244.研究室の異変
「はい、これであの男との契約は終了っと……」
「えーっ!? あのおじさん、逃げたんですかあ?」
「そうなんだよ。見てよこれ。部下達に後を任せてそのまま逃げちゃったよ」
溜め息を吐きながら、地下牢獄中に設置されている監視カメラの映像を見てディルクがぼやく。
横から入って来て同じく監視カメラの映像に注目するヨハンナは、自分やヴェラルと同じ傭兵ながら逃げ出してしまったコラードを嘲笑う。
(まさか敵に尻尾を巻いて逃げ出すなんて……雇い主からの依頼達成は絶対だっていつも言っているのに、いざって時には逃げ出すのね。まさに二枚舌のコラード……)
何を考えているのかまでは読めないが、言っている事とやっている事がまるで違うのは二枚舌とは言わないんじゃないか……と自分で自分に突っ込みを入れるヨハンナ。
しかし同時にこんな考え方もあるんじゃないか? と思い直してみる。
(いや……同じ傭兵の自分よりも圧倒的に経験では上の筈なのに、この追い掛けている相手の方がこのおじさんよりも一枚も二枚も上手だったのかしら?)
自分が形勢不利だと知って逃げているのだとしたら一応理屈は通らないでも無いが、だからと言って自分の言っている事と違う行動を取るなら信頼が落ちるのは当たり前だよねー、と心の中で呟くヨハンナ。
それとも、このまま逃げると見せかけてこのおじさんにはまだ何か策があるのでは無いか?
それなら今の行動も理解出来るので、このまま監視カメラの映像に釘付けになっていても良いかなーと考えている彼女だったが、それは隣で一緒に映像を見ているディルクが許さなかった。
「ほらほら、君もこればっかり見ていないで実験の続きやってよ。まだ実験は結構時間が掛かるんだからさ」
「えーっ、このおじさんがどうなるか見ていたいのに……」
「分かったよ。それだったら僕がこっちの映像見ているから、君は実験の続き続き。しっかりと仕事はしてよね。国だって金は払っているんだからさ」
「分かりましたー」
そう言いながら作業に戻ろうとしたヨハンナだが、踵を返して歩き出した所でふと思い出した事があり、顔だけディルクの方を振り向いてこれを聞いてみた。
「そうそう、これだけ聞きたいんですけどねえ」
「何?」
「筆頭魔術師様は、そこに映っているおじさんが形勢不利と悟って逃げたんだと思います? それとも何か考えがあって逃げているんだと思います?」
「……分からないね。僕だって人の心までは読めないから。でも……僕は前者だと思ってるよ」
「形勢不利だって?」
「そうだね。だってさっきの兵士達の詰め所の様子を見ていたらさ、僕が教えたあの分身の魔術があったじゃない? あれを使ったは良いけど結局その分身を見破られて倒されて、相手が想像していたよりも実力のある連中だって分かった上で、こうして逃げ出したんじゃないかって思っているよ」
「やっぱりそう思います? 私も同じ考えですよー」
冷静に分析をするディルクと同じ考えなのに満足したヨハンナは、今度こそ作業に戻る為に自分の持ち場へと戻る。
ディルクはそのまま監視カメラの映像に釘付けになっており、ヴェラルとセバクターはそれぞれ黙々と作業をし続けている。
しかし、この時点で誰も注目していなかったレウスの異変に気が付かなかったのは大きなミスと言えるだろう。
いや、正確に言えば気が付いていたのは寝台に寝かされっ放しでそろそろ背中が痛くなって来ていたレウス自身と、先程右手の拘束具を外していたセバクターだけだった。
(セバクターの奴……今度は右足の拘束具まで外したぞ?)
今しがた、監視カメラの映像に夢中になっていたディルクとヨハンナの意識が完全にレウスから逸れたのを確認したセバクターは、実験に必要な道具をそばにある棚の引き出しから取り出すふりをしてレウスの寝ている寝台に近づき、素早く右足の拘束具を外したのである。
この異変に気が付いているのはレウスとセバクターだけなので、ますますそのセバクターの考えが読めないレウス。
一体この男は何をしようとしているのか?
もしかして、本当に自分を助けようとしてこうして拘束具を外しているのでは無いか?
(いや……分からないな。拘束具が外れているのなんてすぐにバレてしまうだろうし、そんなに高いリスクを冒してまで俺を助けようとするものなのかな?)
実際の所、今までこの男とは敵対していたのだから今だって信用出来ないのがレウスにとっては当たり前なのだ。
それを抜きにして、こうして拘束具を外してくれたのは脱出のチャンスが大きくなったので素直にありがたいのだが、問題は自分の事よりも未だに戦っている他の五人の方である。
(聞こえて来た会話からすると、ソランジュとサイカはあのコラードって傭兵を追い掛けていて、残りの三人は詰め所で戦いを繰り広げているらしいな)
遠目にカメラの映像が見えるとは言え、やっぱり遠目なので詳しくは把握出来ないのがもどかしい所だ。
今はとにかく他のメンバーの無事を願いながら、残る二つの拘束具についても何とか外せないかどうかレウスは考えてみる事にした。