1-15 終景
■ 3rd Person/ノルマンド
「なっ……!?」
ノルマンドが目の前の光景を見て驚きの声を上げる。
金色の光が迸り、空から振り下ろされた巨大な雷撃の槌。風邪は強いものの雨は降っておらず、勿論雷だって落ちてはいない。天候的には可もなく不可もない、そんなフィールドで。フェンリットが行使した雷属性の術式は、以前町中で視たものよりも遥かに凄まじいモノだった。
確かに、あんな町の中では満足のいく術式行使は出来ないだろう。全力を出せば出すほど、建物などへ被害が出る。常人ならば、どうしても無意識にセーブが掛かってしまうものだ。
そしてフェンリットは――きっと常人の範疇内である。
先程までの彼の言葉は全て煽り文句だったのだろう。ノルマンドの家族を馬鹿にし、アマーリエを見捨て、ただ自分が生き残るためだけの最善を尽くす。そんな素振り。あれは全て、ノルマンドの頭に血を登らせて、パフォーマンスを低下させるものだったのだと気付いた。
現にあの男は、アマーリエを見捨てるなどと言いながら彼女を救っている。というよりかは、アマーリエからノルマンドの意識を巧みに外させ、彼女に持たせていた類感魔術の術式媒体を破壊し、その後で魔王を殺している。アマーリエを殺して魔王も同時に消す方が楽なのに、だ。
ともあれ、フェンリットの魔術の力が格段に上昇しているのは間違いない。
何が原因か。
あの装備で間違いないだろうと、ノルマンドは踏んでいる。仮面とフードで徹底的に顔を覆い、狐人族の尻尾を生やした、徹底的な隠遁。
その原理も理由も分からない。
だが、ノルマンドはもう戦うしかない。
魔王は失い、今頃町を襲っている魔物は制御を外れているだろう。とはいえ、冒険者達と交戦していれば奴等は殺人衝動に身を動かす。町の襲撃は果たされるし、そもそも実験の結果はもう出ている。
つまり、魔王の使役。
アマーリエと魔王を類感魔術で繋いだのはノルマンドの策だが、上から命じられていたのは魔王の使役とそこから派生した魔物の制御だ。
最低限の役目は果たした。
だからもう、従う必要はない。
そもそもノルマンドは、いつの日か、英雄気取りのあの男に復讐するために生きてきたのだ。
【六道術師】の下について活動していれば、【御嵐王】と遭遇できるのではないか。そう考えていたから、【角端】に頭を垂れたのだ。
標的は目の前にある。
その力は強大で、自分なんかでは倒すことが出来ないかもしれない。
それでも戦う。
ノルマンドは、フェンリットに背中を向けて逃げるという選択肢を、一切考えていなかった。
「おォォォおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
自分の限界を超え、術式を演算する。
地面を這う縫い影は、ノルマンドが得意とする術式の一つだ。それを最大限に活かす。
機動力のあるフェンリットの逃げ場をなくすように、あらゆる方向から影の槍を伸ばす。同時に別の術式を並行演算。空中に黒い魔方陣が浮かび上がった。フェンリットがスレスレで縫い影を回避するその場所へ、魔方陣から黒い刺突が繰り出される。
闇域刺突。
影となっている場所や暗い場所なら、どんな座標からでも刺突攻撃を即座に繰り出せる高位の術式だ。魔方陣かが現れ、槍が飛び出るまでのラグはほぼ無いに等しい。縫い影の上位互換といえばいいだろうか。
空中に回避したフェンリットの、背後にあった木の影に現れた無数の魔方陣。地面から飛び出る縫い影から回避するように空中に逃げた彼へ、黒い刺突が殺到する。
――だが。
「甘い」
ボソリと呟くのと同時に、黒い刺突は対魔術結界に防がれた。分厚い障壁に衝突した闇域刺突は、鈍い音を発てて拮抗するもあえなく弾かれる。直後、それを散らす様にフェンリットの周囲を風が渦巻いた。魔術としての存在を保てなくなった闇域刺突は、霞むように消えていく。
段違いに、術式精度が違っていた。
障壁一つとっても、ノルマンドとは比べ物にならない程の完成度だった。
これが【御嵐王】。
"風"と"雷"二つの属性に愛された魔術師であり、世界が認める英雄、その実力。
ノルマンドの様に、復讐心に引き上げられた復讐のための能力とは違う。
「く、そがァ!!」
――それがどうした。
復讐心に身を燃やして何が悪い。
最愛の家族を殺された憎しみに、この身を任せて何が悪い。
もうなにもかも知った事ではない。
(コイツを殺して、すべて終わりにする。だから、そのための力を……ッ)
果たして応じたのは、人でもなければ神でもなかった。
ノルマンドの周囲を取り巻くように、瘴器が蠢きだす。彼の悪感情を食い散らかすかのように群がり、取り込んでいく。
瞳は血のような赤色に代わり、強膜は徐々に『黒』が浸食していき、やがて漆黒と成った。
頬には赤い軌跡が浮かび上がり、両手の指は不自然に痙攣する。
「がァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
全身から溢れだし駆け巡る獰猛な殺意のまま、ノルマンドは咆哮を上げた。力が湧き上がるような感覚。その源は間違いなく、フェンリットへの『復讐心』であり『瘴器』であった。
戦う事だけに身体が最適化されていく。それ以外の全ての機能を停止し、ただひたすら目の前の敵を倒す事だけに執心する。
さながら、魔王の如く。
フェンリットはその様子を見て眉をしかめていた。
忌々しいものを見るかのように目を細める。
負の感情を抱かせる。
それはつまり、ノルマンドの今の状態がフェンリットにとって好ましいものではないという事だ。
「――殺ス」
瘴器による狂化はまだ完全ではない。だが今は、早くこの身体を動かしたい感覚で溢れていた。ノルマンドは態勢を低くした状態から地面を蹴る。
砲弾のようなスピードで駆け抜けたノルマンドは、握ったままの【無定の大鎌】を力任せに振るった。
冷静な表情を浮かべたフェンリットは、【荒風吹】でもってしてその刃を受け止める。
ガッギィィィ!!!! という鈍い音が炸裂した。
火花を上げて拮抗する二つの術式。だが、このままぶつかり合えば先に壊れるのは【荒風吹】だった。
それを見抜いたフェンリットは呟く。
「瘴器による狂化……」
あなたも、か。
掠れる様なフェンリットのその言葉は、ノルマンドに届くことは無かった。
【無定の大鎌】を握る腕が前方へと引かれる。フェンリットによって、刃を引き寄せられたのだ。前へと力を掛けていたノルマンドの身体は、いとも容易くバランスを崩した。
腹部への衝撃。
黒いコートから飛び出したフェンリットの足が、ノルマンドの身体を蹴り飛ばす。
衝撃によって吹き飛ぶも、あまりダメージは感じない。
それもこれも、瘴器による影響か。
素晴らしい、とそう感じた。
負の感情を力に変えるのは、これほどのものなのか、と。
最適化は終わらない。
つまりまだ、ノルマンドの能力には上があるという事だ。
もっと強くなることが出来る。
そうすれば、あの男を……【御嵐王】を殺すことだって――
「終わりにしましょう。あなたがこれ以上、狂化される前に」
――だが、無慈悲にもあの男は告げるのだ。
この戦いの終結、その宣言を。
「切り裂き刃よ吹き荒れろ」
術韻を唱える。
直後、彼の後ろに現れるのは、数を数えるのも億劫になるほどの魔方陣。あの全てから風の刃が飛び出してくると思うと、背筋がゾッとする。
しかしあの攻撃は一度対応している。
"視界に収めた術式を同時に一つまで無力化できる能力"を並行して使えば、捌き切る事が可能だろう。
ましてや今は、瘴器によって肉体強度も上がっている。
――問題は無い。
「無駄ダァ!!」
「さて、どうでしょうか」
フェンリットが直進してくるのと同時、無数の風の刃が射出された。あらゆる軌道で、多方向から殺到するそれらを、ノルマンドは視野に捉えて俯瞰する。
【無定の大鎌】のリーチ変更の能力で、同一線上の風の刃を効率よく破壊していく。地面から飛び出る縫い影が、風の刃と激突してその軌道をずらして相殺する。瘴器の力を得た今、術式の力はほぼ互角だった。
「あなたが僕の術式を無力化した力、そのタネももう、割れています」
耳は貸さない。
例えその話が本当だとしても、姿さえ見失わなければ、フェンリットはノルマンドに致命打を与える事は出来ない。
どんな強力な術式でも。
視る事が出来れば、無効化することが出来る。
「――視る事が出来れば、ね」
正面から突っ込んで来るフェンリットが、薄らと笑ったような気がした。
直後。
彼の身体が、"目が潰れるほどの強烈な白い光を放った"。
網膜を焼かれる痛みに、ノルマンドは思わず悲鳴を上げる。
「あァァァああああああ!!!?」
何が起きた。
術式の反応は無かったはずだ。
そもそも、魔術による光攻撃ならば、多少は術式抗力が遮ってくれる。だというのに、今の白光は完全にノルマンドの視界を塗りつぶした。
――彼は知らない。
フェンリットの身を包む装備。あれが全て、『シア』と呼ばれる白狐による変身能力によるものだと。そして、彼女が変身する際に白い光を放つことを。その白い光の光度は、変幻自在だということを。
そう。
唐突で強烈な光によって。
ノルマンドは今、何も見えない。
「クソがァァァああああああああああああ!!!!!!」
「地獄で会いましょう、ノルマンド。その時は、甘んじてあなたの復讐を受け入れます」
復讐に囚われた黒き襲撃者。
その男が最期に見た光景は、ただひたすらの『白』だった。