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ゴールデンウィーク最終日のお昼ちょっと前。
俺は公園に行った。
もちろん抵抗はあったが、カスミが『来てくれるまで待ってる』なんて言いやがるから、取りあえず行くだけ行くことにした。
しかしこの桜のピーク時だ。
人が多い…。
俺は人混みってやつが嫌いだ。
いつからそうだったのかは分からないが、やはり学校でハブられてからは、ハッキリと人混みが嫌いと思えるようになった。
そもそも学校の奴に出くわしてしまう可能性だって高いだろうし。
俺は目立たぬようにと黒のジャージ上下に黒のキャップを目深にかぶり、マスクも着用した。
これでカスミに接近し、気付かれなかったら変装バッチリだろう。
───。
─────。
「逆に目立ちますよ?」
俺の計略は桜木のように儚く散った。
俺がカスミを見つける前に、カスミが俺を見つけてしまうというダメダメな結果。
「しかもちょっと怪しいし…。」
「帰る…。」
「いやいやいや!待って、ごめんなさい!嘘です嘘です!」
「いや、だって現にバレたし…。」
「私の勘が鋭いねん!誰も気付かへんて!」
「………」
「ん?」
「あ、いや…」
出会った時にも覚えた違和感だったのだが、カスミは無理して標準語を話そうとしているように思えたんだ。
まぁ、こっちの訛りも大概なんだがな…。
「とにかくせっかく来たんですから!目立ったとしてもコウキ君とは分かりませんから!」
相変わらず強引なカスミに、つい従ってしまう俺。
「あ、でも警察に職質とかされるかも知れへんから上は脱ぎましょう!」
「うるさいな…もぅ…。」
俺はブツブツ言いながらも、上のジャージを腰に巻いた。
「お昼食べました?」
少し歩いたところでカスミが言った。
「いや、すぐ帰るつもりだったし…まだだけど。」
「あ、良かった!実は作ってきたんですよ!それに、すぐなんて帰しませんよ?」
カスミはそう言うと、おもむろに空いてるスペースを見つけ、小さなレジャーシートを広げる。
そして「じゃーん!サンド・ウィッチ!!」と妙に発音よく、手作りであろうサンドイッチを取り出した。
「お口に合わないということはないと思いますよ?天下のサンド・ウィッチ!!ですからね!」
「…なんなの?そのサンドイッチに対する絶対的な信頼は…?」
「え、だって嫌いですか?」
「いや、どっちかっつーと好きだけどさ…。」
「ですよね?知ってます?サンドイッチを嫌いな人は1%いるかいないかなんですって!」
サンドウィッチからサンドイッチに発音が戻ったな、なんてどうでもいいことを思う俺。
「問題は何を挟むかですよねぇ。サンドイッチは嫌いじゃなくても、中の具材に嫌いな物があるってパターンもなくはないじゃないですか?」
「う、うん…」
「王道のタマゴ、ハム、レタス、ツナ、チーズ、トマト、カツ!この辺を作るのがベターかなぁ…なんて思いましてね。」
「………」
「でも考え出すとキリがないんですよ。タマゴアレルギーだったらどうしようとか…野菜が嫌いだったら…とか…。」
こいつスゲー喋るな…。
「いや、大丈夫…全部食べれるから。」
「あ、ほんまですか?さすが、サンド・ウィッチ!!!」
「プッ!」
ここで俺は思わず吹き出してしまった。
「なんで笑うんですか~?」
「いや、ごめん…なんか可笑しくなって…あはは!」
誰かの前でこんなに笑ったのは、どれくらい振りだろうか…。
久し振りに人といることが楽しいと思えた。
カスミの会話はほとんど途切れることを知らない。
これが関西人なのかなぁ、なんて偏見を抱いてみたり。
すぐ帰るつもりだったはずの俺も、気付けばカスミのペースに巻き込まれ、陽が傾く時間帯にまでなっていた。
何時間も二人で会話をしながら過ごせるなんて、この時の俺にはあり得ないことだったのに…。
「またこうして、この景色を眺める日が来るのかなぁ…。」
桜の花を見上げながらカスミは呟いた。
その目が潤んでいるように見えて、俺は言葉を失ってしまう。
「なんか…思い出しちゃうね。向こうでお別れした時のこと。」
そう言うと、カスミの表情はいつもの笑顔に戻っていた。
この時のこのセリフ、このシーンは妙に頭の中に残っていたのだが、その時の俺はあまり深く考えていなかった。
「なんかタイムスリップした気分やね…。あ、そうだ!もしタイムスリップ出来るとしたらコウキ君はいつに戻りたいですか?」
「タイムスリップ…か。そりゃやっぱ中1の冬だな…。」
「中1の冬…ですか?」
「俺がロンリーウルフになったキッカケの日だよ。」
「あ…ごめんなさい。別にそういう意味じゃなかったんです…。」
「いいよ。そろそろ話そうと思ってたしな。」
それは中1の12月の出来事。
俺の学年には厄介な不良がいた。
この男を亀田としよう。
亀田には3つ上の怖くて有名な兄貴がいる。
簡単に説明すると、その兄貴の力を傘にやりたい放題なのだ。
在校する2年や3年の不良も亀田の兄貴を慕っていたため、亀田はその弟として可愛がられている。
だから亀田としては怖いものなんて何もない、って感じなのだ。
クラスの違った俺は亀田と関わりこそなかったものの、その噂は度々耳にしていた。
俺はバスケ部に所属していたのだが、事件は部活中に起きてしまう。
その日は雪混じりの雨だった。
体育館は他の部の使用日だったので、悪天候で外も使えなかったバスケ部は校内を走ることになっていた。
その時に部活仲間の一人が下校中の不良グループにぶつかってしまう。
そしてその相手が、よりによって亀田だった。
「痛ってーな!テメー!」
必死で謝る部活仲間に対し、執拗に因縁をつけてくる亀田。
やがて軽く小突き出し、土下座しろと要求する。
下校時間で人の流れも多く、軽い見世物状態。
他の部活仲間、先輩ですら、何も言えずに見ていることしか出来ない。
さすがに見るに耐えかねなくなった。
別に正義感とかそういうんじゃない。
ここまで傍観していた俺も立派な薄情者だ。
ただ単純に亀田の行為に苛ついただけなんだろうと今は思う。
「もういいだろ?そこまでする必要あるのかよ?」
「あ?なんだオメー!」
亀田の矛先は俺に向けられる。
空気が変わった。
「コイツの友達だよ。ぶつかったのは悪かった。もう十分謝っただろ?」
「生意気だなテメー!」
その言葉と同時に亀田の拳が俺の腹にめり込んだ。
ここで俺の理性も飛んだ。
亀田は兄貴あっての地位を築いているのは確かだが、それなりに体格もよく、人を殴り慣れてる。
が、俺も小学生時代に3年間テコンドーを習っていたため、腕っぷしにはそこそこ自信があった。
結果的に俺は亀田を倒してしまう。
しかも大勢の生徒が見ている前でだ。
これが亀田のプライドに障ってしまったのだろう。
その時は部活の仲間内でヒーロー扱いされたが、程無くして状況は一変する。
まずその数日後、俺は亀田の兄貴にボコボコにされた。
抵抗しなかったわけではないが、中1と高1の力の差は歴然だった。
顔を腫らして後日登校。
亀田に逆らったらこうなるという、見せしめのような感じになった。
それから俺に話しかけてくる人間は徐々に減ってきた。
部活でも俺は浮き出し、パスが全く来ない日があった。
その日は体育館入口に亀田が立っていた。
帰り支度をしている時に、あの日助けた部活仲間が声をかけてきた。
「助けてくれたせめてもの恩で言うけど、亀田がお前と話したりしたら同じ目に遇わせるって触れ回ってるんだ…。」
せめてもの恩?
苛っときたが納得はした。
薄々は感じていたからな。
兄貴にボコられたあの日、亀田は最後に言っていた。
「お前を学校に来れなくさせてやるからな」と。
俺を孤立させようってことなんだろう。
俺はバスケ部を辞めた。
間もなく冬休みに入り、俺はそのほとんどを田舎のばあちゃん家で過ごした。
新学期になれば変わるかもと淡い期待も持ったりしたが、何も変わらなかった。
ただどんなになっても学校には行き続けてやろうと思った。
休んだら負け、だなんてつまらない意地で。
2年のクラス替えでは亀田と一緒になる不運に見舞われる。
これで俺の孤立は決定付けられた。
最初のうちは、ちょいちょい嫌がらせもされたが、気持ちは“いつでも相手になってやる”という強い気持ちでいた。
一方で同級生や上級生はともかく、新入生の1年までもが何となく俺を避けてるように感じたが、それは噂が一人歩きし始めた結果だった。
“2年の花谷コウキと関われば不幸になる”
「っつーわけで今に至るわけよ…。これが俺にまつわる噂であり、真相ってわけさ。」
「なんか…理不尽な話ですね…。」
「まぁ、今となっちゃ仕方ないとは思ってるけどさ。もしタイムスリップしたら、俺がでしゃばらずに先生でも呼んでりゃ違う結果になったのかなぁーなんてね。」
「………実はね、コウキ君の噂知ってたんですよ。」
「えっ!?」
「こっちに来てすぐ聞かされましたよ。“3年の花谷には関わらない方がいい”って。」
「じゃあ何で…?」
「もう都市伝説ばりですよねぇ!“花谷の視界に入ったら惚れられてストーカーされる”ってのも聞きましたよ?」
「なっ!?ちょっ!マジかよ!?」
笑いながら話すカスミだが、俺には笑い事じゃない。
俺の噂はそんなレベルにまで達していたのか…。
別に誰にどう思われようが、無視されようが、今さら平気だがそういう目で見られてるとしたら、それはそれでちょっとショックだった。
「お前…そんな噂聞いててよく俺と一緒にいるな?」
「噂だけの頃はね~、やっぱちょっと気持ち悪い感じの人を想像してましたけどね…」
と言い、俺をチラッと見る。
「ちょうど今日最初に来た時の服装の感じ?」
イタズラな笑みを浮かべるカスミ。
今日の服装…?
黒のジャージ上下に黒のキャップ、マスク…。
そ、そうか。
気を付けよう…。
「冗談ですよ?」
多分ひきつっていたであろう俺の表情を見て、フォローするカスミだが、半分冗談だとしても半分マジなのは何となく察した。
「でもあの日初めて会った日に色々と覆されましたね」
あの日…。
「覚えてます?『俺に関わらない方がいいよ。不幸になるみたいだから』って言ったの。その時にこの人が噂の花谷さん!?って実はスゴいビックリしてたんですよ!」
「あ、そうだったんだ…。」
「だから逆にどうしてこんな人がこんな目に遭ってるんだろう…?って思いましたもん。」
「………」
「でも今聞いて思いました。やっぱりコウキ君は私の思ってる通りのコウキ君で、ただ優しくて不器用なだけの人なんだなぁ~って。」
この言葉を受けて俺はちょっと泣きそうになってしまった。
カスミは続ける。
「あ、でも友達になりたいと思ったのは同情とかそんなんじゃないですよ?なんかビビビっと来ただけですから。」
ビビビ?
ドキッとした。
カスミがどういう意味で言ったのか、その真意は分からないが何やらドキッとしてしまった。
そんな俺のドキドキを知ってか知らずか、カスミは慌てて「あ、そういう意味ちゃいますからね?」と付け加える。
あっさり否定されて少しガッカリした俺は、ある感情を気付くことになる。
“変”と抱いていた印象が“恋”に変化しつつあること。
多分…。
きっと…。
恐らく…。
どんどん殻を破ってくるカスミの存在がどんどん俺の中で大きくなる。
その一方で不安も…。
俺のせいでカスミの学校生活に何か影響が出てしまうことになったら、どうしようという不安。
すっかり薄暗くなり、ライトアップされた桜の木が綺麗で…。
カスミは通行人に写真を撮ってくれるようにお願いしていた。
そして───。
桜の木を背景に、ぎこちない笑顔の俺と、おどけたポーズのカスミが収まった。
続