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「あれはなんだろう・・・」
「戦神ヨカよ。血塗られた戦いにより、ミリアスを創りし神」
答えたのはヴァリエでもルオルでもない。
戦神ヨカの像に座る、少女だった。
少女は髪も肌も、どこまでも白く透き通っていた。
銀の瞳は、神光石が冬の雪景色に反射したように美しく冷たい光だった。
彼女が雪で作られた彫刻作品だと言われても信じられるほどに、美しく、そして生きているようには見えなかった。
「セレナ・・・お前がどうしてここに」
ヴァリエが少女を見たことがない険しい表情で睨み、銀龍の牙に手をかけた。
「あら、なんとなくは分かっていたでしょう? 場所がバレたら面白くないから、少し隠れてはいたけど」
彼女がヴァリエに死に至る呪いをかけた、雪の魔女か。
「私のユマニの地は綺麗だったでしょう?真っ白で静寂で」
雪の都市ユマニ。
三本の銀の柱の前で、ロウンドが語ったことを思いだす。
ユマニを滅ぼさないため永遠に眠りについた『無』の神セレナのことを。
同じ名前の雪の魔女は微笑んだ。
優しい表情なはずなのに、何故か冷たさを感じる笑みだ。
「あいにく、お前のせいであの場所は好きじゃないんだ」
「それは残念・・・でも『思い出せば』大丈夫」
セレナは像から降りる。
セレナが一歩進む度、地面が凍り白くなるのは気の所為ではないようだ。
漂う冷気が、何故かとても恐ろしい。
まるで死の塊かのようだ。
「戦神ヨカは、この地に住んでいた魔物達を赤い炎で焼き付くし、槍で胸をつき殺した。この地は静寂になり、ヨカはこのミリアスを人間へ与えた・・・なんておまえ達は伝えているようだけど」
セレナは歩みを止める。
「魔物を殺し、また『魔物』が住み着いただけのこと。ヨカはただ魔物殺しをしただけ」
「魔物・・・? 」
思わず声が出てしまったカレンにセレナは目を細めて言う。
「お前達は魔物なのだ」
「・・・私達は人間よ!」
「魔力を手にしながら何を言っている。魔力を持つ生き物を魔物というのだ。『人間』など魔物の一つにすぎない」
カレンは愕然とした。
魔物なんておとぎ話で出てくる架空の存在ではなかったのだろうか。
龍だとか珍しい生き物は山脈に住んでいるだとかは、聞いたことがあるけど。
「貴方だって魔女じゃない」
「お前達がそう呼んでいるだけ。私は卑しい魔物ではない。私は『無』の神セレナ。ユマニで生まれし神である」
「お前は・・・人間じゃなかったのか」
神。
そんな存在がまだ生きているだなんて。
だけど、彼女のこの異質感。
美しい、死の気配がする無機物が人の形をとったような彼女は確かに生き物とは思えなかった。
「貴方はユマニで永遠の眠りについたのではないの・・・?」
「私は眠りにつく必要が無くなったのだ」
彼女が目覚めて、ユマニが無事にあるということは本当なのだろう。
「・・・お前は僕に魔法を教えたじゃないか。あれはなんだったんだ」
「私は魔物ではないから魔法は使えないが、魔法の理を知っているだけだよ、ヴァリエ。貴方の魂を目覚めさせるまでの仮の力が必要でしょう?」
セレナから漂っていた冷気のようなものが空間を急激に覆う。
像は凍てつき、白い霧で向こう側が見えなくなる。
それではセレナの使うこの力は何なのか。
セレナの後ろに突如、銀色の柱が出現した。巨大な神光石の結晶体だった。
「なんのつもりだ・・・」
「ヴァリエ、貴方を目覚めさせる。神光石に触れ、本来の姿に戻るのよ。魔物の殻は捨てなさい」
「何を言っている・・・お前は僕を殺す呪いをかけたのではないのか」
「魔物が神光石と混ざり合えば魔力が消えて死ぬでしょうね。だけど貴方もまた本来、魔物ではない。死と生を経た、その魂はルヴィー神のもの」
「僕が・・・ルヴィー神だった・・・?」
ヴァリエの銀龍の牙を掴む手の力が少しだけ緩まる。
カレンの故郷、リシェールで伝わる、ルヴィー神。
それがヴァリエの前世だったのか。
「それが真実。そして私の隣に居るべき魂」
セレナが手をヴァリエへ向けると、ヴァリエを冷気が包む。
ヴァリエの銀龍の牙を掴む力が完全に抜け、瞳は虚ろにセレナを見つめた。
ヴァリエは自ら神光石の結晶体へ歩みだした。
あんなに巨大な神光石に触れたりしたら、ヴァリエは・・・。
「ヴァリエ! しっかりして!」
カレンはヴァリエの手を掴んで引き戻す。
その瞬間、セレナの冷気とカレンの内に流れる魔力がぶつかり、カレンは小さく悲鳴をあげた。
セレナが神だというならば、神力とでもいうべきか。
魔力と神力は相反する力のようだ。
「邪魔をするな、魔物」
セレナがカレンに冷気のような神力を放つ。
「危ない、カレン!!」
ルオルが飛び出しセレナの神力をまともにくらってしまう。
「ルオル!!」
カレンはルオルを抱き上げた。
気を失っているようだが息はあるようだ。
その隙にセレナが再び神力でヴァリエを包むと、ヴァリエは神光石の方へ再び歩みだしてしまう。
「ヴァリエ!!」
カレンは叫んだが、ヴァリエは答えない。
ヴァリエは神光石に触れ、神光石は淡く光はじめた。
「さあその魔物の殻を捨てて、本来の姿を取り戻して」
このままヴァリエは人ではなくなってしまうのか。
(やだよ…)
カレンはリシェールで出会った時の太陽の様な笑顔を思い出す。
ヴァリエは、不安定な魔力でいつ大切な人を危険に晒してしまうかもしれないカレンを連れ出してくれた。
たとえそれがヴァリエが神光石を食べてしまったせいだとしても、確かに救われた。
それなのに。
(なにか、なにか止める方法はないの)
そうだ、カレンとヴァリエの魔力は循環している。カレンの膨大な魔力を普段以上にヴァリエに渡せば。
そう思うと、銀の腕輪が黄緑色に淡く光り熱を帯びる。
しかし、セレナは無常に微笑む。
「無駄よ」
セレナの手が空を切ると、カレンの力が抜け、腕輪も光るのをやめて冷たくなる。
そのまま、カレンは冷たい地面に吸い込まれるように立てなくなった。
神光石の銀の光に照らされて、ヴァリエの生気のない瞳が虚ろに反射している。
そんなヴァリエを見ると、動けない体に、さらに心臓に刃が突き立てられたようになる。
「なにも…できないの?」
こっちをみて、いつものように、少しイタズラっぽく笑って欲しいのに。
本当は、その手に触れたいのに。
心臓に突き立てられた刃の痛みが、涙となってカレンの頬を伝う。
「こっちを見てよ、ヴァリエ…」
絞り出すように声を出すが、ヴァリエに届くことはない。
冷たい地面に体が縛りつけられているようだ。
心臓はこんなに叫んでいるのに!
「なんで、何もできないの!」
体はやはり動かない。
カレンは下唇を噛んだ。血が滲む程に。
無力だ。
呪わしい程に。
体を引き裂きたい衝動に駆られる。
ヴァリエの触れる神光石は、氷が溶けるように消えた。
その瞬間。
ドクン。
鼓動が聞こえた。
「…ァァアアア゛ア゛ア゛ア゛!」
叫んでいるのが、ヴァリエだと遅れて認識した。
手で覆われた顔から唯一見える大きく開け放たれた口から、今まで虚ろなだったとは思えないほどの獣のような咆哮が放たれた。
ヴァリエの姿が歪む。
涙で歪んで見えているか、と思ったがそうではない。
その背が白い毛で覆われたかと思うと、あっという間に全身を覆い尽くす。
銀の髪は硬質に変わり、背まで伸び鋭く生えた。
足と顔を覆う手は鋭い鉤爪に変わる。
鉤爪の隙間から、ヴァリエの青緑色の瞳が僅かに覗いたかと思うと、瞳が獣のそれに変化した。
獣のそれは、涙を流していた。




