721.毒
茶色の皮手袋をはめたフランコの大きな手で握ってもまだ余ってしまう大きさの兵器なのだが、その大きさもこの軍勢の前では足元に落ちている石ころレベルである。
それが地面に向かって叩き付けられた次の瞬間、見るからに毒々しい紫色の煙が軍勢に向かって降り掛かり始めた。
「ぶほっ、何だこりゃあ!?」
「ぐあ……あああああっ!?」
その煙に触れた人間や獣人が、次々に悶え苦しみながら地面に倒れ伏して行く。
それが例え、レウスの手によって張り巡らされている魔術防壁の範囲内に居る者でも例外は無かった。
「ぐっ、全員伏せろっ!! 煙を吸い込まない様に逃げるんだ!!」
その惨状を目の当たりにしたレウス、それからコルネールにアーシアにラニサヴはすぐに地面に伏せて煙を吸い込まない様にしながら、なるべくその煙の発生地点から逃れる様に避難を始める。
だが無情にも、頭上を飛んでいるワイバーンからは次の四角い物体が投げ込まれて来た。
「くっ……そ!!」
少しその煙を吸い込んでしまったレウスの視界がぐらつき始める。
こんなバカな。魔術防壁を張っているのにどうしてこの煙はブロック出来ないんだ? とレウスの頭の中に幾つもの疑問符が浮かび上がる。
しかし、今それを考えた所でどうしようも無さそうだ。
とにかく今は、この謎の強力な煙から逃げる方が先であると考えるレウスだったが、その一方でアーシアが風属性の強力な魔術である「ストーム」を繰り出した。
「なら……これでどうかしらっ!?」
この風属性の魔術なら、きっと煙だって吹き飛ばせる筈。
そう考えたアーシアだったが……。
「無駄だな」
その様子を上空のワイバーンの上から見ていたフランコが、落ち着いた様子で口元に笑みを浮かべながらそう呟いた。
彼のその一言が示す通り、ストームの魔術によって煙は多少晴れたものの、まだまだ充満するその煙によって次々とエレデラム公国軍が地面に倒れて行く。
この強力な毒を散布する為の固形兵器は、業務協力体制を結んだカシュラーゼのディルクとドミンゴたちの魔術師勢によって生み出された新開発兵器の一つである。
相手を殺すまでの威力こそ無いものの、武器を使わずとも手軽に相手の戦力を減らす事が可能になる優れものである。
加えて、先程アーシアが繰り出した風属性の魔術にも耐えられるだけの重さを持っている上に広範囲にまで広がる量をこのサイズの物体の中に有しているので、少ないコストで敵の戦力を大幅に減らせるのだとカシュラーゼのライマンドが大喜びしていた。
(まぁ、その分かなり値は張ったけど……へへっ、こいつは確かに良いもんを手に入れたぜ! そーれっと!!)
森の中に居る部隊に対しても、きちんとその固形兵器を投げ入れる事を忘れない。
この煙が晴れるまでにはおよそ五分の時間を有するので、それまでは自分も地上に降りる事は出来ないが、煙が晴れた後でゆっくりとお宝を回収すれば良い。
既にアイクアル王国内に居る自分の他の部下達にも連絡を入れてあるので、その連絡によって部下達がこちらに辿り着くのも時間の問題だろう。
(俺もあの煙を吸わない様にしなきゃな。まぁ、あの煙は重い部類の煙だから、こうやって高い所に居る方が安全だって説明も受けているし……ここなら安全だ)
そう……レウス達の様に地面に伏せている方が実は危険な、特殊なタイプの煙なのである。
煙は普通、横と上へ向かって広がって行くものなのだが、ディルクやドミンゴは重さを煙に加える事によってなるべく横に広がる様にしたのだ。
こうする事でレウス達の様に「地面に伏せれば煙をなるべく吸い込まずに何とかなる」と言う固定観念を逆に利用して、より多くの煙を吸わせる事が可能になる仕組みだ。
(この煙を吸ったら頭痛がして、めまいがして、それから身体にだるさが出て……酷い場合には呼吸困難に陥ってそのまま死んじまう事もありうるって聞いたけど、それはレアなケースらしいな)
即効性の煙なので、フランコは懐から取り出した黒い布で口と鼻を覆って万が一で煙を吸い込んでしまう確率を少しでも下げておく。
防御に越した事は無い、と心の中で呟くフランコは、自分が呼び寄せてある部下達の到着を後は待つだけだ……とそわそわしながらとどめの一個を軍勢の中に投げ入れておく。
「ぐぅ……っ!!」
そのとどめの一個によって、ついにレウスまでもがこの煙を吐き出す新開発兵器の前に倒れ伏してしまった。
相手が魔術も槍も弓も届かないワイバーンの上から攻撃して来ているので、こうなってしまえば完全にレウスには手も足も出ない。
彼のみならず、コルネールもアーシアもラニサヴもまた同じ様に煙によって地面に倒れ伏してしまっていた。
(いやー、こいつはすっげえや。今まで接近戦を挑んでいたのが馬鹿みたいだぜ!!)
アークトゥルスの生まれ変わりでさえも、この新開発兵器の前には無力な存在なのを知って、この兵器を高い金を出して買っただけの事はあったと感動しているフランコ。
しかし、彼はこの時すっかり失念していた。
アークトゥルスの生まれ変わりもまた、ここに自分達の仲間を呼び寄せているのだと……。