2-10 判明
僕はその足音が遠ざかっていくのを聞きながら、小さく溜息をつく。
ただの朝の散歩が、用を足しに行っただけならばどれだけいいか。
実際、このタイミングで何かをするとは思えないし、ちょっとしたことで疑心暗鬼になりすぎている節もある。
とはいえ現状、外の世界で心の底から信用できるのはシアとシュトルム姉さんだけ。
全ての他者に最低限の警戒を抱くくらいで丁度いいだろう。
問題は、今も尚僕にしがみ付いているシアをどう引き剥がすか、という点に移行する訳だが。
コイツ本当に、どこに行っても変わらないな!?
僕の足の上に自分の長い脚を乗せて、しっかりホールドしてくるシアを眺めてもう一度溜息。
とはいえ僕も付き合いは長い。
今まで何度となくこのホールドを受け、それでも何とかして抜け出してきた。
数を繰り返して磨かれた脱出の技を使い、なんとかシアの拘束から解放された僕は、ゆっくりとテントの出口に歩み寄る。
小さく空けた隙間から外を覗き見、目視でアイラの姿を探す――見当たらない。
「移動しているのか」
ボソリと呟き、音を発てないよう慎重に外へと出る。
まだ早朝である外の世界はしかしあまり寒くは無かった。生活する上でちょうどいい気温、といったところだろうか。
快晴の空を見上げ、眩しい木漏れ日を手の平で遮りながら目を細める。
護衛依頼は、順調だ。
人間関係と件の稀少種に関しては少しばかり不安が残るが……。
「取りあえずは、アイラのこと、だよな」
全て僕の思い込みであってほしい。
そう考えながら、アイラの背中を追って静かな一歩を踏み出した。既に彼の姿は見えないが、足元を見れば真新しい靴の跡……草花が潰れているのが分かる。それも、かなりハッキリと。
「……」
なんというか、少し迂闊すぎるような気もしてきたぞ?
僕らに対して何か後ろめたい事をしようものなら、こんなに分かりやすい痕跡を残して移動するだろうか。僕だったら絶対にしない。
ふつふつと疑問が浮かんでくるが、気を取り直してその足跡を辿って先に進んでいく。
「この方向は……」
川が流れていたような。
底が見えるほど透き通った水が流れていて、こちらの道具次第では飲料水にも出来るだろう、そんな川がある場所だ。野営地の側にこういう川が流れているだけでかなり便利で、昨日シアが水浴びをしたいみたいな事も言っていた気がする。
でも、こんな朝早くに何の用だ?
飲み水ならまだ十分テントにあったはずだ。
今のタイミングで補充する必要は全く無いと言っていい。
なら水浴びか? それならまだ分かる。他人に素肌を見られたくない人間がいても別におかしくない。他の人が寝ている早い時間に済ませてしまえば、その問題も解決されるだろう。
「――いや、確かアイラは水属性魔術師だったよな?」
術毒、という魔術がある。
その名が示す術式の範囲は狭くはない。実際に存在する『毒』のように身体機能に影響を及ぼすものもあれば、体内の魔力の循環を掻き乱し、魔術の使用を困難にするようなものもある。
一度何かしらの術毒を受けた者ならば多少の耐性がつくとはいえ、それは『毒』に他ならない。
受けてしまえば少なからず、何らかの隙を生み出すだろう。
そして、水属性の魔術師であるアイラならば、あるいは。
これからこの川を何かしらの用途で使用する僕達に対して、術毒による攻撃を仕掛けるのも容易なのではないか。
川の水に術毒を仕込む事も可能なのではないか。
「……ッ!」
思わず息を呑み、僕は近くにあった大木に背を預けて小さく息をつく。
もしこの想定が正しければ、今この場で僕が彼を止めに入れば、おそらく戦闘になるだろう。
シアがいないため僕も本領を出せないけれど、彼を制する事は……多分、可能だ。
騒ぎになれば他の人も駆けつけるだろうし、問題ないはずだ。
「――よし」
いつでも術式を展開できるようにしながら、僕は覚悟を決める。
そして。
「アイラ、そこでなにして……」
「きゃあッ!?」
「……きゃあ?」
思い切って声を掛けた僕の視界の先。
茂みの向こうに見えたアイラの姿は、どこか肌色成分が多いと言うか一〇〇パーセント肌色っつーか全裸で――は?
今「きゃあ」って言ったか?
頭の中が混乱しつつも僕の二つの瞳は決定的なものを捉えてしまう。
慌てて身体のある部分を両の手で隠そうとするアイラだったが、それは間に合っていなかった。
つまるところ、慎ましやかではあるが、胸があった。
そして、あるはずのものが無かった。
具体的な描写は割愛……というか僕の思考が追い付かない。
「え、は……?」
意味のない言葉を繰り返す事しか出来ずに硬直する僕の視線の先には、ザバッ! と音を発てて川の中に身体を沈め、「ひぅっ!?」と冷たさに悲鳴を上げるアイラの姿。
つまり、どういうことなんだ?
「ア、アイラだよね?」
呆然と口にする僕に対して、顔を真っ赤にしたアイラが両目をバッテンにして喚いた。
「そうだよ!! なにさ、なんなのさ、いきなりなんだっていうのさ!! 女の子の水浴びを覗くなんて!!」
「お、女の子……?」
「そうだよ! ていうか、えッ!? 気付いていなかったの!!!? 流石のボクでも恥ずかしいし傷付くんだけど!!」
「いや、だって……」
あの時、イーレムの町防衛戦で感じたアイラの気配は、間違いなく"男"のものだった。
実際今この状況になっても尚、微弱ながらもアイラからは"男"の気を感じる。
だが現実は、アイラは決定的なまでに女だった。
「ボク、アイラ=レインルプスは正真正銘女の子だよ!!」
アイラの言葉を聞きながら、僕はゆっくり目を閉じた。
なるほど。
兼ねてから彼……いいや、彼女から感じていた違和感の正体はこれだったらしい。
そして、冷静に考えて見れば分かる事だった。
――川の水に術毒を仕込んでも、川の水、流れていくじゃん……。
「はぁ、そんな事があったんですか……」
結局あの後、アイラが水浴びを終えるまでの間僕は見張りをさせられていた。覗いてしまったのは事実なため断ることも出来ずに、という感じだ。彼――じゃなくて彼女が諸々を終えてから、二人でテントに戻った僕は、早速アイラに告げ口をされてシアからジト目を向けられている次第である。
「なんだよ、シアは全然驚いていないようだけど」
「だって知ってましたし」
しれっとした表情のシアに、僕はあんぐりと口を開けた。
今コイツなんて言った?
「なに阿呆みたいな顔をしているんですか? 知っていたに決まっているじゃないですか。アイラさんが男の人だったら、そう簡単に抱きつかせたりなんてしないですよ」
思い出すのは、ヘウスキンさんとの交渉の後、アイラが僕らの買い物に付き添う事になった顛末。確かにあの時は、抱き合って楽しそうにしていたっけ。
「それともなんですか、フェンリット。私が、そう簡単に異性と抱き合うような人間だと思っていたんですか?」
一転して責める様な口調のシアに、僕は口ごもるしか出来ない。
何も言い返せず黙り込む僕に、彼女は溜息をついてから、頬を赤く染めて視線を逸らし、小さくボソリと呟いた。
「(――いつものはフェンリットが相手だからしてるだけです)」
「……ん? シア、今なんて?」
「なんでもないです!」
プイッと顔をそむけるシア。
だけど多分、彼女は勘違いをしてるんだろうな。
僕はシアの言葉が聞こえなかったから聞き返したんじゃなくて、確認をしたかったから聞き直した訳だった事に。
「あーはいはい朝から御馳走様ですイチャつくのしゅーりょー」
「イチャついてないですよ!」
アイラの淡々とした声にシアが噛みつくも、アイラはそれに一切気にした様子を見せずに、
「まったく、どうしてボクが裸を見られたって話からああも容易くピンク色の光景が出来上がるかなー。いや、百歩譲ってボクが対象なら分かるけど、ここで寝てただけのシアちゃんって言うのが納得いかないブツブツ……」
「や、やあアイラ。さっきの事は謝るから。土下座でもなんでもするからさ?」
「別に? もう怒っていませんけど。ボクの事を男の子だと思ってた事とか、しっかりきっちり僕の裸を凝視したこととか、ボクの事ほっぽって二人でイチャイチャしてる事とか、別に、なーんも気にしてませんけど」
「絶対嘘だ!!」
「確かに? ボクは女の子としては貧相な体型をしてるから? いつもシアちゃんみたいにおっぱいデカい女の子といるフェンリット君には? ボクが女の子だって気付かなかったかもしれないけど?」
「めっちゃ気にしてる!!」
もはやツッコミを入れながら土下座をしていた僕だった。
実際弁解の余地も無く、全てにおいて僕が悪いと思う。
チラリとアイラの顔色を窺うと、気付いた彼女は「仕方ないなぁ、いや、本当に」と呟く。続けて、僕の頭頂部にデコピンを一撃。
思わず「痛っ」と声を漏らすと、ニヤリと笑ったアイラは立ち上がった。
「取りあえずこれで許してあげる。でも街についたら、何かしら付き合ってもらうからね? 女の子の裸を見た代償は大きいよ?」
「う……分かったよ」
「よろしい。じゃあそろそろ朝ごはんにしよっか!」
テントの入口をめくって外に出ていくアイラ。
僕らもそれに従い外に出て、朝食の準備を始める。
朝から色々とあったが、その後は何事も無く一日を終え。
恙なく護衛依頼は終わりに向かい。
そして、ソイツは現れた。
そろそろ第2章一つ目の山……




