1-03 端緒
結局、長風呂のシアを待ってからシャワーを浴びた。
シアは魔術が使えないので、彼女のためにぬるま湯をお湯に変えるのは僕の仕事だった。解せぬ。
身に染みわたるような思いをしながらシャワールームを出ると、彼女は既にベッドで寝ていた。
キングサイズのど真ん中で寝ているものだから、せめてもの仕返しに、とその身体を転がして端に追いやる。
シアは下手すれば落ちそうなベッドの縁まで転がっているけど、直してやる気はない。
大人げないと言うなかれ。
そうでもしなければきっと目が覚めた時、僕は締め上げられているのだから。
――で、翌日。
案の定、いつの間にか隣まで来ていたシアが僕の身体を締め上げて――もとい抱きしめている。
いつかの旅立ちの日のように、なんとも寝苦しい朝を迎えてしまった。
コイツは僕の安眠を阻害する事しか出来ないのか。
根本的に、従者(守護獣)が主を抱き枕にするっていうのはどうなの。
寝起きに弱いし、時折天然だったりと、ある面においては『反則』じみているためか、反動のようにポンコツな面も多い。
苦労する相棒を持ったものだ。
起こしてもしばらく寝ぼけていたシアをシャワールームへと連れ込み、頭からお湯をぶっかける。
目が覚めたのを確認した後、僕は適当に身支度を済ませた。
今日の予定は、冒険者ギルドにて魔結晶売却、山賊討伐の報告、ギルドカードについての質問、そして【法具】の売却だ。
時間があれば依頼を受けて町の外に出るのもアリだろう。
しばらくして、濡れ寝間着姿から着替えたシアがシャワールームから出てきた。
彼女は頬を膨らませながら言う。
「フェンリット……朝から女性を濡れ鼠にするのはどうかと思います。鬼畜ですか?」
「濡れ鼠っていうか、お前の場合濡れ狐だよね」
「そういう揚げ足取りはいらないです」
すっかり乾いた狐耳をピコピコと動かし、シアは「怒ってますよ」とばかりに腕を組んで抗議。
そんな仕草によって大きな胸が持ち上がるのだが、無意識にそこへ視線が向かってしまうのは男の性だから仕方ない。
すぐ目を逸らしたつもりだったが、シアに気付かれてしまったようだ。
彼女はニヤニヤと茶化し口調で、
「……そういえばフェンリット、さっきも私の胸を見てましたよね? ほら、白い服だったから濡れてスケスケになってた時に。もしかして、ついに私に欲情するようになりましたか?」
言って、より胸を強調するように腕で押し上げるシア。
流し目というのか。
しなをつくって誘惑してくる彼女は、元々の容姿の綺麗さもあって妖艶に見えた。
ただ普段のシアを知ってる僕としては、どうしても無理をしてるように見えてしまう。
勝ち誇った顔でニマニマする彼女に、僕はしれっと応じた。
「ああうん、違うから」
「えっ。あらら……思っていたよりリアクションが乏しいですね。もっと慌てふためくかなと思ったのですが」
「つーか今更だし」
眼福な事には間違いないが、平時でドキドキしなくなるくらいには見てるからな。
勿論シチュエーション次第では平静を保てないかもしれないけれど……普段は、ねぇ。
「フェンリット、貴方今失礼な事を考えていませんか?」
「いつものように礼を失しているシアに言われたくないよ」
適当にあしらいつつ、僕は黒いロングコートを羽織って外出の準備を済ませる。
するとシアが僕の後ろに回り込んだ。
「なにさ」
「いえ、寝癖が付いていますよ」
「……ああ、悪いね」
嬉しそうなシアの声音に、僕は憮然と返す事しか出来ない。
後頭部を撫でつけられる感触を覚えながら、このポンコツだけど大切な相棒に心の中で礼を言った。
「それにしても、フェンリットは自分で寝癖も直せないのですか?」
「……うるさい」
朝食は昼と兼用する事になった。
長旅の疲れで、目覚めたのが昼ごろだったからだ。
冒険者ギルドは昨日、宿を探す際にもう見つけてある。町で一番大きい建物だと踏んでいたら案の定であった。
街の中はそれなりに賑わっている。
道行く人には、武器や防具をまとった冒険者から、簡素な服に身を包んだ庶民まで多くの人が見られた。
石造りの建物が並び、道の端には法具の街灯が立っている。
この世界において一般的な街並み風景だ。
「フェンリットフェンリット! どうせですから町を見て回りましょうよ!!」
「それはいいけれど、どうせなら十分にお金がある時の方がよくない?」
「うぐっ、確かにそうですね……欲しいものが見つかったのに買えないというのはもどかしいですし」
「一応言っておくけど、僕らはまだ旅人の身なんだからね。バックパックには必要最低限のものを詰め込むし、嵩張るものはだめだよ」
「最悪その時は私もバックパックを背負います。もう一つ買いましょう」
魔力を込める事で『空間拡張』の術式が発動するバックパックは【法具】の一種である。
収納力は見た目以上。これのお陰で、旅に必要な道具も持ち運ぶことが出来る。
拠点のある冒険者は、主に魔結晶を入れるのに使う事が多い。
かくいう僕も、前に冒険者として活動していた時は随分お世話になった。
今手元にあるのは僕の背負う一つだけ。
シアを気遣って一つだけにしておいたのだ。
でも彼女が良いというならば是非背負って貰おう。
しばらく歩いていると、目的地の冒険者ギルドに辿り着いた。
「この紋様を見るのも久しぶりですね」
「僕は昨日見たけどね」
「むぅっ」
入口に取り付けられた看板、そこに描かれた盾・剣・杖のエスカッシャン。
冒険者ギルドを示す紋章である。
これは僕の古いギルドカードにも描かれている。
扉の向こうからは既に酒気が漂ってきていた。
相変わらず、冒険者は昼間っから飲んだくれているらしい。
「そういえば、シアってお酒は大丈夫なの? 山小屋にいる間は一切飲んでないから知らないんだけど」
「お酒ですか? 確かに飲んだことはありませんが……たぶん大丈夫だと思います」
「ならいいんだけど。中に入るとここより大分臭いきついから、気持ち悪くなったら言うんだよ」
「ふふふ、はい。分かりました」
腰を曲げて僕と視線を合わせて微笑んでくるシアに、何とも言えない気分になる。
顔を逸らし、僕は冒険者ギルドの扉を開いた。
途端に強くなる酒の臭い。
漂う熱気。
なんとも懐かしく、別に心地よくは感じないまま、僕はシアを連れて踏み出した。
「フェンリット……何か注目されてる気がするのですが」
「仕方がないよ。シアはその格好だし、僕は不本意にもかなり若く見えてしまうからね」
彼女の言うとおり、僕らは奇異の視線を向けられている。
別におかしいことではない。
本来ギルドは、成人していない人――この世界では一六歳から成人である――が来るような場所ではない。
そこに僕のような一見成人しているか分からない人や、シアのような服装の女性が来るとすれば、そりゃあ物珍しくもあるだろう。
僕の場合は、初めて冒険者ギルドの門をくぐったのが一二歳の時なので、こういった視線を向けられるのは慣れていた。
慣れているからといって、嫌悪感が無くなる訳ではないが。
無視して進んでいると年配の男達が二人、こちらへと近づいてきた。
軽く酔っているのか顔が赤い。
視線は――僕の隣に立つシアへと一直線に向かっている。
「オイオイ嬢ちゃん、こんな所に何の用だ?」
「アンタみたいな女が来るところじゃないぜ?」
彼等は僕の方を見向きもせず、シアへと話しかけていた。
確かにシアの服装はこの建物の中ではよく目立つ。
冒険者ギルドは、やはり荒事従事者の集まりとしての面が強い。
女の人も少なからずいるけれど、誰もが戦闘用の装備を身に着けている。
なので、やはり着物のシアは異質に映ったのだろう。
「(え、えーと……どうしましょう、フェンリット)」
「(いや、正直、返す言葉も無いよ。僕を無視しているのは気に喰わないけれど、実際シアがここに来る必要は無い訳だし。お前は冒険者登録をしない訳なんだからさ)」
小声でそんな言葉を交わす。
戦闘中、彼女は主に僕の装備となる。
よって冒険者登録は必要ないのだ。
ただし、冒険者以外がここに来てはいけない、なんてルールは存在しない。
所詮は酔っぱらいの戯言だ。
暇をしているおっさん達は、新入りやら女性やらに絡む事でその暇をつぶしているのだろう。
面倒くさいが、面倒事が起きるのはもっと面倒くさい。
僕はシアとの間に割って入り、
「すいません、彼女は僕の連れなんです」
「あぁ?」
そこで二人の男は、ようやく僕の存在に気が付いたといった表情を浮かべる。
そして、ニヤリと笑みを浮かべた。
「おい小僧。ここはお前の様なチビが来るところじゃないぞ。さっさとお家に帰りな」
「そうだぜガキ。お前のような奴はすぐ魔物に食い殺されちまうぞ?」
各所で笑いが起こるのが聞こえてきた。
どうやら僕たちは笑いものにされているらしい。
「……、」
こめかみが蠢くのが分かった。
子供扱い、ガキ呼ばわりというタブーを犯したこの男達を一発殴ってやりたい衝動に襲われる。
だがここで無暗に暴れるわけにはいかない。
ギルド役員は怪訝な目でこちらを伺っているし、冒険者達は楽しげに事の成り行きを見守っている。
心の中で溜息をつきつつ、僕は懐からギルドカードを取り出した。
剣と杖が交差するエスカッシャンを見せつけるようにしながら、
「僕はこれでも冒険者です。そして成人済みです。分かったらそこを退いてくれませんか?」
「あん? 冒険者だと……? なんだそのギルドカードは」
はい、これで彼が少なくとも過去三年以内に冒険者登録した僕の後輩だと確定しました。
もし古参ならこれを知っているはずだからね。
それにしても、やはりギルドカードは新しくなっているのか。
男達は揃ってこのカードに見覚えが無いらしく、しかし冒険者ギルドの盾の紋章は本物なので戸惑っているようだ。
彼等にも情状酌量の余地はある。
単純に僕らの安全を考えて声を掛けてきたのかもしれないからね。
だが、これくらいの仕返しはしてもいいだろう?
術式を展開。
もっとも簡単な、水を生み出す術式――マギ・ノ・イリスだ。
バレないように男の片割れの影、その股間部に水を垂らして別の術式を起動する。
いわゆる、類感魔術。
類似するもの同士が互いに影響を及ぼし合う、という思想を元に生み出された魔術――時に呪術と呼ばれる現象だ。
今回のは類感魔術と感染魔術の複合系だったけれど。
これを、魔力を持ってして実現する。
次第に男の股間が、まるで漏らしてしまったかのように濡れていった。
それに気が付いた彼は一瞬怪訝な顔をしてから青ざめる。
僕は追い打ちをかける様に、
「あれ。ズボンが濡れているようですが、大丈夫ですか?」
大きめの声は冒険者ギルド内に響き渡った。
これだけ注目されていれば、僕がやった事に気が付く魔術師もいるかもな。
今の一連の流れは、【咆哮】と同様に術式抗力が低い者にしか通用しない。
例えば、呪いたい相手の髪の毛を藁人形に埋め込み、鉄の杭を突き刺すあの儀式。
本質的には感染魔術とも言われるが、一応あれも類感魔術に含まれる。
でも実際、それで人が死ぬかと聞かれれば、自信満々に頷く事は出来ないだろう。
そんなおまじない程度のモノなのだ。
もっとも、禁呪指定のモノとなれば更に大それたことも出来るらしい。
見たことは無いけれどね。
男は慌てて股間部を両手で押さえる。
意味のない事だ。
そこを濡らしているのは貴方の影、そして僕が作り出した魔術の水であり、貴方の股間ではないのだから。
そんな男達の横を、僕とシアは通り過ぎていく。
邪魔は入らなかった。
――強いてあげるとすれば、探るような視線を感じる事くらいだった。
僕は彼らが見えないところまで歩いてから、舌を出してほくそ笑む。
シアに苦笑されたのは言うまでもない。