第八話
異世界と言ってもモコモコ達のいた森が自然豊か過ぎる以外は森と認識できる程度であったのと同じく、川もまた変わらない。
水は透明なのにたくさんあると青く見え、朝日の光を反射して輝いていた。
鰐に襲われた時の川が小川程度に対して、対岸が見えないほど大きな川を船が進んでいる。その船の船首部分に俺は乗っていた。
「そんな所に立ってると落ちるわよ」
ベニオが注意してくるが、後ろを向いたまま手を振るだけで返事する。
船には帆があるのだが、風はない。代わりに船体の左右に巨大な水車があってそれが回転する事で動いていた。外輪船と言うやつだろう。ベニオが言うにはマナを感じるのでマナをエネルギーに動かしているらしい。すげーなマナ。
船の甲板には船乗り達が働いているが、邪魔にならない位置に俺達同様に客が船からの景色を楽しんでいる。船の後ろを見れば、何本の鎖で繋がれた平べったい大きな板が川に浮いており、板の上には大量の伐採された大きな丸太が山を形成している。
森で伐採した木々を街に運ぶ船に俺達は便乗させてもらっている訳だが、船の上を見て分かるようにそういうのは珍しくない。手間賃は取られるが安いし快適さを除けば十分。それも朝から出発すれば昼には到着するらしいのでそれまでの辛抱だ。
池に浮かぶボートなら兎も角外輪船なんて物に乗れる機会なんて滅多にない。
「もしかして船は初めて?」
「二人乗りぐらいのボートくらいだな。だからこんなデカいのは初めてだ。ベニオはそうじゃないみたいだけど」
「記憶無いわよ」
「特に珍しがってないって事は何度か乗った事あるんじゃないか?」
「確かにそういう考え方も出来るわね。消去法だけど新鮮に感じた物以外を探す事で私の記憶が戻るかもしれない」
「次の街ってどんな所だ?」
「栄えているみたいね。闘技場なんかもあって観光客も多いと聞いたわ。暫くはそこで情報収集して、運が良ければあなたの仲間と私の記憶についての手掛かりが掴めるかも」
「運良くなのか?」
「手掛かりがゼロからのスタートなんだから、取っ掛かりを掴めるだけでも運が良い方よ」
浅学な身からするとベニオの言ってるのってちょっと意識高い系で聞き取りにくいが、ゲームでも序盤で何もかも分かる訳ではないのと一緒か。
「それにあなたと同じ世界にいるとは限らないし」
「え?」
「異世界間の移動を可能としているなら二つの世界だけを行き来してるとは限らないわ」
「あー……そういやそうだな」
俺がクラスメイト達とは別の世界に放り込まれた可能性だってある。だけれど、勘ではあるが一緒の世界だと思う。俺だけを除け者にしたいなら何も生きていない荒野の世界やマグマの海だけの世界にでも放り投げれば良い。
そうしないのか、出来ないのか。どっちにしろ複数の世界を行き来はしていないと思う。だからクラスメイト達がこの世界にいる可能性は高い。
…………高いと良いなぁ。これで見つからなかったら間抜けだぞ。
「今それを話し合っても仕方ないわ。それよりも、空いた時間に言葉を覚えるわよ。せめて挨拶と肯定否定は直ぐに覚えて貰うわ」
「へーい」
俺がそう返事をした時だ。船が進む先、緩やかなカーブを描く先の影から二隻の船が現れた。この船が大型すれば小型の船だ。帆が折り畳まれ、十人程でオールを漕いでいる。その速度は速い。
俺だけでなく、船乗り達もそれに気付いたのだが少し様子がおかしい。こっちに向かってくる小舟を見てやや険しい顔をし慌ただしくなり始めた。
「なんだなんだ? おーい!」
近くの船乗りに声を掛けて手招きする。腕相撲や酒場でも見た船乗りは何か言う。それをベニオが訳してくれた。
「水賊らしいわ」
「水賊? ああそっか、ここは海じゃないもんな」
幅が広くてここが川だと失念していた。
「……え? 襲われんのこの船? あんな小さい船に?」
正面から突入しても結果は知れる。丸太を運んでいるこっちよりかは速度も小回りも利くようなので取り付く事は出来るだろうが、船の差に加え人数もこっちの方が多い。船乗り達が銛や網を準備し始めてる点からしてどう考えても向こうに勝ち目が無い。二隻だけじゃなくて十何隻も用意して攻めれば乗り込めそうだが、あれは無理だろ。
「二隻が囮で後ろから来るかもしれないわ」
「そうなん?」
ベニオの言葉が切っ掛けか、後ろの方でも騒がしくなり、振り返ると船の後ろから小舟が一隻来ていた。帆もオールもないのにその小舟は水上をモーターボートのような速さで突き進み、挙句にはジャンプをして何とこっちの船の後ろに乗り上げて来た。
後ろからの不意打ちに、船乗り達の対応が遅れる。乗り上げてきた小舟からサーベルを持ったいかにも無法者と言った荒々しい雰囲気の男達が乗り込んで来る。
それだけじゃない。皆の注意が後ろに向いた途端に川の水の一部が宙へと水流を作り、意思を持っているのか正面の甲板にいた船乗り達を薙ぎ払う。水圧の勢いに、船乗り達は船の壁や床に叩きつけられ端へと押しやられた。
俺も蛇のように動く水が俺にも衝突する。全身がズブ濡れになった。
小学校の時に火災用の放水ホースで遊んでうっかりと水を出してしまった事はあるが、それと同じくらいの勢いがあった。あったが、まあタッパも伸びた今となっては十分に踏ん張れた。
だが傍にいたベニオは大丈夫だろうか? 遅い判断だと自覚しつつも隣を見ると、見えない壁で水鉄砲を防いでいた。全身が濡れた俺と違い水滴一つ被っていない。
何かズルいと思っていると、今度は船首側から鉤爪付きのロープが投げ入れられて続々と海賊――ではなくて水賊が現れる。
「怪我したくなきゃ大人しく従え、って言ってるわね」
「あっそう」
ベニオの翻訳に頷いておき、取り敢えず一番乗りしてドカドカとやって来た男を殴っておく。顎を斜め下から打たれた男は後ろ斜めに吹っ飛んで船から落ちた。
仲間が倒された事で賊達が殺気立ち、サーベルを振り回して俺に突進して来る。勢いとスピードはあるが、剣道部の方が巧い。
俺は振り下ろされたサーベルを白刃どりし、力を込めて手を捻る。
サーベルの刃が折れた。ポキッて。ポキッて感じで折れた。
「…………」
賊が折れたサーベルを真顔で見下ろし、次に俺が持つ刃を見、またサーベルへと視線を移す。
「現実見ろよ」
刃部分を放り捨て、賊を殴り飛ばす。それからはこっちから歩いて行って賊を殴り倒して行く。
「大丈夫そうね。後ろは私が片付けておくわ」
「おう」
賊を追いかけ回す最中、ベニオが後ろの敵を片付けて来ると言って去っていく。戦えるのかと思ったが、よく考えなくてもベニオは色々と魔法が使える。昨日だってバチバチ言わせていたんだから、全身スタンガンとなっていくらでも対処出来るだろう。
「そういや、水を使う奴はどこだ?」
魔法で思い出した。水鉄砲が船乗り達を振り払っていたが、あれも魔法だよな。なら使った奴がいる筈だ。
そう思って見回すと、賊達の奥の方にいかにも頭と思われる屈強そうな大男が立っており、その脇には他と趣の違うローブの男が杖を持って立っていた。
分かりやすい。俺はヘッドロックしていた賊の頭から手を離し、踏みつけていた他の賊共々蹴り転がして頭と魔法使いに向かって突き進む。
魔法使いが空中にソフトボールサイズの氷の塊をいくつも作り出して、俺に向けて発射した。
氷が空中に浮くというのは何かの見間違いに思える。モコモコ達が植物を操るのと同じく魔法って凄い。ただ見慣れない光景で驚くだけであり、氷が飛んでくる速度はそれこそ人間がボール投げる程度の速度でしかない。
右に左にと氷を避けながら魔法使いに近づく。賊の頭がサーベルを構えて切り掛かって来る。袈裟に振り下ろされた一撃を上半身を逸らしただけで避け、ガラ空きになった脇腹を殴る。
一撃で動けなくなった賊を横に弾き倒しながら俺は魔法使いに近寄り、ケンカキックをくれてやる。腹を蹴られた魔法使いは後ろにふっ飛んで船の縁にぶつかり、動かなくなった。
「……倒したはいいけどどうするか。おーい、誰かロープ。ロープだよロープ。何か縛る物」
唖然としている船乗り達に避けながら呼び掛ける。言葉は通じないが引っ張ったりグルグルと巻く動作で察してくれた彼らは急いでロープを持って賊達を縛り上げていく。
ここはもう良いだろう。ベニオの方はどうなったのかと思い船尾の方に行くと、ちょっと肉を焦がしたような臭いがした。
見れば、ベニオが乗り上げていた帆もオールも無い船の上に立っており、船の周りでは髪や服をちょっと焦がしたまま気絶している賊がいる。
恐る恐る――賊ではなく船にいるベニオに対して――賊を拘束する船員達の脇を通り、俺も小舟に乗る。
「何してんだ?」
「どうやって動いてるのか気になって」
「へー」
船の中は二人の男達がこれまた生焼けで転がっていた。生きているので取り敢えずは邪魔なので二人とも船から下ろして船乗りに任せる。
「で、どうやってたんだ?」
エンジンが付いているような軽快な動きどころか飛び跳ねた船の仕組みは確かに気になる。ベニオの後ろから肩越しに内部を見ると、操舵の代わりに黒い板が嵌め込まれた台座があった。
「何これ?」
「物を動かすマジックアイテムね。宙に受ける程の出力はないけど、水の上なら摩擦がないし、働きかける力の方向で進行方向も変えるのは簡単ね。あんなに高く跳ぶには熟練した操舵技術が必要だけど」
「へー……水賊? 河賊? が持っててもいいものなのか?」
「私に聞かないで。記憶が無いからその辺りの常識ないのよ」
それもそうだ。船の中に隠れている賊を確認した後、輸送船に俺達は戻った。
「本当に一人で倒したのね。マナアーマーのステータスは向こうの方が上なのに、不思議」
「素のパワーが違うんだよ」
「それだともっとおかしな事になるんだけど」
ベニオは俺が賊相手に無傷で無双した事を不思議そうにしていた。マナという力が生き物を守っているのだが、そのステータスが賊の方が高く最近になってようやくマナを取り込んでアーマーを展開している俺とは大きな差があったらしい。
そんな事言われても俺の知った事じゃない。
それと賊達は全員捕らえられ、マストに縛り付けられた。こいつら、最近になってこの川を縄張りにして船を荒らし回っていた賞金首だったようだ。普段はもっと下流の海近くで活動していたが、警戒されたのでこっちに来たらしい。
そんな感じで船乗りとの会話をベニオに任せ通訳させる。彼らの処遇はこのまま目的地の街へと輸送して兵士に突き出し予定らしく、その時に貰える賊退治の褒賞は全部俺達にくれると言っているとのこと。
「船に乗ったと思ったら乗る前よりもお金が増えた……」
「良い事じゃないか」
何か納得していなさそうなベニオだが、金が増えるのは悪い事じゃない。
それから数時間後、船が街に到着し船乗りの代表が兵士に渡りを付けて賊一味の引き渡しと同時に俺達に銀貨の詰まった袋が渡される。
多いのか少ないのか分からないが、まあ細かい金の管理はベニオに放り投げよう。
それよりも街だ。伐採や開拓、森から得られる恵み目的での往来が多い前の場所よりも更に発展していて、社会科の資料集で見たような近代のヨーロッパのような街が広がっている。
川の傍に存在するその街には大きな外輪船が何度も行き来し、船着場からでも賑やかさが伝わってくる。情報収集すると言うのなら、都会の方が良いと言ったベニオの考えは当たっていた。
船乗りのおっさんからオススメの宿を教えて貰った俺達は宿に荷物を下ろし、昼食をいただいてから情報収集の為に街に繰り出した。
つっても、俺は言葉分かんないんだけどな。
「今更だが、俺っている意味ある?」
「女一人だと侮られるからいてくれた方が良いわ。ナンパ避けにもなるし」
「そういう事なら、まぁ……」
護衛と言えれば格好がついたのだが、ベニオ自身バチバチできるから護衛なんて要らないんだよなぁ。
ベニオが話を聞いている間、俺は近くにあった屋台に視線を向ける。炒めた肉を刻んでパンっぽい生地に挟んだ物を売っているらしく良い匂いが漂っている。
俺は銅貨の大きめの奴を二枚、屋台のテーブルの上に置いた。店主は置かれた銅貨を二枚とも手に取るとパン生地を用意しグルグルと回って炙られている肉の塊の表面を刻み始めた。
言葉通じなくても飯の注文ぐらいはできる。そうして出てきたタコスっぽいのは両手でなければ持ち得ないサイズだった。……半分ぐらいでも良かったな。
取り敢えず食ってみる。辛めタルタルソースとかが欲しいと思ったが、食ってみると焼く前に既に何かに漬け込んでいたのかしっかりとした味がした。パン生地にも肉汁と一緒に漬け込まれた味が染み込んでいて美味い。惜しいのは野菜がない点か。
「夕飯、食べられなくなるわよ」
「買い食いは別腹だ。お前も食うか?」
話を終えたベニオが半目になって俺を見ていた。誤魔化しとしてタコスっぽい物を勧めると、不機嫌そうに目を細めたものの端の方を小さく噛み付いた。
「……美味しいわ。でもレタスとかシャキッとしたものもあれば良かった」
「だな。それで何か分かったか?」
「まだよ。この国とかの情勢を聞いたところ。貴方の仲間に関しては情報を取り扱うような所からじゃないと聞けないと思う」
「ええ? 目立つからすぐに噂になってると思ってたけど」
「どこに現れたかによるし、異世界からの人間の扱いなんてどうなるか分からないんだもの。何か利用価値を見いだしたりしたら、秘密にして匿われている可能性だってあるわ」
「へえ、面倒だな」
見たところネットどころか電話もなさそうな世界だ。便利な情報伝達手段が無い以上、そう簡単に情報が回って来ないのだろう。
「当てはあるのか?」
「商人か、情報屋ね。ただ商人と取引できるような物はないから、普通に情報屋を探すしかないわ」
「情報屋とか……いんの?」
「大きな街には絶対いるわ。問題はどうやって渡りを付けるかだけど、そこは地道にやっていくしかないわ」
「そうか……」
クラスメイトの一人から何度か借りた事のある本やゲームだと大体は人のいる所に転移されているが、そのパターンに当て嵌まるかどうか。慌てたところで貰いが無い以上、根気良く待つしかないか。
「ベニオ何か思い出した事あるか?」
「無いわ。国や地名を聞いてもピンと来ないの」
こいつだって記憶が戻っていないのだ。本人はどう思っているのかまでは分からないが、任せている以上我儘言っても仕方がない。
「今日はもう宿に戻りましょう。明日からはもっと範囲を広げて……それと本屋も寄りたいわ」
「本好きなのか?」
「それを確かめる為にも行くの。何より、あなたの文字の学習用に絵本や教育本を探さないと」
「…………そだなー」
勉強は苦手だが、それこそ仕方ない。旅行じゃ無いんだし頑張ってみるかな。うん……。
ちょっとアンニュイな気持ちになりながらタコス似の食べ物を食っていると、歩いている俺達の横を何台もの馬車が通り過ぎた。
その時、位置が絶妙だったのか車輪によって地面の石が弾かれてベニオの方に飛んでいく。当たる前に俺が石を手で受け止める。
「危ねぇな、オイ……」
向こうもワザとじゃないだろうが、つい馬車の行列の方を睨む。俺の声に反応したのか、馬車の一台から顔を覗かせる少女がいた。
目と目が合う。見えたブレザーの襟にはどこかの学校の校章が見えた。
「…………日本人!?」