第二十八話
水底に沈んでいた意識が急浮上し水面に出た瞬間に俺は瞼を開けた。鼻で一呼吸する間に周囲の状況を把握して上半身を起こし体を伸ばす。
部屋の中にある柱時計を見れば朝の八時だった。一応、この世界は一日で二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒っぽい。
人を叩き起こしてくるババアがいないのに早くに目が覚めてしまった。ちゃんと寝ているので寝不足ではないのだが、なんか勿体ない気分になる。早起きは三文の徳と言うが、具体的にどのくらいの徳なのか。お金で換算すると幾らぐらいだ。
欠伸をしながらベッドから出て窓のカーテンを開ける。太陽の光に目を細めながら見える景色は日本では見る事は出来ないファンタジーな世界の街の景色だった。
現代社会のコンクリートジャングルの中でビルの上から見下ろす日本の町とは違う趣きの景色。建物の造りや高さもそうなんだろうが、何よりも車が通ってないのが一番の違いか。
俺は一昨日からデラック帝国と呼ばれる国の首都に滞在していた。宿泊先は城である。
岩窟王虫から脱出して騎馬の軍勢に囲まれ攻撃されるんじゃないかと思ったが王女が現れて取りなしてくれた。
そのまま俺達は城に客人としてもてなしを受けた。集落の人達は城ではなく別の場所で寝泊まりしているが、昨日様子を見に行った限りでは丁重に扱われているようだった。
「トモセンパーイッ、もう朝ですよ! かわいいかわいい後輩が――ちっ。折角優しく起こしてあげようと思ったのに起きてたんですか」
ノックもなしにドアを開けて蓮が入って来た早々に舌打ちした。
「自分で可愛いとか言うなよ。あとちゃんとノックしろ」
「えー? だって本当の事ですし。私レベルで可愛くないとか言ってたら逆に嫌味ですよ。だから堂々と言います」
「そうか。それよりノックしろよ」
「昨日も思いましたけど、センパイの部屋って豪華ですよね。ベニオさんの部屋もそうでしたけど、二人だけズルいです」
「…………」
人の話聞きやしない。
まあ蓮が羨ましがるのも分からなくもない。この客室には魔法を利用した技術なのか空調っぽいのがあるらしく窓を閉めた室内でも温暖な外と比べやや涼しく、壁に設置された温度計の土台についた小さなレバーを弄ることで自由に温度を調節できた。
この明らかに一般的な装置ではない装置が備え付けられている部屋というのは一種のステータスだろう。
一人部屋にしてはやたらと広く豪華な部屋に、手の込んだ料理やら酒やらを出された上でエアコンみたいな技術を見せられ、この国の文化や技術力を見せつけられているような気分だった。
俺に対し、デラック帝国から形にも言葉にもされない無言の圧力を感じる。
城の中で泊まった非日常から勝手に緊張しているだけだと思いたい。
不意に窓の外で何かが横切る。
日射冷却で冷えた空気流れに乗って空を行くのは紙飛行機だ。窓の前を通り過ぎようとしたそれに向かって手を伸ばす。
届かないが、手を広げて素早く手前に腕を引けきながら掴むように指を曲げると、ふわっと空気の流れが生まれた感じで風が発生するので紙飛行機がこっちに引き寄せられた。
「いやいや、いやいやいやいや。さらっとキモい事しないでくださいよ」
「手で煽って風起こしたりするだろ。その逆だ」
「それで納得できたら数学者とか要らないんですよ。今ならまだ間に合いますから空気力学に謝りましょう!」
訳の分からないことを言っている蓮を無視して紙飛行機を掴む。粗く雑で硬い紙で作られた紙飛行機は折り目も弱くはっきり言って下手くそだ。
だが折り紙を知らないここの世界に住人が作ったにしてはマシと言えるか。
帝都に到着し城に案内された時から、文官か学者かはともかくこの世界の人間が紙飛行機をいくつも飛ばし城壁から様々な素材の物体を落としていたりしていた。陽の光が当たる場所では金属の板を重ねた物を太陽に向けて日を当てたりもしていた。
何と言うか、少なくとも転移者は歓迎されているようだった。
俺は紙飛行機を作り直し、窓の外へと返してやった。
「朝飯食お」
「ですね。メイドさんを呼びましょう。ところでメイドさんに手出しました?」
「出すわけねえだろ」
「聞いたんですけど、伯爵家の次女らしいですよ。行儀習いとかなんとかで城勤めだそうです。道理で綺麗なんですね。で、手出しました?」
しつこく聞いてる蓮は俺が背を見せているのを良い事にベッドの上に髪の毛が落ちてないか調べていた。生憎だがそんな展開はない。
テーブルに置かれたベルを鳴らすと蓮が開けっ放しにしたドアから侍女服を着た女性が現れる。ホテルのルームサービスだと思えば、何て事はない。
蓮もまだ食べていなかったので二人分の朝食を頼む。着替えを手伝うとか言われたけど、貴族じゃないんだし断った。
飯を食い終わると、俺は城の裏手側へと散歩に出かけた。蓮も付いて来たが、好きにさせる。当たり前だが、城に招かれたと言っても部外者だ。行ける場所は限られているし各所には見張りがいる。そもそも城というのは馬鹿みたいに広く、そう簡単に偉い人と会う訳でもない。
それに城には王様以外に当然人がいて、それぞれの部屋で仕事をしていて各々のテリトリーと言うか区画がある。この辺りの話は昨日の時点でミハエルさんから聞いた。
だから俺が歩いた事のある場所で歩く分には何も問題ない。加えて言うなら、それ以外の場所に行けば濃い確率で迷う。それほどまで城の内部は複雑だった。
だからって誰とも会わない訳じゃない。途中、見回りの兵や侍従と思われる人達とすれ違ったりその姿を離れた場所で目撃する事がある。
それは良いのだが、彼らは俺の姿を見ると遠巻きに見てくる。明らかに何か俺の噂が流れている。
「なんかダンジョンモンスターボスを倒した異世界のヤベー奴って感じで噂が流れてるみたいですよ」
「手柄独り占めしたみたいで嫌なんだけどな」
俺の散歩についてきた蓮が噂について教えてくれた。
ダンジョンモンスターの討伐については公になっている。
そもそも、脱出したと思ったら騎兵に囲まれていたのは岩窟王虫が帝都に向かって来ていたからだ。
どうやら岩窟王虫は俺達を中に取り込んだ後、寄り道をしながら帝都に向かっていたようだ。
デラック帝国は岩窟王虫の通り道となる近隣の村や町の住人を城へと避難させ、迫るダンジョンモンスターに騎士団が迎え討たせようとして、いざという時に俺達がボスを倒した事で帝都を襲おうとしていた岩窟王虫もまた動きを止めた。
何が起こった警戒して近づけば、俺が中から現れたという訳だ。そりゃあ警戒もされる。
幸いにもすぐに駆けつけた王女のお陰で誤解されずに済んだ。
その後は集落に残ったのと合流して帝都を守ろうとした騎士団に保護された。俺は転移者として蓮達と同じような扱いで、クラルをはじめ集落にいた者達は難民扱いで保護されている。
転移者は伏せられているが、ダンジョンモンスター内部で三世代も命を繋いで来たクラル達は大分有名になったらしく、待遇が決まるまで貸してくれた家屋の周りでは野次馬が多いと昨日訪ねた時に教えてくれた。
ダンジョンをクリアしコアを持ち帰ったら偉業扱いだそうだ。だからボス攻略に参加していた俺も今や城内で有名人だった。
「早く教会から返事来ねえかな」
視線に晒され、思わず愚痴のように独り言が漏れる。
ミハエルさんは直ぐに帝都の教会施設に行ってメシューレ教の総本山へ報告しに行った。まだ戻って来てはいないが、わざわざ手紙を送って数日中に報告に登城するとあった。どうやら向こうも忙しいようで情報が錯綜しているようだった。
「トモセンパイはクラスメイトを探しに行くんですよね。わざわざここを離れてメシューレにまで行く必要ないでしょう。魔法の道具で通信ができるんですし」
「ここが日本ならそうしたかもな」
蓮は俺を引き止めたいようだが、クラスメイト達が見つかるまではどこかで落ち着く気はなかった。
城の裏側の方へと回ると、畑仕事をしている男子中学生を発見した。
彼は闘技場に来た面子と違って戦闘に向いていないスキルを持っていたので帝都に残った中学生の一人だ。
彼は朝早くから畑に出てきて作業を行なっている。鍬を剣道みたいな持ち方で手にし、草の生えていない地面に振り下ろす。
五メートル先までの地面が耕された。昨日も見たが、シュールな光景だ。
彼は農業系のスキルを持っていて、畑仕事に補正が働く。鍬を地面に振り下ろせば数メートル先まで耕し、種や苗を投げれば等間隔かつ柔らかく地面に着地して勝手に沈んでいき、ジョウロで水を撒けば適度に土に水を入れる。
「前よりパワーアップしててウケる。こういうゲームありましたよね」
「あったなぁ。それを知ってるお前に驚きだが」
しかし、あの力はある意味恐ろしい。昨日種撒いたのが既に収穫されて男子の後ろの荷台に積まれている。畑そのもののサイズはそんなに大きくないが豊作のようだ。そしてまた新たに新しく何かを育てようとしている。
見ているだけなのもあれなので声をかける事にした。居残り組とは帝都に着いた後で闘技場組からの紹介があって既に面識はある。
「おはようさん」
「あっ、おはようございます」
「また耕してるのか。何を育ててるんだ?」
「主に芋ですけど、色んな種類の芋を育ててるんです。条件を変えて試して、スキルの効果を確認してるんですよ。それと品種改良の実験も」
「品種改良まで手ぇ出してるのか」
「ええ、ここの学者さんと色々相談しながら。今は芋で試してるんですけど、他の野菜にも挑戦したいですね」
楽しそうに語る彼はそれはもう活き活きとしていた。畑仕事が楽しくて仕方がないと言った様子だ。
「でも、そんなスキル頼みだと落とし穴が絶対ありますよ」
横にいる蓮が笑みを浮かべたまま水を差した。俺も正直不安と思ってなかった訳ではないが、少なくともそんな笑顔で言うものじゃないだろ。
「こいつ、前からこんな感じなのか?」
「えーっと、そんな親しい訳じゃないですけど、人を軽くからかってるのは見たことありますね。こっちの世界に来てからは本性を前面に出し始めたとか言ってる女子もいます」
「ほほう、女子が。負け犬の遠吠えですね」
「こんな感じで?」
「前はもっとマシだったはずです。ホント、化けの皮剥がれてますわこれ」
「酷い扱いですね。ハブられても女子コミュに影響を与えることはできるんですよ? 異世界に行っても変わらない女界隈の恐ろしさを体感させてあげましょうか?」
「よく分からん脅しは止めろよ」
取り敢えず脅しとけと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべる蓮に呆れていると、こちらに歩いてくるベニオの姿を見つける。
「何をしているの?」
「スキルで農業だよ。品種改良とかやってるらしい」
俺の大雑把な説明にベニオはじっと畑と収穫されたばかりの芋を見る。
見るからに日本人ではない容姿をした日本人の名前を持つ女に男子中学生は戸惑っている。
「ふふふっ、この人は記憶がない癖にバリバリの知識持ちですからね。因縁つけられますよ」
「つけないわよ。それよりこれ、マナで作物を急速に成長させているようだけどこのままじゃ病気が流行った時に全滅する可能性が高いわよ」
「ええっ、どうしてですか?」
「マナで成長を促進させるだけならいいけど、これは成長を早め過ぎね。マナの干渉が段々と先鋭化されて特性が固定される。育てられた作物の多様性が削られて、周囲の変化に耐えられなくなる」
その他にも土地が内包するマナも指向性が極端に固定されるだとか、何事もなくとも世代を経れば劣化していくなどベニオは農業少年に警告した。
「栄養剤をぶち込む程度なら影響はないですか。これ、作物に何もせず土や水でカバーってことですか?」
「そんな風に環境そ整えた方がいいわね。植物だって生きてるのだから、環境に合わせて貪欲に成長していくわ。見たところ貴方の能力の向きは植物そのものをどうにかするものじゃなくて土台を改善するものでしょう。変に欲張ると躓くわよ」
「うっす」
熱心に聞き入る男子。とても蓮のクラスメイトとは思えない真面目さだ。
「今失礼なこと考えてません?」
「なに言ってんだ」
見習えとは言わない。ブーメランで俺にも刺さるから。ただこのクラスメイトの姿を見て何も思わないのだろうか、とは考えた。
「ありがとうございます。物凄く参考になりました」
「いいのよ。こうやって実験しているのだし、それを怠らないのなら大きな失敗はないでしょう」
話は終わったようで、男子生徒はパパッと農具を片付けると収穫した作物を載せた荷車を引いて走り去った。どうやら今の話を元に色々と練り直すらしい。
「おい」
「はい、なんですか?」
「あんまり張り詰めるなよ。休んで時間を置くのも大事だぞ」
「…………ありがとうございます」
肉体的な疲れではない、精神的な疲労が見える男子生徒は曖昧な笑みを浮かべて去って行った。
俺はそれを見届けて、気を取り直すようにベニオへと振り返る。
「お前、本当に色々知ってるよな」
「自然と頭に思い浮かぶのよ。記憶の方に進展はないけど」
「図書室通いはいいんですか? 帝都に着いてから速攻で城のに行ってましたけど」
「本が単純に好きなのよ」
「それならあんまり変な事すんなよ。軽い安眠妨害だぞ」
「……聴こえてたの?」
「聴こえてたから言ってる」
「そう……注意するわ。どうも気にし過ぎる節があるのよ。職業病かしら」
「いやいや、二人とも何をそんな意味ありげな会話をしてるんですか。二人だけの世界作ってないで私も入れてくださいよ」
服を掴んでくる蓮を引き剥がしながら何でもないと言う。
何のつもりかベニオは耳鳴りがする高い音を出していただけだ。場所を変えて城全体を探るように発せられてはいたが、誰にも聞こえないほど小さな音なので特に何も言わなかった。ただ夜中にやられたら耳障りだったので今注意した。
「そうだ、忘れるところだったわ。ミハエルさんがトモヒコを探していたわよ」
「マジか」
「私が変わりに探しに来たから、サロンの方で待ってるわよ」
「そうか。じゃあ行ってくる」
何か進展があったのかもしれない。俺は急いでサロンに向かうため歩き出したところで足を止めて振り返る。
「ついてくるなよ」
「えー」
「えー、じゃないから。別に黙って行ったりしないから待ってろよ」
「…………」
急に間抜けな顔で蓮が口を閉ざした。かと思うといきなり後ろに飛び退いた。
「こ、この卑怯者っ!!」
「何でいきなり罵られてるんだ俺は?」




