緑色の瞳を細めた。
そんな意思は感じられず、カレンはホッとした。
「…確かにどこかで気づいていたのかもしれない。信じたくなかったからかも、だけど。どっちにしろ…セレナの事は恨めなかった」
セレナの表情は見えない。
僅かに乾いた唇が見えるのみ。
「カレン、乗って」
ヴァリエが乗りやすいように、背中を見せる。
ルオルを抱き、その背に乗ると、ふわふわとした暖かさが伝わる。
鱗じゃないのだ。
「あったかい…」
少し安心すると、緊張で身体が強ばって痛いくらいだったことを自覚した。
「ここもきっと戦場に変わるかもしれない。その前に、行こう」
「分かった…」
ミカ達は大丈夫だろうか。
何もできないことが歯がゆい。
ヴァリエが羽ばたくと、みるみる地面が遠ざかっていく。
残された小さな雪の魔女も。
空は暁がさしていた。
その眼下には、沢山の兵士とゲリラ軍の姿。
その中にあの、ピンクの髪の少女の姿もいた。
*
赤い鎧をさらに血で赤く染めながら、ミカは前に進む。
相手はクラルベの率いる魔法軍。
一筋縄ではいかないが、こちらだって一人一人の魔力量は負けてない。
総魔力量で言えばこちらが勝っているかもしれない。
ただ、数はあちらの方が勝っている。
ミカは唇を噛む。
剣を翻す度、呻き声が聞こえる。
「兄様…」
ミカはずっとアカツキの、あの赤い鎧の背中を追ってきた。
ずっと兄様と、みんなと一緒に居られると思っていた。
どんな敵も一振の魔法波でなぎ倒し、最強の姿はまさに戦神ヨカそのものだった。
ミカ、と呼ぶ力強い声。
兄の名前の由来になった、暁色の髪からのぞく優しい微笑みが好きだった。
それなのに…。
「ミカ、ではありませんか」
「フィル!!」
あの片眼鏡の男は兄様を殺した。
ミカを庇った赤い背中に、魔法波で残酷な穴があけられ、立ち尽くすしかなかったあの日とは違う。
「美しい…暁の女神のようですね」
暁の後光を背負うミカの姿に、フィルは目を細める。
「お前は!!」
赤色の魔力を込めると、まるで剣が燃えているかのよう。
その刃の一振をフィルに向けて放つ。
辺りは燃え上がったように赤い。
だが、砂埃が収まると魔法陣が見える。
ミカは舌打ちをして剣に次の魔力を込める。
「アカツキの技、ですか。兄の力を継いだと」
赤い魔力を突き破り、黄色の魔力を帯びた槍がミカの鎧をを掠める。
金属の擦れる嫌な音が遠ざかる。
「ミカさん!!」
リーキの声が聞こえたと思うと、フィルに向けて鈍い赤色の鎖が巻き付く。
「よくやったわ!リーキ!」
「アカツキさんに地獄で詫びろ!! 」
ミカの赤い剣の一振は、フィルを切り裂いた!
「モリス、ごめん」
フィルの事をまだ想っているのは分かる。
だけど、これだけは譲れない。
兄様を殺したこの男だけは。
「油断、しましたね」
フィルの声がしたほうに振り向くと赤い鎖はちぎれ、ミカの一振は彼の片腕を葬っていた。
最後の一振に再度力を込める。
「ミカさん!」
それなのに、何故かリーキがミカを抱え横に飛ぶ。
次の瞬間、爆発がおこりミカ達がいた所はえぐれていた。
「リーキ、大丈夫なの!」
「俺は平気です!掠っただけで」
そう言うリーキのこめかみには血が滲んでいる。
「フィル!!」
フィルが残された腕を上げると、黄色の魔力が燃え盛りこちらに向けて放たれた!
*
「ミカ!」
思わずカレンは叫んだ。
「せっかくだから、今の姿でしかできないこと、試してみる?」
「何を…?」
ヴァリエは悪戯に、目を細めた。
「しっかり捕まってて!」
「きゃぁああああ!」
窓から飛び降りた時とデジャヴ、を感じなくもない。
ヴァリエが一層羽ばたくと、カレンの腕輪が熱く光る。
翼が黄緑色の光を纏うと、光の風は兵士達に向かっていく!
兵士達は突然の光の風に、叫んだ!
「殺しちゃったの!?」
「まさか、僕はあんまり殺しはやりたくない。力を奪ったんだ」
よく見ると、兵士達は黄緑色の光に纏わりつかれ、眠ってしまうもの、動けない者などなど。
その中には、ミカと戦っていたフィルの姿も。
「やっぱり、貴方達は空恐ろしい」
フィルはそう言うと、兵士達と自身に黄緑の魔法陣で包み込んだ。
「まずい、逃げられるわ!」
ミカが赤い魔力の炎を向かわせるも、すでに彼らの姿は無かった。
『また戦いましょう、ミカ』
声だけが響いて消えた。
「次は絶対に仕留めるわ」
「ミカさん、でもこれって…」
「勝ったのよね! ミカ、大丈夫!?」
その時、赤い鎧を纏ったミカは、少し傷はあるものの無事なようだ。
「大丈夫! 来てくれてありがとうカレン。本当に勝った、のね。これで…民を救える。こちらの条件を認めさせる為に向かわなくては」
それを聞いて、故郷のリシェールの光景が掠める。
「ミカ…クラルベの領地…リシェールには」
「リシェールがどうかしたの?」
「リシェールは私の故郷なの」
ミカはそれを聞くと微笑む。
「故郷の事を心配しているのね、大丈夫。元々私達の目的はミリアスの民に対する条約だけで、領地じゃないから」
それを聞いて、カレンはほっ、と息をつく。
リシェールのみんなは大丈夫だ。
「せっかく兵士たちを生かして置いたんだから、程々にしておいてやれよー」
空気を読まないヴァリエの気の抜けた声に、ミカはますます驚く。
「その声、まさかヴァリエ!? 貴方って一体何者?」
「僕は僕さ」
姿が変わっても、ほんとにいつも通りでなんだかおかしい。
カレンも、ミカに手を振り返す。
「もう行くんだね」
「うん…行かなきゃ」
カレンは頷く。
「生きて会いましょう」
「うん、ミカも絶対に死なないで」
その言葉にミカは、微笑んで剣を天に向かって突き上げる。
その笑みは年相応のものだった。
暁の光に包まれた彼女は、まさに戦神ヨカと共に戦ったという、勝利を司る暁の女神のようだった。
その姿も羽ばたく事に遠ざかっていく。
「ヴァリエ…ありがとう」
「…何が?」
ミカ達を助けてくれたことも、戻ってきてくれたことも。
全部。
カレンは胸がいっぱいになって、力が抜けてしまって眠るルオルを
抱きながら白銀の中に埋もれた。
「寝ちゃったの…?落っこちないといいけど」
ヴァリエは静かにため息を着く。
「お礼を言わないといけないのは僕の方なんだけどね」
カレンの声が届いたから、今こうして一緒にいられる。
「カレン…僕を好きになってくれて、ありがとう」
もちろん、眠るカレンには聞こえ無いのだけれど。
「僕も君を…」
いや、今はやめて置こう。
こういうのは、起きてから伝えなくちゃ。
カレンに伝えたら、どんな反応をするだろうか。
また赤くなって、慌てふためくだろうか?
想像すると、少し嬉しくなる。
少し意地が悪いのは自覚している。
白銀の羽ばたきは風に乗って、晴れた海の上を、前へ前へと進んだ。




