1-05 力ノ帯(フォルスリヴァ)
■ フェンリット
アマーリエさん達に連れられた僕らは、すぐに冒険者ギルドを出た。
それだけで空気が新鮮に感じるのだから、やはりあの空間は換気が足りないと思う。
道中は町の事を色々と聞いた。
そうしている家に目的地に着いた僕らは、早速中に入って席を取る。
「ここは私達がこの町で一番おすすめの場所よ。味には期待していいわ」
「アリザ、味の好みは人それぞれだから……」
程よい大きさの胸を張るアリザさんを、リーネさんが嗜める。
僕とシアも味にうるさい訳じゃないので心配しなくてもいいのだけど。
「そういえば、奢ってくれるという事ですがお金は大丈夫なんですか?」
尋ねるとアマーリエさんが応じた。
「フェンリットさんから譲ってもらった、オルダの使っていた斧がかなり高値で売れたので、気にしないでください」
山賊が使っていた武器の分配の際、山賊の頭領――オルダが使っていた斧はあちらに譲ったのだ。
なるほど、遠慮は必要ないみたいなので有難くごちそうになろう。
その後、僕とシアもそれぞれ注文をして一息ついたところで、今まで沈黙を続けていたアマーリエさんが口を開いた。
「では改めて自己紹介を。私はアマーリエ=セルレスカ。このパーティでは遊撃を担っています」
紺色のバトルコートを身に纏い、片刃の剣を帯びている。濡れ羽色の髪と瞳が特徴の美女。律儀で誠実、冷静沈着な雰囲気のアマーリエさんは、やはり綺麗な所作で頭を下げた。
大人びた女性はやはり魅力的に見える。
シアもこれくらい楚々としていればいいのに。
なんてことを考えていたらシアに足を踏まれた。痛い。こういうところがダメなんだと思う。
「あたしはアリザ=レイラス。見ての通り前衛をやっているわ」
赤紫色のショートヘアに、強気そうな表情が特徴の女性。
軽鎧をまとい、片手剣と片手盾を得物とする剣士だった。
おそらくいくつか年上の彼女には、一番最初の簡単な自己紹介の時に「敬語じゃなくていい」と言ってある。
これはアリザさん限定ではなく、関わるほとんどの人に言っているけれど。
彼女の場合、特に敬語が苦手そうだったからね。
「リーネ=アフレイア、魔術師だよ。その、あまり強くはないんだけどね」
困った様な笑顔で言うのは、ふんわりとした長い金髪と優しげな顔つきをした女性だ。僕と似たようなローブを着て、術式演算補助の力がある杖を持っているそれは、典型的な魔術師の様相である。
リーネさんは上目遣いで言葉を続けた。
「フェンリット君はその……いくつなの?」
突然の質問に僕は一瞬呆けるが、なんとか応じた。
「一九ですが」
「……えっ!?」
僕の言葉に目を大きく見開くリーネさん。
口に手を当てて、とても驚いているのを表現までしてくれている。
なんですか、僕が一九歳だとおかしいですか、悪意はなさそうなので許しますが。
「わ、私も一九なの」
リーネさんはそう言うと、同じだね、と笑いかけてくる。
あれだ。こう、癒されるな。
「……フェンリット君は私と同い年なのに実力が違いすぎて、正直気落ちするよ。あの場所、オルダが持っていた【法具】の力で魔術が使いにくくなっていたんだよね?」
「そうですね。場の魔力を乱して、術式構築を阻害する効果を持つ【法具】だったので、あの場所で魔術を使うのはなかなか難しかったと思いますよ」
「……でも、フェンリット君は軽々と魔術を使ってたよね」
「あー、いえ、僕も結構ギリギリですよ」
半分嘘だ。多少手間取りはしたが、あれだけ時間的余裕があれば何の問題も無い。
「ホントに? ……まあ、信じるけどね。その上、アリザ顔負けの動きをするんだからビックリしちゃったよ」
「ちょっとリーネ? いくら事実でも私がいる前でそれは正直すぎるんじゃない?」
「あっ痛い痛い、やめてよアリザ」
アリザさんは「このっ」とか言いながらリーネさんの頭を叩く。
本気で怒っている様子は見えない。
仲がいい女の人同士の、他愛のないじゃれあいってやつだろう。
「魔術が使いづらい場所で魔術を使うわ、魔術師かと思ったら近接戦も強いわ。あたしは目を疑ったよ」
なんというか……ストレートな賞賛は嬉し恥ずかしい。
確かに僕は小さいころから努力をしていて、その結果として今の実力に至る訳だけど。
正直、あの男は世界レベルで考えると、よくて中堅程度だ。
もっと強い奴とやり合った事のある僕としては、あんな相手を圧倒した程度で褒めそやされてはこそばゆい。
「フェンリットさんは今一九なのですよね? 一体いくつの頃から修練していたのでしょうか」
「そうですね……」
なんと答えるべきか。
馬鹿正直に言うならば、確か四歳の頃には魔術の修練を始めていた。
でもそれは間違いなく普通ではない。断言できる。
なぜなら僕が転生者で。
かつて日本で一九年間生きてきた記憶があるから。
故に、幼い頃から理性的な行動が出来たのだ。与えられた使命を全うするために、早い内から戦うための力を身に着けようとしたのだ。
僕は言葉を濁しながら伝える。
「七歳の時にはもう魔術を使っていました。自分で言うのもなんですが、発育が他の人よりよかったみたいです。身体にしろ、頭にしろ」
「あ、なんとなくわかる気がする。フェンリット君、見た目よりも大人っぽいというか――」
「つまり見た目が幼すぎる、そう言いたいんですかね?」
思わずそう言うと、リーネさんは慌てた様子で両手を振る。
「ち、違うよっ。なんていうか、十九歳なんだけど、実際にはもっと大人の人に見えるというか……よく分からないんだけどね」
「……、」
中々勘の鋭い人だなぁと思いつつ、僕は沈黙した。
実際僕という視座は既に三八年もの時を過ごしている。
まあ、精神年齢って割と肉体年齢に依存するもので、自分が中年のおっさんだと感じたことは無いけれど。
だからリーネさんの感想はある意味では正しいと言えよう。
すると、アリザさんが隣に座っているリーネさんの脇腹を肘で小突く。
「でもでも、確かにフェンリットも凄いけれど、リーネの一番の憧れの人はもう決まっているわよねー」
ニヤニヤと笑みを浮かべるアリザさん。
はて、誰なんだろうか。
その答え合わせをしてくれたのはアマーリエさんだった。
「――【御嵐王】、ですね」
瞬間。
身体が硬直した。
嫌という程に聞き覚えのある名前。
隣のシアも同じで、その名前を聞いて微妙に目線を泳がせている。
そんな僕達の様子に気付かず、彼女等は話を続けた。
「私も、その魔術師の事は尊敬しています」
「そういえばアマーリエもそうだったっけ? あたしは魔術に関してはさっぱりだからなー。あ、でも確か【御嵐王】って近接戦も凄いんだっけ?」
「ええ。勇者が残していった記述によると、【御嵐王】は肉弾戦もしていたようです」
「魔術と近接戦、両方こなす謎の魔術師。凄いよねぇ……」
ほぅ、と感嘆の息を漏らしながらリーネさんは言った。
「私、【御嵐王】の話を知って本当に凄いなぁって思ったんだ。冒険者で一番有名なのは、魔王討伐の勇者パーティにも選ばれた『レティーシャ=フィフティス』さんだけど、私は【御嵐王】の方が好き……というか」
リーネさんの瞳はきらきらと星を輝かせていて。
熱に浮かされた声で続けた。
「だって、人知れず活躍して姿を隠すだなんて、なんか利害を考えずに頑張っているみたいで格好良くない? なによりその手口がクールというか。勇者さんが付けた"暗躍英雄"っていうのも、凄くしっくりくるし」
「手口って、悪いことしてるみたいじゃない」
苦笑するアリザさんのツッコミでリーネさんが笑った。
「私もリーネの意見には同感です。本来なら【御嵐王】は相当な褒賞が貰えた筈なのに、一切正体を明かさずに表舞台を去って行った。褒賞だけではありません。俗物的な言い方ですが、それこそ多くの民に讃えられる、そんな地位を得られたはず。打算の感じさせないその行動には好感が持てます」
「そもそも性別はどうなんだろうね? 不詳って事になってるけど! 男の子にしては長めの、綺麗な銀髪だったって話があるし【御嵐王】は女の人だと思うなぁ」
「可能性は高いわよね」
【御嵐王】の話になった途端に、急激に盛り上がった三人組。
そして、僕は。
彼女達が笑顔で話すなか、僕は手を強く握りしめる事しか出来なかった。
三人の言葉が耳に刺さる。
過去を思い出し、飛び交う言葉を心の中で否定する事しか叶わない。
「だから私も、いつか【御嵐王】みたいに凄い魔術師になってみせるんだ!」
無邪気な顔でそんな事を言うリーネさんを眩しく思いながら、僕は場の空気に逆らわず無理やり笑みを浮かべた。
空気を悪くするわけにはいかない。
気持ちを切り替えよう。
すると、僕らが黙っている事に気が付いたのか、アリザさんが慌てた様子で言う。
「おっと、かなり話が逸れちゃったね。次は――」
「こちらの番ですね」
気を使ってくれたのか、シアが我先にと声を上げて名乗り始める。
「私はシア。見ての通り狐人族です。フェンリットとは長い付き合いですが、決して姉弟ではありません。中々気にしているので、気を付けてくださいね?」
――なんと。シアだから余計な事を言うと身構えていたのに、思っていた以上にまともだ。
僕に気を使ってくれたのかもしれないが……。
やっぱり槍でも降るのでは、と窓の外を眺めていたらシアに足を蹴られた。
ジト目を浮かべる彼女に先を促されるので、気を取り直して僕も名乗る。
「僕はフェンリット……ただのフェンリットです。成人しています。シアとはアネトの町から一緒に旅をしてきました。……まあ、旅と言えるほど長い道のりではないのですが」
「ちゃっかり成人済みと念押しするフェンリット、流石です」
「いや、殴るよ?」
お互いの腕を掴み合っていると、薄らと笑みを浮かべたアマーリエさんが言う。
「お二人はとても仲がいいのですね」
果たしてそうなのだろうか。
「これは仲がいいと言うより、腐れ縁の延長線のようなものだと思うのですが」
「そんなっ、酷い事を言わないでくださいよフェンリット。私と貴方の仲じゃないですか」
シアにとって僕らの関係とは一体どんなものなんだろう。
苦笑する女性三人の後ろから、店員さんがメニューを運んできた。それぞれが思い思いに食べながら、会話は広がっていく。
「三人は幼馴染か何かですか?」
シアの問いかけに頷いたのはリーネさんだ。
「ええ、そうですよ。アリザとアマーリエが同い年で、私だけ一つ下なんですけどね。同年代の友達があまりいなかったので、いつも一緒に遊んでたの」
「小さな村だったからね」
何故かシアには敬語のリーネさんに、アリザさんがそう付け足す。
「裕福じゃなかったから、皆で冒険者になって村を出ようってね。だから子供のころからそれなりに鍛えたりしてたのよ」
「私は魔術師になりたかったから魔術の修練。アリザとアマーリエは剣士になるために身体を鍛えてたね」
「流石に、フェンリットさんのように七歳の時から、ではありませんが。細かい年齢は覚えていませんが、少なくとも一〇歳は過ぎていましたね」
三人の言葉を聞きながら、それが普通だよなぁと感じる。
それに比べて、四歳にはもう戦う事を考え、黒風の魔女と謳われるシュリィ姉さん直々に魔術を教わった僕は異常極まりない。
これだけの英才教育を受けて弱かったら姉さんに怒られるな。
「フェンリット君達はこの後どうする予定なの?」
あらかた食べ終わった後、リーネさんが徐に尋ねてきた。
僕とシアは思わず顔を見合わせる。
「特に予定はありませんよ。山賊の持っていた【法具】を売る事くらいですね」
「そうなんだ! ならこの後私達が案内しようか?」
積極的なリーネさんの言葉を聞いて他の二人に視線を向けてみると、彼女等も頷いて返してくる。
お礼をしたいという事ならこれ以上は良いのだけれど。
……まあ、シアがどうにもそわそわしていることだし、お願いしよう。
【法具】売却を済ませた後、僕とシアは三人の案内の元、町の中を見て回った。
ポーション類の薬品を売っている店や、日用法具の販売店、いわゆるアクセサリー型の戦闘用【法具】が売っている店など、色々教えて貰った。
シアが一番喜んだのは食べ物の出店で、昼食を食べて少ししか経っていないのにおねだりされた。
まあデザートみたいなものだったし、別によかったのだけど。
そんな感じで時間は過ぎていき、夕暮れ時。
空がオレンジ色に変わってきたあたりで、僕たちは解散する流れとなった。
「今日はありがとうございました。シアも楽しんでいたのでよかったです」
「なんですかその保護者目線な発言は!?」
「ああもう大きな声を出すのはやめないか。周りの人に迷惑だろう?」
「ぐぬぬぬ……」
いつも通りなやり取りをしていると、アマーリエさんらはクスクスと笑い出した。
リーネさんがおかしそうに言う。
「これじゃあフェンリット君とシアさん、どっちが年上なのか分からないね?」
「それは存外私が子供っぽいと言っているんですか、リーネさん?」
シアが突っかかるので僕は横から茶々を入れた。
「存外っていうかシア、お前は普通に子供みたいだぞ」
「へぇ? じゃあどこが子供っぽいのか言ってみてください?」
「両腕で胸を押し上げながら言うな身体の話をしているんじゃない。そういうところなんだよ」
確かにお前の胸は大きいしプロポーションも抜群だ。
だが問題はそこではなく、精神年齢の話な訳だが。
それにしても、実際のところ僕とシアってどちらが年上なのだろうか。そもそもシアに年齢の概念はあるのだろうか。
まあ、この疑問が解決することは無いだろう。
どうせ「女性に年齢の話は厳禁です!」とか言ってくるに違いない。
「確かにシアさんの胸は凄いわよねぇ。あたしにも分けてもらいたいわ」
そんな事を言いながらアリザさんは自分の胸を両手で押さえる。
確かに彼女の胸はなんというか……慎ましやかではある。
シアに蹴られないよう、視線を別のところへ向けながら思っていると、視界の端でアリザさんがアマーリエさんの背後に回り込んだ。
「その点、アマーリエの胸も結構凄いわよねえ!」
「ひゃっ!?」
アマーリエさんの腋の下から二本の手が伸び出し、彼女の胸を鷲掴みにする。
「アリザっ、ちょ、っと、やめ……んっ!!」
「なはははっ!」
クールな雰囲気だったアマーリエさんが嬌声を上げた。
なんというか、ギャップである。
手の平でも足りない程の大きい胸は、服の上からでもはっきり分かるほど形を変えて――痛ッ痛い! シアこいつ、脛を蹴りやがった!!
「なーにを注視しているんですか、フェンリット」
「言っておくが、男なら誰でもこうなるぞ」
シアのジト目をすげなくあしらい、頃合いを見て僕は三人に向き直った。
「それでは、また」
「――そうですね。会う時があれば、また食事でもしましょう」
僕の言葉に、普段通りに戻った――ただしまだ顔が若干赤い――アマーリエさんが応じる。
イーレムにはもう少し滞在する予定だし、ギルドにいれば会う事もあるだろう。
「またねフェンリット君!」
「じゃあね~」
手を振るリーネさんとアリザさんが踵を返して去っていく。
彼女らの後を追うように、アマーリエさんが再び一礼して振り返った。
夕暮れ空のオレンジ色は時間と共に濃度を増し、今や赤と言えるほどになっていた。
もうすぐ日が暮れる。明るい内に宿へ帰り夕食をどうするか考えよう。
「さて、帰ろうか」
「そうですね」
泊まっている宿への道は覚えている。
ここから歩いて五分と掛からないだろう。
道を思い出しながら人の流れを進んでいく。
やっと宿が見えてきた。
――そんな時だった。
『きゃぁぁぁああああああああああああああああああ!!!???』
「――ッ!?」
女性の悲鳴が鼓膜を叩きつけ、僕とシアは思わず足を止めた。
暴漢もしくは窃盗にでもあったか?
様々な可能性が思考を巡るが、そんな考えは一瞬で淘汰された。
『何で!? どうしてこんなところに!!』
『魔物だ!!』
『町の中に突然魔物が出てきたぞ!!』
悲鳴から連鎖するように、人々の注意喚起や疑問の声などが叫び声となって街中に響き渡る。
――町の中に魔物が現れた?
わけが分からない。
門番を蹴散らして堂々と入って来たのなら分かる。
町を覆うように張られた柵を蹴り破って来たのなら分かる。
だが、突然現れただと?
僕の思考を読んだのか、シアが口を開く。
「おかしいですね。普通、そんな派手に侵入してくれば、町の内部に来るまでに分かるはずです」
「ああ。姿を確認できなかった……? 瞬間移動でもしたのかよ」
僕らは言葉を交わしながらも示し合せる事なく、人目に付きづらい路地裏の方へと歩みを進めていた。
辺りを見渡し、誰にも見られていない事を確認して僕はオーダーする。
「シア、【力ノ帯】」
「了承しました」
応じる声と同時に、シアの身体が白い光に包まれた。
――シアの変身能力には三つ……デフォルト形態も含めれば四つのモードがある。
一つは狐人族。狐の因子を持つ人間、亜人の姿。
一つは【白狐】。白い狐の姿。
そして残り二つのうちの一つ、【力ノ帯】。
白い光の中で彼女の姿が変質していく。
金と白で彩られたそれは、僕の身体を拘束するように巻きつける。
しかしそこに、動きづらさや苦しさは一切存在しない。
むしろ自分が最適化されたかのような感覚を得る。
∞を描くよう胴体に巻きつくそれは、僕の身体能力を底上げする帯。
僕の装備としてのシア、その一方である。
ローブの内側に巻きつくシアは、恍惚とした声で言う。
《あぁ、久しぶりのフェンリットの身体……!!》
(毎度毎度気持ち悪いからいい加減その反応やめてくれるかな……!!)
頭の中に直接語りかけてくる声に、僕も心の中でそう返した。
口に出さずとも完全な意思疎通ができるのはとても便利でだ。
その上僕の肉体性能も上がるのだから、【力ノ帯】モードの彼女は凄まじいほどの『チート振り』を発揮している。
まあ、装備モードのシアは肉体へ掛かる負担もかなりのものなので、あまり長い間変身はさせないようにしているのだが。
故に。
「――さっさと終わらせるぞ」
《ええ》
跳ぶ。
声のする方へ。
『とある英雄のその後 弐』に黒河響さんという方から頂いた『シア』のイラストを載せました!
凄く可愛いので是非。