117.イーディクト帝国
エンヴィルーク・アンフェレイアの世界地図の中で、右上の地域を領土としているのがイーディクト帝国。
商工に秀でた王国として知られているこの国では、国の実権を商人と職人の連合が握っていると言う珍しいタイプの政治体制である。
傍若無人な性格の皇帝バスティアンが実権を握っているソルイール帝国には、その好戦的な性格の国民が多い土地柄から武器職人や武器商人等が何度も行き来している。
また、そのソルイール帝国の南に位置している農耕に秀でたアイクアル王国とはお互いに友好関係にある。
農作物をアイクアル王国から輸入して貰う代わりに、農業用品や農業用の設備と言った各種製品を商人が仲介して取り引きをする事が多いので、お互いに密接な関係を築き上げて来ているのだ。
皇帝のラトヴィッジ・アルマンド・シャロットもそれを認めており、好戦的な人物の多い西の隣国ソルイールとは反対に、穏やかで争いを好まない性格の国民が多いのが特徴である。
それから自国の南……レウス達がこの国を経由して入国予定のカシュラーゼとも色々と魔術関連の書物や開発道具等の取り引きをしている。
それが縁で、領土問題で揉めていたヴァーンイレス王国に攻め込むカシュラーゼの軍事関係の武器や物資の支援を、その商工に秀でている面でサポートしていた過去もある。
だが、レウス達にとってはそのどれよりも大事な話として、パーティーメンバーのソランジュの地元であるという点が挙げられる。
彼女は元々このイーディクト帝国の中の商家の一人娘として生まれ、そして現在は冒険者としてソルイール帝国を中心に活動していたのだが、今までの経緯でベルフォルテの町の美術商人の使用人を経てこうしてレウスと旅をする結果になっている。
つまりソランジュにとっては離れていた地元に帰って来た事になるが、それが彼女にとって良い事なのか悪い事なのかと言うのはまだ彼女自身しか分からない。
(まあ、前に聞いた限りでは親に反発して家を飛び出したって話だったから、なるべく戻りたくはないんだろうけどな……)
レウスの育ったアーヴィン商会でも、このイーディクト帝国との繋がりはかなり深い。
全世界の商家がこのイーディクト帝国との繋がりを持っていると言われる程に、商人への影響が膨大なのがこの国なのだ。
戦う気が無かったレウスは将来的に商家を継ごうと考えて色々と勉強をしていた事もあるのだが、実際にこうしてイーディクト帝国の土地を踏むのは初めてである。
「親父は大事な取り引きがある時にしかこっちに来ていなかったらしくて、そういう場所に自分の子供を連れて行く訳にはいかないから、親父の持って帰って来るイーディクト土産とかどんな取り引きをしたのかって話を聞くのが楽しみだったんだよ」
「そうか、現世でのお主の家はリーフォセリアの商家だったな」
「ああ。だからそれなりに縁が深いんだが、来るのは初めてだから道案内はソランジュに任せるよ」
だがその瞬間、ソランジュの顔が一瞬曇ったのをレウスは見逃さなかった。
「どうした?」
「……いや、別に何でもない。とりあえずこの山道を越えればイーディクト帝国の領土だ。山を越えた先に村があるからそこで今日は休んで行こう」
「分かった」
考えてみればクレイアン城から死に物狂いで脱出し、川下りをして追っ手と戦って五人の疲労はピークに達している。
魔術で回復するのは一時的な気休めにしか過ぎないので、キチンとした休息を取るのであればそれなりの場所と食事と睡眠が必要だ。
しかし、ここでエルザの口から思いも寄らない話が出て来た。
「あれ、そう言えば今から私達が向かうイーディクト帝国って……確か五百年前のドラゴン討伐の勇者の一人が建国したって国じゃなかったか?」
「えっ!?」
レウスがエルザの方を振り返ると、彼女とバッチリ目が合う。
そのまま彼女の目を見つめつつ、自分にとっては懐かしい名前が出て来るのをレウスは待った。
「そ、それって何て奴が建国したか覚えているか?」
「ああ。確かトリストラムとか言ったっけな。レウスはその者について知っているんだろう?」
「勿論だ。トリストラムはドラゴン討伐の時の、俺のパーティーメンバーの一人だったからな」
物静かで、余り多くを語らない女のパーティーメンバーだったが、弓の精度に関してはドラゴン討伐のメンバーに選ばれるだけあって超一流の腕前を持っていたのを今でも思い出すレウス。
「ただ、トリストラムは弓の腕前は良かったんだけど料理の腕前はそこら辺の料理が下手な男よりも下手だったよ」
「何か例えが良く分からないけど、具体的に言うと?」
「えーと、ドラゴンの配下の魔物を倒しに行く時にとある地下通路を通っていったんだが、そこに住み着いている小さな魔物を倒すのに、トリストラムの失敗した料理をベースにした毒を作って、それで一気に駆除したんだよ」
「……うん、良く分かったわ」
その悲惨(?)な光景を思い浮かべて、四人の女達はそれぞれ程度は違えどげんなりした顔つきになった。
毒をもって毒を制すとはまさにこの事であるが、そのトリストラムがまさかこうして国を興していたとは……とレウスはアークトゥルス時代の思い出を回想しながら驚きを隠せなかった。