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とある英雄のその後 壱


■ フェンリット



 風に揺られる木々のざわめきと、のんびりとした動物の鳴き声しか聞こえてこない静謐な世界。

 人の寄り付かない山の山頂付近に、ぽつりと一軒の家が建っている。


 周囲の景色に紛れ込む様な焦げ茶色の山小屋。

 その一室で、僕は少しの寝苦しさを覚えながら目を覚ました。


「……夢、か」


 懐かしい夢を見たものだ。

 三年は前の記憶である。


「……、」


 だが、今一番気になるのは寝苦しさの原因だ。

 なんとなく理由を察しながら頭を持ち上げる。


 寝起きでぼやける視界の中、目に入ったのは腹の上で眠る大きな狐だった。

 白銀の毛並みはふさふさで艶があり、三角耳や頬、尻尾に緑色の模様が入った不思議な狐である。


 道理で寝苦しい訳だった。

 前に『寝ている時に上に乗るな』と言ったんだけどな。


 掛け布団の中から腕を出し、白銀の身体へその手を伸ばす。

 手の平に返ってくる感触は柔らかく繊細で、とても心地いい。


 撫でる様にすると、感触はまた変わってくる。

 毛の奥に隠れた身体の温かみも相まって気持ちが良かった。


 それはこの白狐も同じらしく、撫でるのと同時に「くぅーん」と気持ちよさげな声を上げた。

 むずむずと体位を動かし、やがてしっくり来たのか動きを止め、また小さく背中を上下させ始める。


 ……でも待ってくれ、その体位は僕の鳩尾がヤバい。

 何がヤバいってそれはもうめっちゃプレスされてる訳だが。


「シア、朝だよ。そして重い」


 起き上がろうにも起き上がれない僕は、白狐――シアの身体を軽く揺すりながら呼びかける。

 しかしながら、大きな白狐さんはすやすやと寝たままだった。


「…………」


 そういえば猫っていうのは、またたびの他に『尻尾の付け根』に弱いと言う話を聞いた覚えがある。

 尻尾の付け根。

 なんでも、そこは神経が集中していて非常に敏感らしい。


 勿論個体差はあって、全く反応しない猫、撫でられるのが良い猫、軽く叩かれるのが良い猫、バシバシ叩かれるのが良い猫と色々あるようだ。


 まあそんな豆知識は置いておき。

 そこんところ狐はどうなのかな。

 猫と一緒でもおかしくはない。

 分類でいえばイヌ科だったが、ネコ目だから多少の共通点はあるのだろう、きっと。


 満足したら自分から離れていくらしいから、これをうまく利用すれば、シアをお腹の上から退かす事が出来るかもしれない。


 事前に言っておくが僕は悪くないぞ。

 僕の上からどかないシアが悪いんだからな。


 指先で軽く尻尾の付け根を叩く。

 直後、ピクッ! とシアの身体が震えた。

 どうやら反応しない体質ではなかったらしい。

 続けて少し速く撫でると、


「――ッ!?」


 鳴き声を溢しながら、その身体を面白いくらいに震わせた。

 振動が指先を伝って僕の方へと流れてくる。

 白に緑の模様が入った木の葉形の尻尾は、天井に向かってピンと直立。

 心なしか毛が立っているようにも見えた。


 ……効果ありだな。


 そうと分かればこっちのターンだ。

 指先でトントンと叩くだけではなく、尻尾の周りに弧を描くように四本の指の腹を這わせていく。

 その度に白狐の身体はビクビクと震え、気持ちよさげな鳴き声が聞こえてきた。


 腹をプレスされる苦しさを紛らわす様に、僕の動きも次第に早くなってくる。

 徐々に行為のスピードが上がっていき、叩く、撫でる、掻く、いくつかのパターンを乱雑に繰り返す。


「――――ッッ!!」


 顔が引きつるどころか半分白目を剥きながら叩いてると、シアが一際大きな鳴き声を上げた。

 耳に刺さる、しかし柔らかい声音。


 同時に、その白銀の身体が白い光を放ちだす。

 部屋全体を真っ白に染め上げる様な見覚えのある光に、僕は目を閉じた。


 目を閉じた上でまだ白いくらい強烈な光だ。

 シアが寝ぼけている所為だろう。


 ああ、これは助かった(、、、、)と言えるのかな?

 一際強く瞼を閉めて、光が収まるのを静かに待った。


 今感じるのは、目に焼き付いた白光による微かな痛みと、身体全体に(、、、、、)伸し掛かる様な重さ(、、、、、、、、、)の二つ。

 さっきまでとは違う、モフモフとした毛の無い感触だった。


「うぅ……」


 荒い吐息が混じった女の人の声(、、、、、)を聞きながらゆっくりと瞼を持ち上げる。

 チカチカと点滅して痛む視界を無視しながら、重さの正体へと目を向けた。

 視線に気が付いた相手が恨めしい声を出す。


「ハァ、ハァ……フェンリット、あなた朝からなんて言う事をしてくれるんですか? 確かに私は『狐』ですけれど、同時に人間でもある(、、、、、、、、、)んですよ? そんな執拗に、緩急をつけてまでいじられればどうなるかは分かっていますよね?」


 ようやく鮮明になってきた視界には、十代後半くらいの女性の姿があった。

 白銀の長い髪は、孔雀の羽のようにベッドの上……正確には寝そべる僕の上に広がっている。


 ジトーっとした視線を送ってくる瞳は透き通る緑色。

 色の薄い肌は陶器のようになめらかで、顔立ちはとても整っている。


 近所の綺麗なお姉さんを思わせる風貌だ。

 頭には髪と同じ色の三角耳が倒れており、お尻の方には変身(、、)前と変わらない木の葉形の尻尾がふにゃりと垂れている。


 そんな彼女が一糸纏わぬ姿で僕の上に覆い被さって……一糸纏わぬ?


「おいシア! 服を着なって服を!!」


 先程までは狐だった女――シアは、どういう訳か全裸だった。

 何も着ていない生まれたままの状態だ。


 肌を隠すのは長い髪だけ。

 隙間から覗く肌はしっとりと汗ばんでいて艶めかしい。

 おまけに息は荒いわ頬は紅潮してるわで異常に色気を放出している。


 張り上げた僕の声を聞いていないのか、シアは言った。


「いいですかフェンリット? 今度からあの場所を触る時は私に許可を取った上でもっと優しく丁寧に愛でるように、壊れ物を扱うように触ってくださいむしろ私の言うように触ってください分かりましたね? ……ちゃんと話を聞いていますか?」


「今はお前が話を聞け!!」


 全裸だというのに無暗に身体を起き上がらせて、四つん這いの状態で僕の事を見下ろすシア。

 人差し指を立てて教師の様なポーズをするのはいいけれど、まずは胸元で揺れる二つのプリンを隠そうか。

 言っておくが、カラメルソースからさくらんぼまで全部丸見えだからね。


 相も変わらず僕の話を聞いていないシアは呆れた調子で、


「はぁ、これだからフェンリットは。女性にとって『聞き上手』な男の人は少なくとも魅力的に見えるものなのです。つまりその逆はハッキリ言って論外なんですよ。自分の話だけを通そうとする男性がモテるはずないでしょう?」


「…………」


 ていうか僕はなんで説教されてるんだよ。

 確かにシアの言う事は至極真っ当で、僕も気を付けなきゃならないなと思うけれど、今は状況が状況だ。

 僕はあくまで、あられもない姿を晒すシアを気遣って善意で、そう善意で服を着るように伝えているだけなのに。


 それを無碍にされた挙句、女性に対する接し方で怒られるとか、いささかこの世の不条理が過ぎるんじゃないのかな。


 なんだなんだよなんですか? じゃあもういいよ。

 お前に隠すつもりがないっていうのなら、たっぷり拝ませていただきますとも。

 隅から隅まで見尽くして目に焼き付けてやりますよこんにゃろう!!


「そんなだからいつまでたっても――」


 するとシアは、残念な人を見るような憐れみを含んだ目を向けてきながら言った。


「――童貞なんですよ」

「どどどど童貞ちゃうわ!」


 寝ぼけているシアに付き合っていても埒が明かない。

 鳩尾プレスからは解放されたけれど、こんな光景を姉さんに見られでもしたら面倒事になりかねないし。


「いい加減どいて服を着ろ!」


 勢いをつけて上半身を持ち上げ、覆い被さるように四つん這いになっていたシアを右向きに押し倒す。

 ただし、怪我をさせないようあまり手荒にはしなかった。


 聞こえてきた「きゃっ」という小さな悲鳴は無視。

 シアが仰向けに倒れた反動でシーツが持ち上がり、白い髪と合わさって上手い具合に身体が隠れる。

 彼女は驚いた表情できょとんとしていた。


 ともあれ形勢逆転、さっきとは反対の立場で僕は声を投げかけた。


「オーライ状況は理解したか?」


「あうっ、え、な……え?」


「動揺しているようだから要点だけをゆっくりと三言で説明してあげよう。シア、今、裸。理解したかな? 何か服を着るなり生成するなりして早く肌を隠しなよ」


 心の中で溜息をつきながらそう言い切る。

 シアの方もようやく状況に追いついてきたのか、ほんのり顔を赤く染めていった。

 まったく、どれだけ思考をぶっ飛ばしていたのだろうか。


「えっと、その……分かりました、確かに今のは私が悪かったです。でも、だからといって、朝からあんなことをされるのは……その、困ります」


「仕方ないだろう。言っておくけれど、僕だって結構ギリギリだったんだからな。何をやっても起きないお前が悪いぞシア。そもそも、結構前に一度『寝ている時に上に乗るな』って言ったよな? 守っていないのはお前だよな?」


「うぅっ。で、でも、仕方がないじゃないですか。一人で寝るには少し寂しいし、隣で一緒に布団に潜るには少しベッドが小さいし。そしたら上に乗るしかないじゃないですか」


 人差し指の先と先をちょんちょん当てながら、僕の方を上目遣いで見てくる。

 そんな、頬を赤くして可愛い顔で見つめてきても僕の意思は揺らぎません。


「一人で寝るのが寂しいって……まあそこは百歩譲って良しとしよう。でも、いや、うーん……せめて乗る場所を考えてほしい訳よ。胴体の上は厳しい!」


「じゃあどこに乗ればいいんですか」


「それは……お腹より少し下?」


「……前にその辺りで寝ていた事があるんですが、朝方になるとだんだんとこう邪魔なものがですね――」


「あぁもうお前僕の上に乗るな!!」


 そればっかりは僕の意思じゃどうにもならないんだよ。

 なので、僕の上でシアが眠る案そのものを切り捨てる。


 寝るときはあまり服を着ないタイプなので、今は僕も半裸状態だ。

 パンツ一丁の男が全裸の女を押し倒している図が、よりにもよってベッドの上で展開されている。

 この構図は色々とまずい。


「ともかくですね! 私としても先程の行為には物申したい所存なんですよ!!」


 堪えきれない、といった様子で抗議の声を上げるシア。

 僕はその言葉から避けるように上体を起こし、シアの上からどけようと動き出す。

 その直後だった。



「……なにしてるのフェンリット」



 ビクビクゥ――ッ!! と身体が震えた。

 それはどうやらシアも同じだったらしく、引き攣った表情で視線を横……部屋の扉の方へと向けている。


 さて、この家には三人しか住んでいない。

 フェンリット()と、僕の下で顔を引き攣らせているシア、そしてもう一人。

 つまるところ、声の主は最後の一人……僕が『姉さん』と呼んでいるその人しかいない訳で。


 案の定。

 横を向いてドアの方を見れば、そこには姉さんが立っていた。


 僕を含めた三人の中で一番小柄なのが彼女である。

 おおよそ中学生ぐらいの体躯は、ゆったりとした黒いローブに包まれている。

 鎖骨に届くくらいの黒い髪。

 その前髪の奥で、緑色の左目と赤色の右目が僕らを見据えている。

 俯き気味なためか、彼女の特徴ともいえる『赤い紋様』は髪に隠れていた。


 そんな姉さんが、普段よりも威力の強いジト目を向けてくる。

 完璧に見られた。

 言い逃れは出来ない。

 しかし、冷や汗を掻きながらも僕の口からは流れるような言い訳が溢れていた。


「いや姉さん。これはですね、不慮の事故と言いますか偶然の賜物と言いますか僕としても完璧に不本意な事態なんですよ、はい。決して疚しい心とか煩悩だとかそういうものがあった訳じゃないんですよ、はい」


 別に普段から敬語を使っている訳ではないのだが、状況が状況なので勝手に敬語が出力されるのであった。

 それを聞き――敬語だった為か余計に――底冷えした声で姉さんが声を出す。


「……ふーん?」


「よーし事の発端から話を進めようか! まず僕が目を覚ましたらお腹の上に狐状態のシアが乗ってて苦しかったからなんとかどかせようと四苦八苦したと」


「……へー」


 色々と詳細を省いているところがあるけれど、触れなくても良い所には触れない。

 わざわざ死地に赴く馬鹿はいない。


 シアがそんな地雷を踏み抜くような真似をしないか内心ハラハラドキドキしていたのだが、彼女の口から出たのは僕にとって都合のいい言葉だった。


「そうですそうです。そして思わず人型になってしまった私が単純に、ただ単純に服を生成し忘れてしまっただけなんです。悪意も救いも何もないアクシデントなんです!」


「――だから悪いのは僕じゃなくてシアなんだ! そもそもシアが服を着ていればこんな事にはならなかったし、もっと言えば僕の上に乗っていなければよかったんだ! こんな態勢になってるのも、動こうとしないシアを退かせようとしたからで!!」


「えっちょっ」


 さりげなく全ての罪をシアに擦り付けた。我ながら完璧な工作だと思う。


「裏切ったな!?」と僕を見てくるシアが視界の端に映るけれど、知るかよそんなもの。

 そもそも味方になった覚えなんてありません。


「……、」


 立ったままの姉さんから帰ってくるのは沈黙のみ。

 よくよく考えてみれば、別に僕らが姉さんに白い目を向けられる筋合いはない。


 僕にとって姉さんはあくまで『義姉さん』であり、育て親であり、魔術の師匠ではあるけれど、『恋人』ではないのだ。

 いや別に僕にとって姉さんが恋人足り得ないとかそういう話ではなく。


 ともかく、半裸の僕が朝っぱらから裸の女の子をベッドの上で押し倒していても、それに関してとやかく言われる道理はない。


 文句をつけられるのは、強いて言えばシアくらいだろう。

 この状況を生み出したのは九割九分シアが悪いので甚だ不本意だが。


 つまりあれだ。

 今のこの空間は超理不尽フィールドということだ。


「……とりあえず」


 だけど僕は忘れていた。

 状況に追われてすっかり忘れていた。

 姉さんが、中身も結構見た目通りだったことを。


「……シアだけずるい」


 言うが早いか、するすると音を立てて着ていた服を脱ぎだしやがる姉さん。

 明らかに戦闘用なのに、普段着にもしている黒ローブが床に落ちた。


 なんで一枚脱いだだけで全裸になるんだよ! とか思っている内に、彼女は小走りでベッドへと乱入してくる。


 その後はもはやカオスだった。


 二人のもみくちゃにされた後、後頭部に強い衝撃が走り、どちらのものかも分からない肘鉄を鳩尾に喰らい、僕の意識はノックアウトした。




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