10
――ツメタイヨ、サムイヨ。
そう言っている気がするのは気のせいなのか。
ビルとビルの間におちる影。
その影の中に埋もれるようにしている何か。
・・・猫のようだ。
猫はほんの少し白い息を吐くだけでほとんど動いていない。
ひどく、小さく見えた。
「あの猫・・・」
その時、水音がしたと思うと冷たい何かがカレンの足に跳ねた。
「あーっ!もう」
思わず、泥水を跳ばした男性を睨んだが、彼はカレンなど見えないかのように流れに消えていった。
彼だけではない、白い中を歩き続けるのは。
ただひたすら機械のように、人々は流れを絶やすことはない。
頭が痛い。
ビルの間におちる黒と雪の白のみで世界が構成されているような錯覚。
白い人々は、ビルの間の小さな猫などには気づきはしないのだ。
慈悲も何もない白い世界が気持ち悪い。
そんな世界を振り払うように猫に手を伸ばす。
その体は細くて、雪の冷たさに負けてしまいそうだった。
「大丈夫?」
そう言って猫を抱き上げた。
闇の色を切り取ったようなその猫は少し青色の目を開けてカレンを見たが、またすぐに目を閉ざしてしまった。
今にも死んでしまうのではないか。
そんな不安がカレンを包む。
「だめだよ!」
早く、どこか。
この猫を助けられる場所は。
カレンは冷たい雪と戦いながら、黒猫の為に駆け出した。
*
ヴァリエはギルドでの用事を終え、ホテルへ向かった。
案外早く終わった。
「カレンはもうホテルに着いたころか」
少し前までは1人で行動することが普通だった。
だけど、リシェールの街でカレンと出会い、共に行動することになって。
今までに無い感覚だ。
誰かが待っていてくれる。
たったそれだけなのに、暖かい気持ちになる。
初めは神光石を奪ってしまった罪悪感からだったが、今は違う気がする。
柔らかい髪と、暖かな体温。
飴色の瞳が濡れ、涙がこぼれ落ちた。
涙を流すカレンに触れた時、思ったのだ。
守らないといけない、と。
ナンバー『00』。
彼女に与えられたナンバーは何を引き寄せるのだろう。
中に入ると、真っ先に食堂へ向かった。
が、辺りを見渡してもカレンの姿は無い。
「あれ?部屋かな」
まだ何かしているのかと、ヴァリエが部屋へ足を向けた時・・・。
予想外の登場の仕方で彼女は現れた。
*
冷たい。
雪も、人も、何もかもが。
しかし、カレンにとって一番気がかりなのは腕の中の猫だ。
お願い・・・助かりますように。
そんな祈りを心の支えに走り続けるカレンに、ようやくホテルが見えてくる。
ホテルの中に入ると、力の限り走ってきたカレンは荒い息のまま膝をついた。
すると、カレンに気づき始めた者達がざわざわとこちらを向いた。
メイドやスタッフが駆け寄ってくる。
「お客様、困ります!そんな猫を・・・」
その言葉で周りの視線に気がつく。
顔をしかめる者、くすくすと笑う者。
その中に猫の心配をする者などいなかった。
そう・・・ここにはそんな人しかいないのね!
「誰か、動物のお医者さんはいませんか?」
それでも、構わずにカレンは叫んだ。
だがそれに答えたのはくすくすと囁く声だけだった。
「やだ、あの子。あんなにコートを汚して・・・」
「それになんだ、あの死にかけの野良猫。汚らしい」
「あんな子に関わらないほうがいいわ」
その声はカレンにとって、羞恥よりも、怒りを彷彿とさせた。
なんなの、この人達。
弱った猫を助けようとすることがそんなにおかしいの!?
怒りを込めた眼差しで前を向くと、一際目を引く青緑の瞳がこちらを見つめていた。
食堂の出口から出てきたところのようだった。
「ヴァリエ・・・」
声をかける。
安堵して力が抜けそうだった。
「どこで見つけたの?そんな猫」
え・・・?
確かにそれはヴァリエの口から出た言葉なのだろうか?
信じられなかったが、ヴァリエのひそめられた眉を見て真実だと分かる。
なぜだろう、ヴァリエがくすくすと笑う人達と同じに見えてくる。
うそ・・・
カレンの口が声無くそう紡いだ。
彼がいなくなったら、何もできないんだと改めて気づいた。
それ以外にも心が引き絞られたような痛みがあることにカレンは気づいた。
よろよろとカレンは立ち上がる。
悲しくて、辛くて、どうにかなりそうだった。
世界から拒絶された痛みがする。
この小さな猫は私よりずっと前からこの痛みを知っていたに違いない。
いや、きっとそれ以上に痛いはずだ。
ここには今、頼れる人などいない。
じぶんで、さがさなきゃ・・・。
カレンはきびすを返して走った。




